毎年現場でM-1の準決勝と決勝戦を見ている中村伊知哉氏が、『M-1はじめました。』を読んで感想を寄せた(写真:Fast&Slow/PIXTA)

12月24日に行われる「M-1グランプリ」の決勝戦に向けて世間の期待と漫才熱が高まる中、2001年にM-1を立ち上げた元吉本興業の谷良一氏がM-1誕生の裏側を初めて書き下ろした著書『M-1はじめました。』が刊行された。

コンテンツ産業に造詣の深い、情報経営イノベーション専門職大学(iU)学長の中村伊知哉氏は、本書が「M-1創設ドキュメンタリー」であるだけでなく、「プロジェクト・マネジメント教書」でも「一級の漫才論」でもあると言います。

「インフラ」になったM-1


今年も「M-1グランプリ」の季節となった。クリスマスイブの決勝をフィナーレに、過去最多の8540組が参加する漫才の頂上決戦。

8月に1回戦が始まり、2回戦、3回戦、準々決勝、準決勝を経て、決勝には10組が登壇し、王座を競う。2001年にスタートして、4年の休みをはさんで今回が19回目の戦い。21世紀の日本が生んだ発明品である。

本書は、谷良一元吉本興業ホールディングス取締役によるM-1創設ドキュメンタリー。

うらやましい。こんな仕事に携われるなんて。M-1は1番組じゃない。1イベントじゃない。インフラである。今や漫才は先端の表現で、M-1は憧れる若者の頂点であり、全国の挑戦者が集うプラットフォームである。

22年前に開始したプロジェクトが歴史に刻まれる文化にまで育った。そのころ漫才は過去のものになっていて、「前の漫才ブームはたった2、3年で」終わった。のに、「M-1は普通名詞に」なり、「今や漫才師が出ていない番組を探すのが難しい」状況を作り、「ブームではなく、完全に定着した」。全関係者による、偉業だ。

マンザイ。サンパチマイク1本、自分たちで作品を作り、2人で対話するだけの原始的な表現。それで数百万人を爆笑させる。世界にない表現だ。ピン芸やコントは欧米はじめ各地にあり、中国にも似たエンタメはあるが、日本は際立った洗練をみせ、高度な芸に昇華させた。

M-1は練り上げた4分のネタで勝負する年に一度の機会。世界トップの座を狙うのだ。結成15年以内のしばりがある8540組の出場者のほとんどは漫才では食えず、バイト暮らしやプーだったりする。だが優勝者は一夜にしてスターとなる。決勝に進めば景色が変わるという。ストイックな戦場だ。

漫才になだれ込むトップ層

かつて才能あふれる若者は、小説、芝居、映画、音楽、ゲームへと身を投じてきた。創造力がほとばしり、表現力に覚えのある奴らは、ペンに魂をかけ、ギターをかき鳴らして叫び、カメラを担いで走った。

いまトップ層は漫才に来ている。天才クリエイターたちがこのジャンルになだれ込んでいる。楽器もカメラもコンピュータもいらない。目の前にマイク1台あれば、いや、なくたっていい、体2つでぼくたちを揺さぶる。かっこいい。

お笑い芸人。かつて社会の底辺にあった。M-1はそれを上層に引っ張り上げた。笑われる連中が、かっこいい存在となった。バカにされる連中が、あこがれの存在となった。行き場のない、やさぐれていた子が多い。そして最近は驚くほどに高学歴の子も多い。バックグラウンドや血筋やIQは関係ない。面白いかどうか、だけが問われる。M-1は最高の才能を惹きつけ育てる増殖炉である。

本書はプロジェクト・マネジメント教書でもある。それも経営学部で教わる頭やペンで繰り出す話ではなく、動かす足と、かく汗が人を揺さぶりコトをなしとげていく実話だ。

「M-1は、私と谷と2人で作った宝物です」と島田紳助さんが帯に書いている。2011年に引退して、ほとんど表に出てこなかった紳助さんが「私の提案を、谷は1人で動き、1人で作り上げていきました」とも語っている。核心をなす証言だ。

そう、M-1は「作った」プロジェクト。熱い発意から、ごく少人数でコトが始まる。全漫才師に面談をかけて動き始める。上司、部下、同僚。すんなりとは、いかない。テレビ局、スポンサー。ステークホルダーも多い。提案する。対立する。説得する。巻き込む。くじけない。そのリアリティがステキ!

優勝1000万円×ゴールデン全国放送。「終わった」漫才を復興するにしては振りかぶりすぎている。無茶だ。スポンサー探しもテレビ局探しも難航する。当然だ。商店街や町内会にも営業をかける。くじけない。吉本興業DNAのクソ力がほとばしる!

成功すると自分の手柄にしたがる人たち

20年経って、堂々の金字塔となった。反対していたのに、今になって「M-1は自分の業績だ」とうそぶく元テレビ局の人が登場する。成功したプロジェクトというのはそういうものだ。「あれはオレがやった」と言う人がたくさんいるのが成功した証拠。しかも、妥協せず、ガチンコを貫けたのは、関係するみなさんの「漫才愛」によるものだ。

ぼくもだいぶ漫才が好きなクチだ。ライブにも足を運ぶ。M-1の準決勝も決勝も、吉本の仕事をしていたこともあって無理を言い、このところ毎年現場で見てきた。

本書には予選に臨む芸人たちが舞台脇でひりつくネタ合わせをするシーンが描かれる。ぼくも決勝本番直前、テレ朝のトイレや廊下で壁に向かってネタ合わせする鬼気迫るトップアーティストたちを見て、泣いてしまったことがある。漫才師というアーティストをこのうえなく尊敬する。そして、そんな現場を作ったみなさんのことを尊敬する。

第1回決勝戦の模様が本書に詳しく描写されている。今や大御所となった芸人たちも、すでに大御所として審査員席にいる人たちも、みなそこまでひりつく緊張感に押しつぶされていたのか。テレビやDVDでは伝わりきらない、トゲを差し込まれる現場の空気を感じる。

そして、吉本主催のイベントに松竹芸能から出場して健闘したアメリカザリガニを紳助さんが「よくがんばりました」と評価するシーンは、M-1のガチ文化を形作ったポイントだと思う。それを特筆する谷さんの姿勢には、漫才そのものを大切にする意思を感じる。

ハイレベルで緊迫した第1回には、M-1を19回にわたり成長させることになる養分が濃縮されている。

第1回の芸人はその後20年を一線で支えた

芸人も色とりどりだ。中川家には当時、事情があって、漫才しか残っていなかった。そこからの初代王者獲得には鬼気迫る物語がある。

フットボールアワー、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、笑い飯、千鳥、麒麟、ダイアン、華丸大吉……。みな物語を持ちながら、当初からここを主戦場と見定めて、挑戦したプレイヤーがその後20年を一線で支えてきた。ジャンルを作り、栄えさせるのは、そうした能力と、戦う意思のある人々である。

そう、本書は一級の漫才論でもある。表現に対して、歴史を踏まえた球をスパンと投げ込む。谷さんは最後に改革者としてエンタツ・アチャコ、ダイマル・ラケット、いとし・こいし、やすし・きよし、カウス・ボタン、紳助・竜介、ダウンタウン、笑い飯の名を挙げる。同意する。

一般教養として学ぶべきだとぼくは思う。むろん同意しない人もいよう。かまわない。漫才は、それぞれの好みや思いを戦わせる存在となった。M-1は漫才を論や学にした。

ダウンタウン以後の漫才師、M-1以降の漫才師は、師匠を持つ徒弟制ではなく育ち、漫才作家を持たず自作で勝負する。コンビの腕でのし上がるシンガーソングライター。アーティストなのだ。

だからこれも谷さんが言うとおり、マヂカルラブリー、ヨネダ2000、ロングコートダディなど邪道と言われかねないネタが決勝に勝ち残る。新しいモデルが開発され、新しい表現が生み出され、進化し、型にはまった古典にならない。同じお笑いでも、昔のネタをコピーする落語とは真逆だ。

とはいえ仲よしコンビじゃないと面白くないと谷さんは言う。特に仲よしきょうだいの強さを挙げる。中川家、ダイマル・ラケット、いとし・こいし、お浜・小浜、はんじ・けんじ……。漫才=コミュニケーションとしての表現の基点は、人と人の間柄だということだ。

学生にも漫才を学んでもらいたい

ぼくも学生にコミュニケーション=漫才を学んでもらいたい。とりわけ、デジタル時代に求められるコミュニケーションのスキルは漫才がエキスだ。

というわけで、ぼくが実行委員長を務める京都国際映画祭では「きょうの寄席〜iU学長くん推し」を開催し、学生にも課外授業として学ばせている。これまで2回行い、ティーアップ、Dr.ハインリッヒ、金属バット、デルマパンゲ、天才ピアニスト、ハイツ友の会、ダブルヒガシら、攻めたラインナップ。毎年やりたい。学んでもらいたい。

「ところで、お前はどうなんだ」、ですよね。ぼくも学ばなければなりません。いずれM-1に挑戦したいと考えています。1回戦突破が人生の次の目標です。谷さんにご指導いただくつもりでございます。

(中村 伊知哉 : 情報経営イノベーション専門職大学(iU)学長)