箱根予選会に挑んだ放送大学関西の舞台裏...妻子持ちの34歳、多忙の研修医ら選手に一斉メール「明日はみんな来られますよね?」
全国の大学に門戸が開かれた第100回箱根駅伝の予選会。関東以外で出場した大学のなかでもっとも話題を集めたのは、もしかしたら放送大学関西だったのではないだろうか。
「関西のどこかの大学が箱根出場を決めていたら、ここまで(話題)にはならなかったと思います。それがいなかったから、こうやって取り上げていただいているのかもしれません」
1989年生まれの34歳、大会最年長だった外村翼(1年)は冷静にこう振り返る。
10月14日の箱根駅伝予選会に大会最年長で出場した放送大学関西の外村翼(中央) photo by Wada Satoshi
平均年齢28.8歳、全員が社会人。「文武労働」を掲げ、働きながら、学業にも競技にも取り組む彼らの箱根駅伝予選会への参戦は、多くの人にとって寝耳に水だった。それもそのはず。10月2日のエントリーまでは口外することを、チーム内で禁止していたからだ。
「事前に広まってしまうと、たとえば、(他の通信制大学が)実業団上がりの選手を集めて、それで予選を突破するということもあるかもしれないーーそういう可能性を指摘されて(主催者に)参加基準を変更される恐れもあった」
もっともな意見だ。それゆえに、秘密裏にミッションは進められていた。
「たぶん放送大学で箱根を目指すことって、冗談で考えた人が過去にもいたんじゃないですかね。ただ、予選会に出るのには出場資格がありますから、条件をクリアし、実際に行動に移す人がいなかったのかな」
こう話すのは、創部メンバーのひとりでありキャプテンを務める村上将悟(4年)だ。【偶然が重なりやってきた一度きりのチャンス】
そもそも3年前にチームを立ち上げたきっかけには箱根駅伝予選会があった。
「予選会を目指そうと思って、放送大学陸上部をつくろうと思ったんです。でも、関西に住んでいるとルール上、出場できなかった」
今回の100回大会の特例を除けば、予選会への出場は関東学生陸上競技連盟の登録者でなければならない。しかし、関西在住だと関東学連に登録できなかった。そこで、目標を丹後大学駅伝(関西学生対校駅伝競走大会)にシフトし、創部2年目に出場に漕ぎ着け、2021年から晩秋の丹後路でタスキをつないでいる。
一度は諦めたはずの箱根駅伝予選会だったが、事態は急転する。昨年6月30日に、全国の大学に門戸が開かれることが発表されたのだ。
「本当に偶然に偶然が重なりました」
4年生になる村上にとって、一度きりのチャンスが巡ってきた。
だが、全国に開放されたからといって、簡単に出場できるわけではない。決められた期間内で10000m34分00秒以内の公認記録を持つ選手を10人そろえなければならないのだ。これが、なかなかハードルが高かった。
もともと放送大学関西には、関西で活動しているランナー仲間が集結しており、予選会を目指すに当たって、彼らの周辺のランナー仲間に声がかかった。
外村もそのひとりだった。
「丹後駅伝には失礼ながらあまり興味はなかったんですが、村上と共に立ち上げメンバーである山口(雄也/4年)から連絡をもらって、箱根予選会に出られるなら入学するしかないやろ、と思いました。自分のなかでは即決でしたね。子どもが生まれて3カ月くらいのタイミングだったので、もちろん妻にも相談しました。放送大学は入学金や授業料は安いんですけど、学割はフルで活用できるんです。その点をアピールしました(笑)」
家族の理解を得て、無事に入学。外村は大阪経済大の職員として情報システム課で働いており、放送大学では仕事にも役立つ情報コースで学んでいる。他のメンバーも「仕事に直結する学問を専攻している」と外村が言うように、「文武労働」を実践している。
外村は、大阪・清風高時代に全国高校駅伝に出場した実績がある。かつては日本大で箱根駅伝を目指したが、本大会も予選会も走ることは叶わなかった。それでも、卒業後も一般ランナーとして走り続けていた。
「大学4年間で夢を叶えられず、人生に悔いを残していました。ただ、箱根駅伝は自分の人生で一番大きな存在だったので、もし箱根を走っていたら満足して、今も走っていなかったかもしれません」
もちろん本大会出場が現実的ではないのは重々承知していたが、走り続けてきたからこそ、再び箱根駅伝にチャレンジするチャンスが巡ってきた。奇しくも、外村の母校の日本大、勤務先の大阪経済大と、一緒のレースを走ることになるのだが......。
こうして仲間が集まっていったが、それでも出場条件をクリアすることは難しかった。その理由を、外村が明かす。
「そもそも関西で10000mの大会って非常に少ないんですね。走力のある選手がペースメーカーをして、仲間を引っ張ったりしたんですけど、なかなか10人がそろわなかったんです」
直前になっても厳しい状況は続いていたが、秋学期に条件を満たした選手が入学し、起死回生でエントリーすることができた。
しかし、難題は次から次へと降り注ぐ。
「エントリーしただけで終わってしまうのではないかと、ヒヤヒヤしていました」(外村)
全員が社会人である放送大学関西のメンバーは、土曜日に開催される予選会の前日に有給休暇をとって、参加することになっていた。しかし、研修医でもあるメンバーのひとりが、休みをとれないかもしれないという事態に直面した。
結局、事なきを得たものの、会場入りするまでの行動はバラバラだったため、当日朝、全員の顔がそろうのか、最後まで不安だったという。
「あるメンバーが、グループLINEに『明日はみんな来られますよね? 来る人はリアクションしてください』とメッセージを送ったんですが、リアクションがあったのが8人だけだったんです(笑)。なんとか当日を迎えましたが、最後の最後まで不安でしたよ」(外村)
彼らは、いくつものハードルを乗り越えて、ようやくスタートラインに立った。
いや、号砲が鳴ってもハードルはまだあった。レースの途中には、8km(29分30秒)、12.5km(47分30秒)と関門があり、それぞれ時間内に突破しなければならない。さらには、レースは1時間24分0秒で打ち切られるため、制限時間内にフィニッシュしなければ、記録が残らないのだ。
「消極的な目標かもしれないですけど、完走したいです」(村上)
本大会出場は無理だとわかっていても、自らのチャレンジとして完走を目指して彼らはスタートを切った。
その結果はーー。
最後のひとりが制限時間まで1分41秒を残してゴールにたどりつき、出場した10人全員がみごとにフィニッシュした。
走り終えて、仲間を称える村上の表情は誇らしげだ。
「エントリーできた時点で、ほぼ達成できたと言えるんですけど、そのあとスタートラインに立って、最後まで走りきることができて、今日はもう100点です」
57校中55位。たしかに箱根路は遠かった。だが、100回の歴史に、放送大学関西の名をしっかりと刻むことはできた。
今回の予選会には史上最多の大学が参加した。13枚の切符をめぐる争いは劇的だったが、そのはるか後方を走るランナーたちにも、それぞれにドラマがあったーーそれを教えてくれたのが、放送大学関西の挑戦だった。