男性が「本音や弱音を吐きづらい」社会の問題点
男性同士の連帯感を描くことの難しさ――(写真:プラナ/PIXTA)
共同生活を通じて変化していく2人の父親の姿を描いた『プリテンド・ファーザー』をめぐって、著者の白岩玄さんと「男性学」の研究者・田中俊之さんが語り合う対談。ともに子育て中の2人は、子どもとの関わり方や自身の育ち方をめぐって共感し合った。(前回:『「男性の役割」を普通に受け入れることへの違和感』)
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父親同士の連帯はなぜ起こらないのか
白岩玄(以下、白岩):男性同士の連帯感を描くことの難しさをこの作品で感じました。僕は、感情や問題意識、違和感を共有し合える人たちが連帯していくことによって言葉は練り上がっていくという認識を持っているので、父親同士の連帯のしにくさは一つの問題だと思っています。
小説では、男性同士が一つの家で同居し子育てをするという状況はどうやったら成り立つんだろうと考えて、恭平が章吾をベビーシッターとして雇うという形を採りました。同居を始めてからも最初はお互い踏み込まないで、徐々にその関係性が変化していくのですが、そのあたりの描き方は難しかったです。
実際問題、僕自身が父親同士の連帯のしにくさを感じていて、子どもの習い事の待ち時間に行き合っても会話が続かない。父親同士の連帯が起こらないから、言葉も豊かになっていかないという気がします。もしパパ友を作ることができても、男性だけで互いの子どもを連れて遊びに行くとなると、サッカーとかサバゲーとか、目的がないとかなり難しい気がしてしまって。
田中俊之(以下、田中):僕も子どもを習い事に連れて行くんですけど、父親は少ないし、いてもパソコンを広げて仕事をしてるんですよね。子どもがサッカーをしている姿すら見なくて、本当に送り迎えだけしてるんだなと感じますね。子どもが頑張っている姿に関心がない人が多い気がする。
男性の場合は、ただお茶を飲みに行き近況を語り合うということが少ないですよね。ただ一緒にいるということがなかなか難しい。
白岩:父親の言葉が豊かにならないという現状をどうしたら解決できるだろうと考えた時に可能性を感じているのが、自分がどう育ってきたかということを男性が当事者として声を出すことかなと思っています。
こんなふうに傷ついてきたとか、こういうことが嫌だったといった感情面ですね。『プリテンド・ファーザー』では、章吾が自身の生い立ちを振り返って両親の言葉などによって傷ついた経験を語ります。一方で、恭平は、女の子を育てる父親として、自身のこれまでの女性への差別的な考えや固定観念に気づき、そのことを章吾に伝える。
そういうことを言語化していくことで、「父親の言葉」がこれまでとは違う響き方をするんじゃないかと思います。傷の開示や内省を含んだ、正直な告白によって伝わる力がもっと強くなり、社会も聞く耳を持ってくれるようになるのではないかと。
田中:そうですね。白岩さんのエッセイを読んで、お父様を早くに亡くした喪失感や自分が父親になることが最初はよくわからなかったという感覚をすごくストレートに書かれているという印象を持ちました。そのことが今のお話に関連しているのかもしれません。
白岩さんが言うように、自分がそもそもどう育ってきたのかを語ってみる。それに対して社会が聞く耳を持つということは重要だと思います。
白岩:田中さんは、自分自身がどう育ってきたかをお子さんに語ることはありますか?
田中:上の子どもが大きくなってきて話すことが増えました。最近だと、息子が不利な条件で友達におもちゃを交換させられたという出来事があって、息子と「本当は交換したくないのに、だめだと言えないのは嫌だよね」という話をしたんです。
その時に「でも、パパも子どものころ同じようなことがあって、その時は嫌だって言えなかったよ」という話をしました。「嫌だと言えたほうがいいけれど、言えないこともあるよね」と。
アドバイスは、子どもの世界を無視してしまうことも
白岩:「(パパも)言えなかった」と子どもに伝えることが大切ですよね。僕も息子から「違う遊びがしたいのに友達から誘われて断れない」という話をされて。「断ったらいいよ」って言ったんですけど、実際に5歳(当時)の男の子がその子の生きている世界の中で断れるだろうかと考えた時に、無理だろうと思ったんです。友達と息子の関係性もわからないし。
だからその後で「断ったらいい、って言ったけど断れないこともあるよね。嫌だと思う気持ちはすごく大事だし、それは別に変えなくてもいいと思うよ」というふうには伝えたんですけど。大人の立場でアドバイスしてしまうと、子どもの世界を無視してしまうので、日々難しいなと思いますね。
田中:白岩さんのお話はまさに子どもの心に寄り添うというのはどういうことなのかを言い表していますね。
白岩:僕の場合、自分が男性として育つ中で経験した「バカとエロの大縄跳び」が本当に嫌だったという実体験があるんです。男子はみんなでバカなことをするとか、エロを受け入れるという強制参加の大縄跳びのようなものがあって、とにかくそこに入らないことには男の子として認められないという空気がありました。
僕は嫌だったけれど入らざるを得ないから、もう飛んだふりするみたいな感じでやってきたのですが、本当につらかった。息子がもしそういうことを好まなかった場合、自分と同じようにその中で生きていくしかないとしたらつらいと思うのですが、親にできることは限られていますよね。
息子が生まれて、自分と同じようにそういう男性としての生き方で悩んでほしくないと思ったことも『プリテンド・ファーザー』を書くきっかけのひとつになっています。
田中:そうなんですね。そういう意味では、子どもが小学校に入学し、学校に行く機会が増えましたが、教育については良い方向に変わってきている側面もあるように思います。
例えば、今の小学校は性別に関係なくお互い「さん」づけで呼んでいて、男の子同士でも「章吾さん」「恭平さん」と呼び合うんです。白岩さんやその上の僕らの時代は男の子は雑に扱われてきた部分があったと思うんですが、最近はコミュニケーションを取ろうという流れがある。
だから、そういう中で育ってきている男の子が、今白岩さんの言ったような「大縄跳び」が嫌だと言ったら、バカにする奴もいるだろうけど、聞いてくれる人もいるのではないでしょうか。少しずつ変わってきている気はします。
白岩:そうなんですね。教育現場が変わっているならなおのこと、僕らの世代の男性がもっと自分の生い立ちや傷ついてきた経験を語っていかないといけない気がします。そうしないと、なぜ今のような社会になっているかがわからないままです。
男の本音や弱音に耳を傾けてくれる人が少ない
田中:その通りです。難しいのは、男の本音や弱音に耳を傾けてくれる人が少ないという問題があることです。ただ、最近再びフェミニズムが注目されていて、男性が1人称で自分がどう女性を扱ってきたかを語ることにはニーズがあり、その流れを考えると、男性が本音で話せば聞く耳は持たれるようになってきたかもしれません。
白岩:加害的なことも被害的なことも含めて、男性が自分の言葉できちんと語る必要があるということですよね。
白岩玄さんにオンラインでお話を聞きました(編集部撮影)
田中:「me too」の時に男性の声を集めようとしたメディアもありましたが、声を上げた男性は少なかった。「me too」の流れを男性がちゃんと受け止め切れなかった。
その意味では、『プリテンド・ファーザー』で男性を試すリトマス試験紙の役割を果たしているのは、すみれさんという女性です。生まれて間もない子どもを残して仕事のため海外に赴くすみれさんは、旧来的な男性の価値観に染まっているとまったく理解できません。彼女をどうとらえるかでその男性がどういうレベルにあるかを測るキャラクターです。
もし、この作品を受け入れた人でも、すみれさんに引っかかる部分を感じるのならば、自分自身の女性に対する考え方を一度立ち止まって見つめ直したほうがいいと思います。
白岩:一番悩んだキャラクターなので、そう言ってもらえると本当にうれしいです。これまでの女性の生き方とは違う道を進む女性を書こうとしたのですが、そこが作品の中で違和感になってしまう気がして難しかったです。
すみれさんという人は「母親としてどうなんだろう」「女性としてどうなんだろう」と自分自身の偏見と向き合いながら書いたので、人物像が捉えきれず、最後までわからないままでした。
田中:でも、そのすっきりしない感じがあるからこそ、私たち読者が試されているようなおもしろい人物になっているのかもしれません。
白岩:男性の感情を描く部分は、自分を起点として、登場人物が壁にぶち当たるたびに自分自身が悩みながら答えを出す、その繰り返しです。それが一番リアルだと思うし、自分の中にある偏見や差別的な考え方と向き合ってもがき苦しみながら書くからこそ、読者に届いてほしいという気持ちも強いのですが、加害者性と向き合って、自分を責めながら自問自答していくしんどい作業です。
男性学の視点では、自らの加害者性と向き合うことについてどう考えますか。
田中:まず、この社会はみんなが共謀してつくっていて、しかも過去から受け継がれている。いくら個人が内省しても、社会で起きていることの加害者性を引き受けられるわけではないという限界を認識することは必要だと思います。
そう考えると、とてつもなく長いスパンで考えなくてはならない問題で、自分の時代では成果が見えなかったとしても次世代にバトンをつなげることが大事なのだと思えます。私たちは本を残すことで、この時代の問題を書き記し、自分の考えを残しておくことによって一定程度の責任を果たすことになるのではないでしょうか。
例えば、白岩さんの本を読んで「うちの会社でも男性の育休取得を進めよう」と頑張る人もいるかもしれないし、頑張れない人や変われない人も当然いる。今は頑張れなくても『プリテンド・ファーザー』の変わっていく男たちの物語を読んで、浄化される人もいるでしょう。
そういう人たちが増えることで最終的には社会が変わっていく。それぞれの持ち場でできることがあると思います。
答えを知っていなくてはいけないという固定観念
白岩:変われない人もいるという点に言及していただいたことがとてもありがたいです。自分も20代の時に変われなくて、違和感を言語化したいけれどできない時期が長く続いて、本当にしんどかった。そういう変われなさを肯定してもらえるのは本当にうれしいですね。
こういうテーマだと「変わっていきましょう!」と扇動しているように捉えられがちですが、自分も悩みながら愚痴を吐きながら生きているんです。だから、偉そうに言える立場ではないし、自分はそんなふうに言える人間ではないといつも思っています。
田中:白岩さんの作品は、普通の人が読んで、自分の感覚に寄り添ってくれているように思えるから共感できるんだと思います。
この作品の中で一番大事だと思ったのは、対話を通じて相手と自分の居場所をお互いにつくっていくという関係性です。お互いを尊重しながら、自分を自分として認めるということは対話を通してしか実現できないことだと思います。でも、実際にはできていない夫婦も多いし、男性同士だとさらに難しい。
田中俊之さんにオンラインでお話を聞きました(編集部撮影)
白岩:同じことは子どもとの間にも言えますよね。親子はどうしても支配的な上下の関係になりがちで、親が「こうだ」と言えば、それが通ってしまいがち。でも、言った後で「ちょっと違うな」と思うこともあるし、理由を聞かれたら答えられないことばかりです。
そういう時に「正直パパもわからない」と言うしかないと思うことが日々あります。育児をしていると、わからないことだらけだということに気づかされます。
田中:今、すごく大事なヒントをいただいた気がします。親とか中高年男性という立場の人間は、答えを知っていなくてはいけないという固定観念があって、僕はそれ自体がぞわぞわして違和感を覚えるのですが、たぶん多くの人はそのように振る舞っている。
でも、親子関係に限らず、答えが出ていないというのは、他者とのコミュニケーションをする際にはフラットでとても良い状態ですよね。
白岩:お話ししていて、わからない状態にとどまるってすごくいいことなんだな、と思いました。自分が答えを持っていないことが恥ずかしくて無力感を感じてしまうこともありますが、父親の言葉がもっと豊かになるために必要なのは、他者に「わからない」と伝えることなのかもしれません。
(構成:手塚さや香)
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(白岩 玄 : 作家)
(田中 俊之 : 大妻女子大学人間関係学部准教授)