【連載】
谷口彰悟「30歳を過ぎた僕が今、伝えたいこと」<第13回>

◆【連載・谷口彰悟】第1回から読む>>
◆第12回>>驚いたカタール文化「1時間の遅刻にもイライラせず...」

 1月14日、日本代表はAFCアジアカップ2024で優勝すべくカタールの地に降り立ち、グループリーグ初戦でベトナムと対戦した。谷口彰悟は4バックのセンターバックとして先発し、前半に2点を失うものの、後半は相手の攻撃を封じて勝利に貢献した。

 1991年生まれの谷口は、今回選ばれたメンバーのなかで最年長の32歳。ただ、世代別も含めて初めて日本代表のユニフォームに袖を通したのは大学2年時と、チームメイトと比べて早いほうではない。

 初めて招集された時、当時筑波大に所属していた谷口はどんな思いで日本代表のユニフォームを手に取ったのか。アジアカップ大会前に日本代表への想いを語ってくれた。

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アジアカップ初戦のベトナム戦に先発した谷口彰悟 photo by Getty Images

 ワールドカップ予選とは異なる、アジアを舞台にした戦いが始まる。

 日本代表はカタールで1月13日開幕のAFCアジアカップ2024に臨む。目指すのはもちろん、3大会ぶりとなるアジアの頂点だ。

 今や日本代表のメンバーは、海外を主戦場にする選手が増え、アジアにおける日本に対する周りの視線や印象は、一目置かれる存在になりつつある。それはカタールでプレーしている自分自身が日々、実感してもいる。だからこそ、代表レベルでもアジアを牽引していくのは日本であることを結果で証明したいし、示さなければならない大会だと捉えている。

 世界を目指すならば、なおさらアジアのトップに立ち続けなければならない──自分たちにプレッシャーをかけるわけではないが、それくらい「優勝」という結果を残さなければならないし、結果を意識しなければならないと思っている。

 思い起こすと、自分が初めて「日本代表」と名のつくものに選ばれたのは、高校生の時だった。同世代の選手たちが集まり、行なわれた合宿が最初だった。たしかU-20ワールドカップを見据えて、世代別の日本代表の活動がスタートした時期だったように思う。

 しかも、当時は代表ではなく「代表候補」。それでも誇らしかったが、自分はケガも重なり、その後は世代別代表に選ばれる機会はなかった。以降も招集されることはなく、育成年代では日本代表に縁がなかった。

 だから、初めて日本代表のユニフォームに袖を通したのは2011年。大学2年生で参加した第26回ユニバーシアード競技大会だった。

 日本全国の大学生が選抜されて臨んだ大会は、多くがその後にプロの道へと進んだように、決してレベルの低いチームではなかった。そして、大学3・4年生が中心だったメンバーに、赤粼秀平(2023年現役引退)、椎名伸志(現・カターレ富山)とともに2年生だった自分が選ばれたことは、とても光栄だった。

 世代別の日本代表に選ばれることのなかった自分が、大学リーグでもまれ、そういったステージに立てる存在へと成長できたことを知る貴重な機会になったからだ。

 また、大会では大学選抜とはいえ、A代表と同じユニフォームを着て戦えることもうれしかった。

 実際、初めてサムライブルーのユニフォームを手に取った時は、日本を代表して戦うことの責任や誇りを感じた。今も袖を通すたびに身が引き締まるのは、責任感が増したと同時に、あの時の初々しさが甦るからだろう。

 中国の深圳(シンセン)で行なわれた第26回大会では、準決勝でロシアに4-1で勝利し、決勝でイギリスに2-0で勝利し、優勝する貴重な経験もできた。メンバーに選ばれたからには、自分もスタートから試合に出たい、活躍したいと、貪欲な姿勢で臨んだため、6試合中4試合に先発出場できた。

 そこは先輩たちがフォローしてくれたおかげもあって、自分に集中できたことが大きかった。自分にできることをやろうと、ガムシャラにやった結果、優勝という結果を残せて、うれしさと手応えを掴んだことを覚えている。

 一方で、僕は大学4年生で迎えた第27回ユニバーシアード競技大会(開催地=ロシア・カザン)にも出場している。優勝した前回大会を知り、最上級生として参加していただけに、多くを背負って臨んだつもりだったが、準決勝でフランスにPK戦の末に敗れ、悔しさを噛み締めた。

 ワールドカップの本大会やアジアカップといったA代表が臨む"それ"とは比較できる規模ではないが、グループステージを経て、決勝トーナメントを戦っていくユニバーシアードは、チームとして戦う一体感や勢いの重要性を学んだ。

 個人としてチームに慣れることはもちろん、ひとつの目標に向かって進んでいく一体感。その思いが強ければ強いほど、増せば増すほど、チームの力は倍増していった。

 たとえば、苦しい時に途中出場した選手がゴールを決めてヒーローになる。たとえば、その選手がピッチにいるだけで、チームを勢いづかせ、試合の流れを引き寄せる。そういった個々のパワーが、チームという"円"のなかに凝縮され、力として発揮されていく。自分にとって「チームとはまさに生き物である」ことを感じたのが、ユニバーシアードだった。

 2011年に深圳で優勝したうれしさ、2013年にカザンで3位に終わった悔しさとともに、大会を勝ち抜くために必要なこと、大切なことを感じた機会だった。

 だから──。

 2月11日の決勝まで、約1カ月にわたって行なわれるAFCアジアカップ2024も、期間中はさまざまなことが起きるだろう。累積警告などで次の試合に出場できない、または大会期間中に誰かが負傷する可能性だってある。

そうした出来事に左右されずに、チームとして乗り越えられるかどうか。それには、先発する11人だけでなく、メンバーの全員が「チーム」という単位を意識して戦い抜く必要がある。

 実際、いかに準備が大事かは、カタールで戦った2022年のワールドカップで自分自身が身をもって感じた。スタメンではなくとも、途中交代に備える、もしくは次の試合に向けて準備を続ける。その姿勢があったから、自分はグループステージ最後のスペイン戦と、ラウンド16のクロアチア戦のピッチに立てた。

 準備をし続ける姿勢は、今大会でも変わらず示し、チーム全体に共有させていきたい。それぞれが準備を怠らず、出場機会を待ち続け、得たチャンスで結果を残す。

 個々の力が、大きな円になり凝縮された時、膨大なパワーとなることは、何よりも僕自身が知っている。

◆第14回につづく>>


【profile】
谷口彰悟(たにぐち・しょうご)
1991年7月15日生まれ、熊本県熊本市出身。大津高→筑波大を経て2014年に川崎フロンターレに正式入団。高い守備能力でスタメンを奪取し、4度のリーグ優勝に貢献する。Jリーグベストイレブンにも4度選出。2015年6月のイラク戦で日本代表デビュー。カタールW杯スペイン戦では日本代表選手・最年長31歳139日でW杯初出場を果たす。2022年末、カタールのアル・ラーヤンSCに完全移籍。ポジション=DF。身長183cm、体重75kg。