理科の教育者として勤める傍ら、たくさんの本を執筆してきた左巻健男さん。理科教師への道へ進み、そして理科の本、反ニセ科学の本を書くようになった人生のみちのりを伺った(筆者撮影)

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむが神髄を紡ぐ連載の第113回。

理科を楽しく学べる本から、反ニセ科学の本まで

左巻健男さん(74)は長年にわたり理科の教育者として勤めてきた。中学校、高校、大学で勤める傍ら、教育者時代からたくさんの本を執筆されている。本人も何冊関わったかははっきりと分からなくなってしまっているそうだが、国会図書館で調べたところ少なくとも300冊は超えている。

もちろん、ほとんどが理科(物理、化学、生物、地学)に関わる本だ。

『絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている(ダイヤモンド社)』

『1日1ページで小学生から頭がよくなる! 宇宙のふしぎ366 (きずな出版)』

『化学で世界はすべて読み解ける 身近な疑問からはじめる化学入門 (SB新書)』


『絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている』

など、老若男女問わず理科を楽しく学べる本が多い。

また、次のようなニセ科学を取り扱った本も上梓されている。

『陰謀論とニセ科学 - あなたもだまされている - (ワニブックスPLUS新書) 』

『学校に入り込むニセ科学 (平凡社新書)』

『暮らしのなかのニセ科学 (平凡社新書)』

私事だが、知り合いでニセ科学にハマってしまっている人がいた。インターネットを見ているうちにいつの間にか、陥ってしまったようだった。口で説明してもなかなか納得しないので左巻さんの『陰謀論とニセ科学 - あなたもだまされている - 』を渡した。するとその人から電話があり、


『化学で世界はすべて読み解ける 人類史、生命、暮らしのしくみ』(SBクリエイティブ)

「呪いが解けた!! (ニセ科学から)抜け出すことができた」

と言われた。

インターネット時代になって、簡単に多くの物事を検索できるようになったが、間違った情報もネットにはたくさん転がっている。リテラシーが弱い人は、いつの間にかニセ科学にハマってしまいがちだ。医療関係のニセ科学も蔓延しており、命に関わることもある。個人的に、

「こんな時代こそ、左巻さんの本は必須だな」

と思ったできごとだった。


(筆者撮影)

話が横道にそれたが、今回は左巻さんに、理科教師への道へ進み、そして理科の本、反ニセ科学の本を書くようになった人生のみちのりを伺った。

初めて先生に褒められた「左巻君、理科できるね」

左巻さんは栃木県小山市に生まれた。

「今は『頭良いですね』って言われることが多いですけど(笑)、小さい頃は全然ダメ。

僕の親は小学校上がるまでに『あいうえお』や『1から100まで数える』などを教えようとしたんですけど全然覚えられなくて、父親に裸にされて庭にほっぽり出されましたね」

左巻さんの父親はなかなか気性の激しい人だった。酒に酔い日本刀を片手に持った父親に追いかけられたこともあったという。

折檻を受ける左巻さんをかわいそうに思った母親が、子連れで逃げたこともあったが、見つかって連れ戻されて結局折檻を受けた。

「小学校入っても勉強とかよく分からないんですよ。勉強をする習慣も身についていなかった。授業中は静かに座っていられなくて歩き回ったり、紙を丸めて他のやつに投げつけたり。今の基準だったら発達障害と診断されてたと思います。そんなんだから、小学時代は将来『科学者になろう』『科学の本を書く人になろう』だなんて、一度も思ったことがなかったですね」

理科の道に進むきっかけになったのは小学5年の担任の先生だったという。若い女性で、ピシピシと歯切れよい教え方をする先生だった。

「その先生、もともとは音楽専門の先生なんですけど、ひどいんですよ。みんなで歌っている時に、僕の方を指さして、

『これからは、あなたは歌わないで』

って言うんです。僕が音痴なのに大声で歌ってたのは事実だけど、歌うなって。悲しくて下向いて泣いてましたよ。でも、その先生と何かの話をしてる時に、

『左巻君、理科できるね』

って褒めてくれたんです」

左巻さんが先生に褒められたのはそれが初めてだった。その言葉は少年の胸にスッと染みた。

「それ以降、図書室に行って理科の本を読むようになったんです。理科の本って『謎を追求する』部分があるじゃないですか。そこから、ドイル(シャーロック・ホームズ・シリーズ)やサイエンスフィクションとか冒険小説などを読むようになりました」

それまでは家に帰ると、ランドセルを放り投げて川に行って魚をとったり、山に行ってキノコ採りとクリ拾いをしたり、友達とベーゴマやメンコをしたり、だった。

そこに読書が加わったのはとても大きかった。

「家庭の事情で転校することになりました。中2までは小山市にいて、中3から東京の文京区の中学に転校しました。田舎の学力劣等生が都会の中学生になったんです」

新しい中学校のクラスで、左巻さんの成績は下から2番目だった。

三者面談で、担任の先生に

「高校には行くつもりなのか?」

と尋ねられた。

「『行きたい』って答えました。だったらどこに行きたいんだ? って言われて、当時学区のトップの学校を言ったら、先生は深刻な顔でうつむいちゃって……。『そもそも今のままだと、行ける普通科の高校がない』って言われました。僕は小学校の時から理科が好きだったんですね。だから工業高校なら入れるところがないか? って聞きました」

先生は悩んだ末に、一番簡単に入学できる工業高校の機械科と電気科を勧めてきた。

「僕は手先が不器用なので、機械科と電気科は、手を詰めたり感電しそうだから……」

という理由で断った。

「今ちょうど授業でやっている化学が好きだし得意です、化学がやれる高校はありませんか?」

先生に尋ねると、「死にものぐるいで勉強する気はあるか?」と聞かれた。左巻さんは「やります」と答えた。

「かなり必死に勉強して、その高校に受かりました。ただ、他の生徒は余裕持ってその高校に入学してるんです。僕だけ死にものぐるいで入学したから、学業についていくのは大変でした。

ただ『化学の実験をしてレポートを書く』という授業は大好きでしたね。実験大好きでしたし。逆に、製品の製造プロセスの工程を丸暗記するような授業はまるで苦手でした。

総じて成績は良くなくて、その頃はじめて自我の目覚めがありました」

『俺は一体、これからどうなっていくんだろう?』

と高校2年生の左巻少年は思った。

「成績は悪い、手先は不器用、そして友達を作るのも苦手。3つのマイナス点を抱える人間が、今後どうなっていくんだろう? って。ろくな将来が待っていないのは火を見るよりも明らかで……。やっぱり大学へ行こうと思いました」

中学の数学も分からないのに、高3の数学を独学

大学進学は現在よりもずっと難しかった。

その中でも非常に偏差値の高い大学『東京工業大学』を目標にして頑張ることにした。

「東京工業大学は数学の配点が高いです。当時は数学は全然ダメで、そもそも中学の数学が分かってない状態。その頃からやり直すのが良いかもしれないけど、今からやり直すと何年もかかる。だから、逆に来年の高校3年生の数学を自分で勝手に勉強しようと思いました」

書店に行って高3で習う微分積分の本を探した。なかなか良い本は見つからなかったが、例題の解答が詳しく書いてある本を一冊選び買ってきた。

その本を読み、問題はいまだ解けっこないので、例題の解答を見ていった。

「もう最初の一行目から分からないんです。すぐに鉛筆と参考書投げちゃって。でも次の日も、その次の日もがんばって机に向かいました。一行ずつ、頑張って読み解いていきました」

一年間、毎日微分積分を独学で勉強した。

はじめは5分で匙を投げていたのが、いつしか1時間、2時間と集中して勉強できるようになっていた。高3に上がる頃には、ほとんど追試を受けなくて良くなった。

三者面談では、先生には相変わらず、

「高3に上がれるか心配している」

と言われたが、左巻さんは、

「もう少しだけ待ってください。もうすぐ、今やってる勉強の成果が出るはずなんで」

と答えた。

高3のある朝、先生が朝のホームルームで「自分が教員になって、人間ってやればできるってことをこの歳ではじめて知ったよ。今までこのクラスでいたある生徒が、今度の試験で一番になりました」と発表した。

「名前は言いませんでしたが、僕のことでした。職員室では不正行為を疑う先生もいたらしいですけど、担任は『いや、彼はやっと自分の力を出したんだ』って話してくれたそうです」

「僕みたいな人間が教師になるのも良いかもしれない」

高校3年生になってやっと成績がクラスで上位になった。


ただ、もちろん大学進学となるとまた話は別だ。模試の全国順位ではまだまだかなり下の方だった。

「僕の上には大勢の人がいましたが、でも僕の下にもいっぱい人はいました。『なんだ俺の下にもこんなに人がいるんだな!!』って。行ける高校がないって言われてた僕の下にも、いっぱい人がいるんだなって。そう思うとリラックスできました。

そこからも浪人したり苦労はしましたけど、結果的に千葉大学の教育学部に進学しました。東京工業大学は結局、一度も受験しませんでしたね」

教育学部は基本的には教師になりたい人が進学する学部だ。

「高校時代は人間関係が苦手だし、孤高の化学者みたいなのに憧れていました。ただ少しずつ、僕みたいな『学生時代勉強ができなかった人間』が教師になるのも良いかもしれないなと思い始めました。

子どもたちに対して、ちょっと違った教師になれるんじゃないか? って。それに人間関係が苦手な点に関しても、教師だったら相手にするのは生徒だけだから、なんとかなるんじゃないか? って。

実際なってみたら、生徒の親に同僚に校長に教育委員会にって、すごく人間関係難しかったですけど(笑)」(後編に続きます)


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(村田 らむ : ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター)