現在は札幌を指揮するミシャ。浦和時代に師事した関口は「細かいタイミングや立ち位置をすごく大事にする監督」と語る。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

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 関口訓充(南葛SC)と言えば、帝京高から2004年にベガルタ仙台入りし、プロキャリアをスタートさせた選手。仙台で計13年、浦和レッズで2年、セレッソ大阪で3年、南葛で1年半を過ごし、日本代表も経験するなかで、多種多様な指導者と出会ってきた。

「一番衝撃を受けた監督は?」という問いに、関口は「やはりミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ=現・札幌監督)ですね」と回答した。

 浦和での2年間は長いサッカー人生の中で短い時間。浦和時代の2013年は20試合、2014年は7試合とJ1出場試合数も少なかった。にもかかわらず、その名前を挙げたのには、それなりの理由があるという。

「ミシャはボールをもらうタイミングとかが普通じゃなかった。良い準備をして、良いポジションを取るとかだけじゃなくて、阿吽の呼吸で蹴る直前にこっちに動けとか、細かいタイミングや立ち位置をすごく大事にする監督だったので、すごく新鮮でしたね。動き出しやタイミングとかが良くなれば、絶対にプレーの質も上がってくると思います。

 一例を挙げるとすれば、3対3の練習。1トップと2シャドーを決めて、1・2・3と番号を割り振り、その順番通りにダイレクトでボールを触ってからゲームをするといったメニューがあったんですけど、メッチャ難しかった。1・2・3とダイレクトにパスするのは簡単そうに見えて、かなり難易度が高い。正確なポジション取り、良い距離感が求められるし、技術も必要。でも、それが上手くいけば、実際の試合でも崩せますよね。

 当時のレッズは、1トップ・2シャドーに(興梠)慎三や(柏木)陽介、原口(元気)なんかがいて、きれいで効果的な崩しがたくさんあった。それも日頃の練習から作られた連係の賜物だったのかなと思います」
 
 関口はスーパーサブ的な位置づけではあったが、名将と日本代表クラスの面々と日々、ボールを蹴ることで、アタッカーとしての自分が磨かれていく感覚を持てたという。

 新たな戦術やサッカー観に触れ、刺激的な2年間を過ごせたからこそ、選手寿命が伸びたという実感もある。それだけ浦和時代は大きなターニングポイントになったのである。

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 一番長く過ごした仙台時代も、関口にとっては不可欠だ。東日本大震災の起きた2011年にJ1・4位に躍進し、翌12年にJ1・2位まで順位を上げたこの2年間はとりわけ印象深い。当時、チームを率いていた手倉森誠監督(現チョンブリー)と関口は7年近くも共闘。強い絆で結ばれている。

「誠さんには本当に可愛がってもらったし、試合にも使ってもらいましたね。誠さんの下であれだけ試合に出ていなければ、その後の成長はなかった。外国人アタッカーを重視するクラブが多いなかで、誠さんは日本人選手を大事にしていたのも大きかったと思います」としみじみ語る。

 手倉森監督はコーチ経験が長かったこともあり、選手に寄り添いながら対話することを大事にしていた。20歳前後の頃、関口は移籍願望を打ち明け、ひざを交えて話し合ったことがあったという。

「当時の僕は、2008年の北京五輪を目ざしていた。でもJ2にいたんで、反町(康治)監督になかなか見てもらえなかったんです。今でこそJ2からも選手が選ばれるようになりましたけど、あの頃は基本的にJ1からしか選ばないという感じだったんです。

 それで誠さんに『J1へ移籍したい』と伝えたら、『今の環境に残って試合に出続けることに意味がある』と言われた。その言葉を受け止めて、自分は仙台に踏み止まった。

 逆に同期だった萬代(宏樹)は2008年にジュビロ(磐田)移籍を選びましたよね。でも、新天地であまり試合に絡めなくて苦労していた。そういう様子を目の当たりにして、誠さんが止めてくれたことに感謝した。仙台から離れていたら、2011年のザックジャパン入りも、今の自分も、なかったと思いますね」と関口は改めて感謝の念を口にした。
 
 手倉森監督の次に長い時間をともにしたのが、2015〜19年まで5年間、一緒に戦った渡邉晋監督(現・山形)だ。特に2018年は、シュミット・ダニエルや板倉滉、西村拓真、野津田岳人といった、のちに代表入りするタレントたちと共闘。J1の順位こそ11位にとどまったが、関口は新たな刺激を受けたという。

「ナベさんは現代サッカーを志向する指導者で、5レーンで戦いながら、そのレーンの中で1人で2人を困らせろと。そういうのはすごく面白かった。残留争いをした年もありましたけど、J1で4連勝することもあったので、しっかり戦えれば勝てるチームだったと思う。若い分、波が出ちゃったりはしていましたけど、良いチームだったと感じますね」

 波のある若い選手が多いというのは、今の南葛SCも同じ。Jリーグ未経験の大卒選手も少なくないため、関口としては西村や板倉、野津田らに接していた時のように、しっかりとした対話を心がけている。

「『アマチュアリーグだから許されているけど、Jリーグで同じことをやっていたらもう使われないよ』といった話はよくします。若い選手は、そうそうチャンスは巡ってこないわけだから、それをしっかり掴まないと先はない。

 ベテラン選手はそういうことを乗り越えて、チャンスを掴んでここまで来たわけですからね。そこが違うってことを若手にはよく分かってほしいし、目の前の一つひとつのプレーを大事にしてほしい。その積み重ねしかないんですよ」

 数多くの名指導者から薫陶を受けてきたプロ20年目のアタッカーの言葉は重い。高い意識を持ち続ける関口が、南葛の底上げの原動力になってくれれば理想的だ。

※第2回終了(全3回)

取材・文●元川悦子(フリーライター)