伝えるコミュニケーションにおいて、とても重要な役割をになっている「高さ」。その種類を紹介します(写真:Graphs/PIXTA)

何かを伝えるとき、長文メールになって「結局、何が言いたいかわからない」と言われる。話していても、いろいろ情報を詰め込みすぎて、うまく伝わらない。場面に応じて、「伝え方」を工夫しているのにうまくいかない。

それは「伝わる」メカニズムを知らないだけです。

多くの人が誤解しているコミュニケーションの仕組みを理解すれば、結果は大きく変わります。そのような「伝え方の原則」をまとめたのが、松永光弘氏の新刊『伝え方──伝えたいことを、伝えてはいけない。』です。

著者の編集家である松永氏は、これまでクリエイティブディレクターの水野学氏、放送作家の小山薫堂氏など、日本を代表するクリエイターたちの書籍を企画・編集。その後企業ブランディングなど、さまざまなコミュニケーションをサポートしており、顧問編集者の先駆的存在として知られています。

その経験から松永氏が気づいたのは、文章もお話もデザインも「伝え方の原則」は同じということでした。本記事では、同書から抜粋し、コミュニケーションの高さについてご紹介します。

伝え手と受け手の立ち位置

伝えるコミュニケーションにおいて、じつはすごく大切なのに、意外と注目されていない目線のひとつ──それは「高さ」です。

コミュニケーションの「高さ」。簡単にいえば、伝え手と受け手との間の「意識のうえでの上下関係」のようなものですが、この目線は文章や話を「伝わる」ものにするうえで、とても重要な役割をになっています。

たとえば、的確で正しいアドバイスをメールで書いて送ったのに、まったく相手に響かないことがあります。それどころか、怒らせてしまうこともある。じつはこういうケースにも、コミュニケーションの「高さ」がかかわっていることが少なくありません。それを象徴しているのが、ときに怒った相手から吐きだされる、次のような言葉です。

「見下したような感じが気にくわない」

つまりは、伝え手が受け手よりも高い位置から言葉を発しているということ。受け手はそれを感じとるから「気にくわない」……。

というのも、コミュニケーションの「高さ」は、単なる背景ではなく、言葉づかいなどの表現にも影響を与えます。そのせいで、「高さの設定」をまちがえると、主張の是非以前に、受け手に受け入れてもらえなくなってしまうのです。

だから文章を書いたり、話をしたりするときには、あらかじめ伝え手である自分と受け手との「高さの関係性」を意識しておくことが大切です。

では、その「高さ」には、どんな種類があるのか。典型的なものは、大きく分けて次の3つです。

・伝え手が上で、受け手が下 〈上意下達型〉
・伝え手が下で、受け手が上 〈下意上達型〉
・伝え手と受け手が同じ高さ 〈対等型〉


(『伝え方──伝えたいことを、伝えてはいけない。』より)

「意識のうえでの上下関係」といっても、ほとんどの場合は、社会的な関係性を反映することになります。ですから、もしそれがお互いにとって自然なものであれば、文章やお話でも同じ関係性に乗るようにするとスムーズに届きやすくなります。

ただ、「隠れ上下関係」には注意しなくてはいけません。

コミュニケーション関連の本などに、たまに「相手を理解してあげて、対等に話をすることが大事」というようなことが書かれていますが、じつはこの姿勢はそもそも対等ではありません。

「理解してあげる」という姿勢は、結局、無意識のレベルで「自分(伝え手自身)」を相手(受け手)より上位に置いています。対等のつもりでも、受け手には見下しているように受けとめられてしまう可能性があるのです。

先ほどの「見下したような感じが気にくわない」がもっとも起こりやすいのは、じつはこのケースだったりします。

相手が不特定多数の場合は?

さらにひとつ、大きな問題があります。受け手が1人の場合なら、先ほどの3つの関係性のどれかを意識すれば、それで事足ります。しかし、イベントの案内文などのように、受け手が不特定多数、つまりはいろんな立場の人たちである場合はどうすればいいのか。

「上意下達型」にすれば、本来「上位」におくべき人に受け入れてもらいづらいし、「下意上達型」にすれば、「下位」の人に気持ちのわるいものになる。「対等型」にすれば「上下」の人に受け入れられない……。

まさに「こちらを立てれば、あちらが立たず」です。こういうときは、「人」ではなく、「話題を置く高さ」を変えます。

話題自体を意識のうえで高い位置に置いて、伝え手である自分と、受け手とで、それをいっしょに見上げているようなコミュニケーションの仕方をするのです。

いわば、仲間とともに空に浮かんだ月を見上げながら話すような構図。これをぼくは「共望型コミュニケーション」と呼んでいます。


(『伝え方──伝えたいことを、伝えてはいけない。』より)

たとえば、経営者である相手にアートを学ぶことをすすめる、としましょう。先ほどの3つの型にのっとれば、それぞれ次のような表現になるでしょうか。

〈上意下達型〉「経営者ならアートを学びなさい」
〈下意上達型〉「経営者ならアートを学ばれてはいかがでしょう」
〈対等型〉「経営者ならアートを学んだほうがいい」

ただ、先ほどもお話ししたように、このうちのひとつを選ぶと、ほかの高さの相手には受け入れにくいものになってしまいます。だから、伝える相手が不特定多数のときは、話題自体を高い位置に置くようにする。

いまの例でいえば、こういう投げかけをします。

〈共望型〉「経営者にはいま、アートの感覚が必要だといわれています」

相手に向かって直接語りかけるのではなく、伝え手である自分と、受け手との間の高いところに話題を置いて、いっしょにそれを見上げているイメージ。

こうすれば、上位者に無礼と思われたり、下位者に卑屈と思われたり、対等な相手に妙な違和感をもたられることもなく、話を受け入れてもらいやすくなります。

「対峙」するか「仲間」になるか

じつは、「高さ」を意識した、この「共望型コミュニケーション」には、さまざまな立場の人たちに伝えやすいというメリットのほかに、もうひとつ重要な役割があります。

話題を「いっしょに見上げている」という心理的な姿勢のおかげで、受け手から「(コミュニケーションのなかで)いっしょに考えていく」という姿勢を引き出しやすいのです。


先ほどの3つの型を意識すれば、たしかに上下関係によるトラブルは起こりにくくなります。とはいえ、「高さ」が適切だったとしても、とくになにかを提案したり、教えたりする場合には、直接ぶつけるような投げかけになるだけに、ともすると押しつけがましさを受け手に感じさせてしまうことがあります。

でも、「共望型コミュニケーション」をとれば、ともに同じ課題に向きあっているという意識になりやすい。結果、いわば同志の関係性をつくることもできます。

伝え手として、受け手と「対峙」するのか、「仲間」になるのか。

どうせなら後者でありたいわけですが、そういう関係性をつくる大切な手がかりのひとつが、コミュニケーションの「高さ」という目線にあるのです。

(松永 光弘 : 編集家)