人生に「夢を持つ」のはやめなさい…「自分は負け組だ」と落ち込む人が根本的に勘違いしていること
■マツコ・デラックスの番組内コメントに膝を打つ
2023年8月14日に放送された「5時に夢中!」(TOKYO MX)で、マツコ・デラックスが語った「夢」に対する言説が実にしっくりと来た。私はウェブメディアの「Sirabee」の記事で一連の発言を知ったのだが、人生の要点を見事に突いた内容に唸らされた。あれほどの成功を収めた人物でありながら、実に謙虚だと思わせる名言が並んでいる。
今回は、マツコが番組内で語った内容を引用したり、解釈したりしながら、私なりに常々考えている「幸せな人生の有り様」について述べていこうと思う。基本的には「私は私。あなたはあなた。それぞれに幸せな人生があるし、いちいち比較するな」ということに行き着く話だ。
番組中のトークテーマは「人生のピーク 何十代のときに持ってくるのが最も幸せ?」というもの。マツコは30歳前後の頃、経済的には貧しかったが、今よりもずっと楽しかったと語った。この発言を踏まえつつ、以下、マツコの発言を共に見ていこう。
■自分の置かれた状況をいちいち定義しない
→傍目から勝手に想像すれば、レギュラー番組の数とCMの数がとてつもなく多かった2010年代中盤頃がマツコの絶頂期で、それ以降も超高値安定で活躍し続けていると感じられる。
私は、このくだりのマツコの一連の発言について、「『不遇な時代』だの『昇り調子』『絶頂』『安定』『下降』『没落』だの、いちいち定義しようとしなさんな。どんな状況であれ、あなたはあなたであり続けているのだから」と解釈した。一般的には、仕事が多い“売れっ子”状態が「絶頂」と捉えられがちだ。が、前出の「30歳前後の頃が今よりずっと楽しかった」発言と合わせて考えると、「カネをがっぽがっぽ稼げる=絶頂」という意図をマツコが持っていないことがわかる。
この「絶頂」という言葉は、メディアがしきりと言いはやす「勝ち組・負け組」にも通じるところがある。自分が置かれている状況を過剰に意識してしまい、「オレは勝ち組だ、ガハハハ。愚民どもをタワマンの40階から見下ろすのは気持ちいいな!」や「オレは負け組だ。大学の同期たちは年収1000万円を超えているのに、オレは300万円台……」などと一喜一憂する。でも、それになんの意味があるというのか。
これを私自身に当てはめてみると、世間でいわゆる「一流」とされる会社にいた23歳〜28歳の頃を「絶頂」と捉える人もいるだろう。あるいは、会社を辞めてフリーになり、その後、会社をつくって最も稼いだ2013年が「絶頂」と見なされるかもしれない。現在、私は「もう競争はどうでもいい」と東京から離れ、佐賀県唐津市で半隠居生活を送っているが、人によっては「そんな余裕ある生活こそが『絶頂』でしょう」と評価するのだろうか。「あなたは悠々自適でいいですね」と。
■「絶頂期」の解釈は人により異なる
このように、人生の状況をどう捉えて、どう表現するかは人によって違うのだ。だからマツコも「絶頂」について「ないっしょ」と即座に返したのでは。気持ちを穏やかに保ちたいのであれば「さまざまな経験と蓄積を経て、現在の自分がある。いろいろあったけど、なんだかんだいって、今が一番幸せかもな」くらいの緩いポジティブさを持つのがよいのだろう。
私自身、4歳あたりから常に「今が一番いい」と感じながら生きてきた。28歳の3月31日で会社を辞め、無職になり、渋谷駅から徒歩25分・風呂なし・家賃3万円のアパートに入居した。そのときはさすがに「これからオレはどうなるのだろう……」という不安にかられた。しかしながら、一方で「もう、会社員時代の激務には戻りたくない。だから今のほうが幸せだ」とも思った。なお、最も激務続きだった入社4年目頃の私は「クソ忙しくて死にそうだけど、この若さで年収800万円台後半を得ているし、今が一番いい」と考えていた。
いよいよ会社員生活に耐えられなくなり、退職を決断した瞬間は「今が最悪だ!」と思ったものの、辞めると決めた数十分後には「会社を去る決定をした今の自分は最高だ」というメンタリティになることができた。このように、常に「今が最高」「絶頂は死ぬ直前に来るのだろう」くらいの感覚を意識的にでも持つようにすると、生きるのがラクになる。そのほうが余計なことにクヨクヨしたり、ドヤ顔を決めて他人を見下したりすることもなくなるはずだ。
■旅行は出かける直前が一番楽しい
→これは「絶頂」という概念にとらわれないマツコらしい発言だ。「絶頂」を経験したらあとは下降するだけ、というような価値観を持っている人と完全に相いれない考え方である。マツコは「カネはなかったけど、30歳前後の頃のほうが今より楽しかった」といった話をしていたが、「今後の人生で、あの頃より楽しい時間は来ない」とまでは言っていない。つまり、まだこれからも「何かを手にする前」のワクワク感を味わえるかもしれない、ということだろう。
この「何かを手にする前が一番楽しい」については、たとえば海外旅行が挙げられる。小学生の頃、修学旅行や林間学校の前日に期待感が高まっていくのが楽しくて仕方なかった。それと同様の感覚で、私はオッサンになった今でも、海外旅行は「出かける直前が一番楽しい」と感じる。実際に旅行が始まってしまうと、あとは「素晴らしい旅行の時間がどんどん減っていくだけ」という状況になるのだから。
「5泊6日、タイ・バンコクの旅」に出かけたとしよう。空港へ行くバスや電車に乗っているとき、ワクワクはMAXとなる。行きの飛行機もそれなりに楽しい。現地での初日は移動などで疲れていることもあり、夜は気持ちよく眠りにつけるのだが、2泊目の夜には「あぁ……もう2日目が終わってしまうのか」と、早くも寂しさを感じ始める。3日目の午後になると「ついに折り返し地点まで来てしまった……」と残念な気持ちが高まっていく。帰国前日を迎えてしまうと、心にはもはや寂しさしか存在せず、「タイに来る前日に戻してくれ!」とひそかに懇願してしまう。旅では毎回、このような心持ちになるのだ。そう考えると、私は“空港まで行くための電車やバス”を最大の楽しみに、次の旅を計画しているのかもしれない。
■「夢」ではなく「目標」を持て、と主張する理由
→まったくもって、そのとおりである。「夢」というものは持てば持つほど、自分がそこに到達できない状況を歯がゆく、情けなく、そして苦しく感じてしまう。拙著『夢、死ね! 若者を殺す「自己実現」という嘘』(星海社新書)でも書いたことだが、私は人生において、「夢」ではなく「目標」を持つことが重要だと考えている。
「夢」と捉えている限り、それは願望のままで終わってしまう可能性が高い。まさに現実感のない夢物語として、到達不可能なものに留まってしまうのだ。しかし「目標」であれば、到達できる可能性は格段に高まる。地に足の着いた具体的な目標のほうが、あいまいで現実感に乏しい夢より、手にできる確率が上がるからだ。
これについてわかりやすいのがスポーツだ。大学の体育会の場合(とりわけ、野球やサッカーといったメジャースポーツの場合)、私立であれば入部者の大多数はスポーツエリートだ。そのため、国公立大学は総じて私立大学よりスポーツが弱い。「私は東大野球部に入って六大学野球で優勝する」とどんなに願ったところで、正直なところ、かなり無理筋といえる。これは「夢」だ。一方、「私の力で連敗を止める」であれば「目標」といえよう。
■「自分が勝てる可能性」を冷静に見極める
そうした現実を冷静に見極めているのか、東大、京大、一橋大といった国立大学の体育会に入る学生には、合理的な考え方を持つ者が多い。「一般的に、大学生になってから始めることが多い競技に活躍の場を求める」という判断も、そのひとつだろう。京大アメフト部は社会人チームとの日本一決定戦・ライスボウルの常連だったし、東大も一橋大もそこそこアメフトは強い。また、東大のB&W(ボディビルディング&ウエイトリフティング部)は相当強い。なにしろこの競技は、自分ひとりの努力とストイックな食生活で強くなれる。そのほか、一橋の競技ダンス部は2021年に全国制覇を果たしているし、東大も一橋もボート部はなかなか強い。
「大学に進んだら体育会に入りたいが、他校とレベルが違い過ぎる競技で負け続けるのもイヤだな」と考える学生が、上記のような競技を選ぶのだ。「野球では名門私立には勝てないが、大学から始める人も多いアメフトやボート、ダンスであれば勝てるかもしれない」といった判断をする。これは実現可能性を冷静に見極めた「目標」である。
私が一橋大の学生だった1993年、「我が大学に日本代表選手がいる」という話を聞いた。その競技とは一体なにか。
まさかのカバディである。これが事実かどうかを日本カバディ協会に尋ねたところ「確かに1990年代前半、一橋の男子学生が日本代表でした」という回答を得た。本人に会ったことがないので真意はわからないが、彼には「あまり知られていないスポーツであれば、日本代表になれる可能性は高いはず」といった考えもあったのでは。もちろん、純粋にカバディが好きだったからこそ、高いレベルに到達できたのだと思う。そのうえで「選手層の厚い有名競技より日本代表に選出されやすい」ことも意識しながら、具体的な「目標」として努力したのだろうと想像する。
「日本代表」の称号は、相当インパクトが強い。就職・転職活動では強力なアピール材料になるだろう。ビジネスでも私生活でも、印象的な話題としてウケがいいはずだ。現役を離れてそれなりの年数が経った後も「日本代表経験がある」という実績を知れば、周囲から一定の敬意を抱いてもらえるに違いない。「母校に日本代表がいる」ということを知ったとき、私は「夢より目標」の重要性をより深く理解した。
■「憧れの人と一緒に仕事がしたい」が夢から目標に変わる
以前、当連載で「夢」に関する私見を述べたが(「"世界に一つだけの花"というウソ」夢をあきらめる人生のほうが絶対に幸せだ)、そこでも触れたように、私は20代前半の頃から「いつか作家・椎名誠氏と一緒に仕事をしたい」という夢を持っていた。30代中盤あたりまでは、文字どおり夢のままだった。しかし、35歳のときに自著『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)が売れ、さまざまなメディアから取材を受けたり、寄稿を依頼されたりするようになる。そうした場面で「尊敬する人は椎名誠さん」「椎名さんから強い影響を受けた」と、私はしきりに口にした。
私は編集者なので、取材を申し込んだり、原稿をお願いしたりすれば、椎名氏と接点を持つことも可能だった。でも、私はあくまで椎名氏から仕事のオファーをもらうことを望んだのだ。
こうして椎名氏への思いを何度も公言するようになると、さすがに椎名氏の関係者が私の存在を知ってくれるようになる。ここまで来ると「夢」から「目標」にグッと近付く。2015年、椎名氏の初期作品である「青春三部作」のひとつ『新橋烏森口青春篇』が小学館から文庫で復刊された際、私のもとに「あとがき」と「帯」の執筆依頼が来た。このオファーは本当に、自分の人生で一番うれしかった仕事だ。その後も同氏が責任編集を務める雑誌に2回寄稿したほか、私のセミリタイア記念トークイベントではゲストとして一緒に登壇もしていただいた。
「直木賞を取る」といった非現実的な夢を追いかけなくてよかった、とつくづく思う。「椎名氏から仕事をいただく」という目標を持ち、目の前の仕事を淡々と積み重ねていったことが正解だったのだ。
■成功するきっかけは「誰かとの出会い」
マツコも「こんなことを実現したい」と具体的な目標を持ちつつ、「でも、今だってそれなりに幸せだし、楽しい」と現状を受け入れ、粛々と仕事に取り組んできたのだと思う。それが今回の「5時に夢中!」での発言につながったのではなかろうか。「奇想天外な夢なんていらない」と認識することが、実は成功に近付く秘訣(ひけつ)なのかもしれない。
→この発言も実に含蓄に富んでいる。結局、人生なんてものは理想のロードマップをいくら描いたところで、そのようにならないもの。成功した人物の評伝や自叙伝を読んだりすると、たまたまの出会いが契機となり、そこから一気に躍進するなんてことが少なくない。だから、とりあえずは行き当たりばったりでもいいので、さまざまな場所に首を突っ込み、そこでよい出会いを得て、「打席」に立つ機会を増やすべきなのだ。
成功するきっかけとはなにか。私は「誰かとの出会い」にしか見いだせない。いくらすさまじい剛速球を投げる投手がいたとしても、スカウトの目に留まらなければプロ野球には入れない。どんなに天才的プログラマーであっても、その能力にホレ込んで投資をしてくれたり、導いてくれたりする人物がいなければ、なかなか世には出られない。
マツコにしても、もともとは雑誌編集者だった。おそらく「将来、絶対にテレビで多数のレギュラーを獲得してやる」なんてことは考えていなかったはずだ。毎日、粛々と仕事にあたるなかでいろいろな出会いを得て、あるときテレビ関係者から「毒舌で正論を述べる様が痛快だし、ルックスもテレビ映えする」と評価され、徐々に活躍の場面を増やしていったのだ。「流されるように生きてるから」という発言の真意は、そういうことなのだと思う。
■余計な期待を抱かずに生きる
→これは「余計な期待なんて抱かないほうががいい。世の中なんて、悪い状況がデフォで、いいことがあったらラッキーと思うべき」ということだろう。だからこそ、腹が立ったり、思いどおりにならなかったりした場合は、仲間や家族に愚痴る程度で、とっととスッキリしてしまえばよいのだ。どうせ期待どおりになんていかないことばかりなのだから、済んだことをいつまでも悔やんだところで無意味である。軽く愚痴ったら、あとは即座に気持ちを切り替えるのが重要、ということだ。
僭越ながら、ここまでマツコの心の内を勝手に推測して話を進めてしまったが、発言を振り返りながら、マツコの考え方と私の考え方には非常に似通ったところがあると、改めて思った。マツコの発言の意図は大きく外していないと考えるが、ここで述べてきたことはあくまで私の解釈(意訳)である。本稿の内容に関する責任は私にあることを、念のため強調しておきたい。
単なるキレイ事、絵空事に過ぎない「夢」や「成功」をやたらとありがたがり、本当に向き合わなければならない現実から目を背けてしまうような空気感が蔓延する、昨今の日本。そんななかで発せられた今回のマツコの言葉には、テレビ番組内のちょっとしたコメントとして聞き流してしまってはもったいないような、さまざまな示唆が溢れている。私は非常に感銘を受けた。さすがはマツコ・デラックスである。
【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・あいまいで現実感に乏しい「夢」なんて、持たないほうがいい。そのかわり、現実的、具体的な「目標」は常に意識しながら、日々の仕事に粛々と取り組むべし。----------
中川 淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
ライター
1973年東京都生まれ。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライターや『TVブロス』編集者などを経て、2006年よりさまざまなネットニュース媒体で編集業務に従事。並行してPRプランナーとしても活躍。2020年8月31日に「セミリタイア」を宣言し、ネットニュース編集およびPRプランニングの第一線から退く。以来、著述を中心にマイペースで活動中。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットは基本、クソメディア』『電通と博報堂は何をしているのか』『恥ずかしい人たち』など多数。
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(ライター 中川 淳一郎)