意外と知らない、初詣のマナーとは(写真: zak /PIXTA)

年末年始の定番行事の1つになっている初詣ですが、いつどこにどんな方法で参拝するのが正しい方法なのか、知らない方も多いのではないでしょうか?初詣の歴史やマナーについて、山陰地方(鳥取・島根)で呉服店「和想館」を経営、「君よ知るや着物の国」の著作がある、着物と日本文化の専門家の池田訓之氏が解説します。

初詣の歴史と由来

初詣と言えば、年越しの除夜の鐘が鳴るころから神社に向かう方、元旦に参られる方、近所の神社で済ます方、遠出して有名な神社に参られる方……、いずれにしても、多くの方が正月三が日の間には、どこかの寺社に向かわれると思います。

このような習慣になったのは、実は明治以降のこと。本来は、正月の寺社参りは家の長が代表で行うものだったのです。

初詣が、日ごろ見守ってくださっている神仏に、1年間見守ってくださったことへの感謝と、今年も見守ってください、さらには何かの祈願を込めてお参りする儀式だとするなら、日ごろからその地域を見守ってくださっている氏神様を祀っている寺社に参るというのが筋だと思います。

もともとは、家長が代表で年末から新年の朝まで地域の寺社に泊まり込んで、祈り続けて、氏神様とともに新年を迎えていました(年籠り)。

それが、大晦日に1年の感謝の気持ちで参る(除夜詣)、新年になって今年1年お世話になる気持ちを込めて改めて参る(元日詣)というふうに、年末と年始の2回参る形に変わっていきます。いずれにしても、家長が代表で参ります。

一方、家長以外の家族は家にとどまります。家には新しい年になると年神さまがおいでになるからです。この年神様を家にお招きする目印が門松、家で留まられる場所が鏡餅なのです。おせち料理をつくるのは、女性も家事をせずに、年神様とゆっくりと過ごすためなのです。

そして、年神様がお帰りなると、氏神様に家長以外の家族は初めてお参りに行きます。だから、本来は松の内があけた後に近くの寺社に挨拶に行く、それとともにその年の恵方の方向にある寺社に、年神様がいらっしゃるので、そこにも挨拶に行く(恵方詣)のが習わしでした。

明治になると鉄道が開通、閑散期の正月に乗降客数をアップしようと鉄道会社が考えたのが「初詣」というイベントなのです。多くの人がお休みの正月三が日に、「鉄道にのって有名な寺社に恵方詣に出かけよう」、としかけたのです。「成田山新勝寺へ初詣に汽車で行きませんか」というキャンペーンが大ヒット。

これに続けと、全国で鉄道会社と寺社が恵方はこちらですと言い出し、かえって「恵方詣」が薄れる。方角に関係なく電車にのって正月三が日中心に有名な寺社に参るという「初詣」が、新たな日本人の習慣となっていったのでした。

参拝するのは神社でもお寺でもOK?

今まで、寺社と書いてきたので、読者の中には、「初詣は寺でも神社でもいいの?」と疑問を持たれていた方もいらっしゃるのではないでしょうか? 実はどちらに参られるのもOKなのです。

今のように、寺と神社の役割を分けだしたのは、明治時代の神仏分離令からです。明治政府は神道を国教化してその威信で政治力を高めようとしました。結果として神道を基本とする神社と仏教を基本とする寺は分けられたのです。

それまでは、寺の中に鳥居があり、神社の中に三重や五重の塔があるように、互いの役割を補完しあっていました。そもそも万物に神様を感じ八百万の神を信仰する日本人にとってどんな神仏をまつっているかは、それほど重要ではなかったのです。

神仏分離以降は、神社は神様をまつっている、寺は仏様をまつり死者を弔う場というすみ分けができたので、初詣は神社に行くという人が多くなりました。でも、川崎大師や浅草寺など、今でもお寺に初詣に参る方もかなりあります。

複数の寺社に初詣に参られる方もあると思いますが、行った先の神様同士の間に確執を生んでしまい、よくないのでは?と疑問をもたれている方もいるのではないでしょうか。

大丈夫です。八百万の神というようにたくさんの神仏が存在し、その神仏は協力しあってわれわれを見守ってくださっていますから、気を悪くされることはありません。

例えば、1つの神社の中に、いくつかの末社があったり、七福神巡り、八十八か所巡りなど何か所もの神仏に願いをかける祈願法があるように、複数の寺社へお参りすることは、問題ありません。

初詣の正しいマナー

大事なのは、それよりも、お参りの仕方でしょう。偉大な力を備えた神仏でも、すべての人の願いをかなえるのは無理というもの。せっかく参られるのなら神仏に願いが届くようにしたいですよね、初詣の正しいマナーについてお話ししましょう。

まず神社へのお参りの仕方を考えてみましょう。神社は鳥居があるところからが、神様がおられる場ですので、鳥居の前で一礼し、くぐったら心を落ち着け、自己紹介をしながら、参道の真ん中を避けて歩きます。真ん中は神様が通られるからです。

水と柄杓が置いてある場(御手洗・ミタラシ)で、柄杓に水を汲み口と手を清めます、身体を清めるためです。こうして心と身体を清らかな状態にして拝殿の前に立ちます。そしてお賽銭を入れて、鈴を鳴らします。神様に存在を知らせるのです。

その後に拝礼を行いますが、作法は二礼二拍で祈願、最後に一礼です。まず神様に2回礼をします。この時には頭を90度まで下げます。人間同士の挨拶は45度までですが、神様は人を越えた存在なので90度まで頭を下げます、正確には礼ではなく拝と呼びます。2回行うのは、通常の挨拶とさらに神様への挨拶として行うという意味です。

その後二拍、つまりパンパンと2回手を叩きます。これは穢れを払うため、そして神様をお呼びするためです。そして願い事を述べます。最後にこの機会をいただいたことへのお礼の気持ちでもう一度一礼して、拝礼は終了です(神社によって作法は異なることがあります)。

お寺の場合も、一礼して山門をくぐり手や口を清め拝殿に向かいますが、大きく違うところは、神社のように手を叩かず、ただ静かに一度手を合わせて合掌するという点です。

合掌するのは仏さまと1つになるためです。神社の神様は大自然や衣食住を司る神々が多く、その神々と一体になるという概念はなく、穢れを払って向き合うのです。そのために、礼を複数回行い、さらに柏手を複数回鳴らすのです。

最後に、初詣には、何を着て行けばよいのでしょうか? 新年の神仏詣でがこのようにレジャー化したとはいえ、神仏自身には何の変化もありません。古来より超自然的、超人間的な力を神仏に感じるからこそ、人は新年の神仏詣を繰り返してきたのでした。

初詣には着物を着たほうがよい


レジャー気分ではなく、本当に神仏という崇高な存在に感謝や祈願を通したいとの気持ちで参られるのでしたら、神主やお坊様同様に、日本の礼装着である着物を着たほうがよいでしょう。

最も格の高い女性の第一礼装着といえば、黒留袖と黒紋付です(黒留袖は既婚者のみ着用)。

五つ紋に黒色の無地の着物は正式には黒紋付と呼びます。弔いごとに黒共帯をしめる着方を喪服姿とよぶだけで、金銀の袋帯をしめれば祝い事に着ることもできるのです。

黒の紋入り姿が仰々しいと思われるなら、振袖、色留袖、訪問着、付け下げ、紋入りの色無地や江戸小紋といった礼装着でも良いと思います(振袖は未婚者のみ着用)。男性の礼装着は紋付の羽織に袴、一番格の高いのは黒紋付、色紋付がそれに続きます。

着物の背中の家紋はご先祖様を現します。着物の袖が長いのは周りとの縁をつなぐため。太い帯でお腹を締めることで自然にへそ下のツボである丹田に氣が下がり気持ちが落ち着きます。着物で、それも家紋入りの着物で参られるのが、神仏に一番敬意を表す姿になります。

(池田 訓之 : 株式会社和想 代表取締役社長)