営業における「仮説」の立て方とは?(写真:MediaFOTO/PIXTA)

ビジネスにおいて仮説・検証のサイクルを回す重要性はしばしばいわれます。それは、プロダクトやサービスをつくるときだけではなく、営業の場面でも有効です。

キーエンスやfreeeなどで営業を経験してきた鈴木眞理氏は「“型通り”が通用しない時代にこそ、仮説を起点にした営業が有効」と説きます。では、どうすれば良い仮説を作れるのか。鈴木氏が解説します。

※本稿は鈴木氏の新著『仮説起点の営業論 セールス・スキルを磨くたった1つの方法』から一部抜粋・再構成したものです。

仮説構築にかける時間は商材の価格に比例する

営業における仮説構築で、活用イメージが一番わくのが初回提案前の事前準備だと思います。仮説は情報が不十分な段階で結論を立てる手法なので、情報が少ない初回訪問前の事前準備は、ほぼ仮説の構築に時間を使います。

では、どのくらい時間をかけて情報収集をして仮説を立てるといいのでしょうか?

浅い仮説では顧客の心を動かすことは難しく、場合によっては心証を悪くします。一方、1つの商談の事前準備に時間をかけすぎると、対応できる商談数が少なくなってしまいます。

仮説構築にかけるべき時間は、営業の場合、基本的に商材の価格に比例するのですが、検討するにあたっては次の2点を前提とします。

1つ目の前提として、顧客は何かを得るために費用を払います。現在の問題を解決してマイナスからゼロにするペインポイントの解消か、よりよくしてゼロからプラスにしていくゲインポイントの価値、どちらかに対しての対価として費用を払うのです。

「現在車を持っていないために移動が大変」や「車が小さくて荷物が運べない」ために車を買うのはペインポイントの解消が目的です。

「高級車に乗って注目を集めたい」「キャンピングカーにして週末車中泊を楽しみたい」というのは、より充実した生活を送るのが目的なのでゲインポイントです。

顧客が費用を払う理由

次の前提として、顧客が払う費用は、顧客にとって解消できるペイン、得られるゲインの価値より小さくなります。

2万円を払えば、1万円だけがそのまま返ってくると言われて払う人はいないと思います。顧客はペインの解消やゲインを得るために対価を払いますが、結果として自分にとっての得られる価値がその費用より大きいから払うのです。

もし「2万円を払って1万円が返ってくる」と言われて払う人がいるとすると、それは返ってくる1万円のほかに「払った相手からの好意」「ムダにお金を使うことでのストレス発散」など何かしらの価値を感じているからです。厳密に価値を計算しているわけではありませんが、感覚的にその合計の価値が自分の中で2万円失うことを上回るから支払っているのです。

さらに、行動経済学のプロスペクト理論の「損失回避性」にあるように、人には損失をより大きく評価する傾向があります。ほとんどの人は失う価値と得る価値が同等であれば費用を払って購入しません。プロスペクト理論を基にして考えると、購入してもらうためには、その人にとっての価値が1.5〜2.5倍ほど必要です。

このような前提をふまえると、価格が高い商材を購入してもらうためには、より大きなペインを解決するか、大きなゲインを得ることができる必要があります。そして、多くの費用を払って価格が高い商材を購入するということは、失敗して期待した価値が得られなかった際の損失がより大きくなるので、検討が慎重になります。

個人でも自転車を買うときと、家を買うときとでは、検討にかける時間は違うはずです。自転車であれば、もし購入後失敗したなと感じても、失ったお金はそこまで多くないですし、最悪また買い替えれば済みます。一方、家を買って失敗すると失うお金も多く、気軽に買い替えるということは考えられません。

また、自転車は多くの場合自分だけが乗るので、失敗しても自分だけの損失で済みます。ところが、家族で暮らしている人が家を買うという話になると、損失が自分だけでなく家族という周囲に及びます。

このようなケースでは失敗したときに家族から責められるのでより慎重になります。かかる費用が大きくなればなるほど決断に慎重になり、ステークホルダー(利害関係者)からの影響も受けやすくなります。

そして、企業におけるペインを解消したときに得られる価値の大きさや、ゲインで得られる価値は、個人を対象にしたときより大きくなり、さらには企業規模が大きくなるとより大きくなります。

もちろん、家や車など個人でも投資額が大きく得られるゲインも大きなものもあります。しかし、価値を得る人が多いほど得られるゲインも大きくなるため、個人の住居より大企業のオフィスのほうが費用が大きくなり、支出を平均してみると大企業のほうが大きくなります。

そして、得られる価値が大きい分、個人よりも中小企業のほうが費用を出しますし、より大きい大企業はもっと多くの費用を支出します。

投資額が大きくなると、取り組む課題が複雑になる

一方、投資金額が大きくなると大きな価値を創出しなければならないので、1つの小さなペインを解消したり、ゲインを得たりするだけでは投資額に見合いません。

大きなペインやゲイン、複数のペイン、ゲインを対象にする必要があります。すると、取り組む課題が複雑になっていき、ステークホルダーが多くなります。

ある人にとっては大きなメリットがあるけれども、ある人にとってはメリットがない、もしくはデメリットになるということが増えてきます。


出所:仮説起点の営業論 セールス・スキルを磨くたった1つの方法

そのため大企業が決断するためには、成功確率が高くてステークホルダーの合意がとれる、十分に時間をかけて検証した仮説が必要になります。

もちろん中小企業においても成功確率が高い仮説のほうがいいと思うでしょう。しかし、検討に時間をかけるということは、それだけ顧客にも人件費などのコストが発生します。

100万円の費用がかかって150万円分の効果が見込める設備投資に対して、月の人件費50万円の人が1カ月かけて検討してしまうと、100万円の費用+50万円の人件費で150万円のコストがかかっており、150万円の価値に対して投資する意味がなくなってしまいます。

これに対して1億5000万円の効果が見込める設備投資に対して1億円の費用でできるのであれば、1人月の時間を検討にかけても4950万円のリターンが見込めます。そのため、それだけ検討に時間をかける価値があります。このように、価格に応じてリスクの許容度や検討にかけられる時間が変わります。

相対的に価格の安いプロダクトの営業であれば時間をかけずに仮説を立てることが重要になり、価格の高いプロダクトの営業では多少時間をかけても仮説の根拠を多くそろえることが重要になります。

ヒューリスティックをもとに短時間で仮説を作る

商材の価格が安かったり、SMB企業(中小企業)が顧客層だったりする場合は、短時間で仮説を作って事前準備をする必要があります。

これは先ほど書いたように顧客も検討に時間をかけるべきではないケースが多く、また自社としても商材の価格が安いのにそれを上回る営業コストを1案件にかけてしまうと原価割れしてしまい、ビジネスとして継続性がないからです。

では、短時間で仮説を作るにはどうすればいいかというと、まずはヒューリスティック(発見的手法)をもとに仮説を立てます。ヒューリスティックとは、経験や先入観によって直観的に仮説を立てる思考法です。

必ずしも正解とは限らないですが、正解に近い答えをスピーディーに得ることができます。例をあげてみましょう。

私が現在行っているビジネスのメイン顧客はSaaS(Software as a Service:ソフトウェアをインターネット経由でサービスとして提供している)企業です。

SaaS企業は月額課金モデルが多く、何年間か継続利用してもらわなければコストが回収できません。そのため、Churn(チャーン:解約)されないことが重要で、反対に継続してもらえばもらうほど初期にかけたマーケティングコスト、営業コストに対して利益率が上がっていき、さらに利用拡大してもらうことで1社から得られる収益も増えていきます。

これらは私がSaaS企業のビジネスモデルについて過去の経験から知っていることの一部で、これから商談する目の前の顧客に必ずしも当てはまるとは限りませんし、先入観があります。

しかし、この経験をもとに仮説を立てるのには時間がかかりません。

1.この顧客もSaaSビジネスなのでChurnされないことを重視しているはず。

2.この顧客のChurn Rate(解約率)はどのくらいなんだろう? 競合と比べ高いだろうか?

3.高いとすると、何が悪いのだろう? ここに課題があるかもしれない。Churn Rateを下げるための取り組みはどんなことをしているんだろう?

4.Churn Rateが低い場合は、受注後の顧客対応や受注時の期待値調整にしっかり取り組んでいるのかな。受注時の期待値調整でリスクを抑えるほうに傾きすぎていて、本来はもっと受注できる顧客からの新規契約を取りこぼしていることはないだろうか? 新規受注率はどれくらいなんだろうか?

5.新規受注率も高いとすると、もっと商談数を増やせば受注も増えるんじゃないかな? 営業を増やしたほうがいいのかな? その場合必要なリード数も確保できるかな。

というように、経験から仮説が一瞬で生まれます。この仮説は正しいとは限らないので、事前に調べたり、商談中に顧客に質問したりして検証する必要がありますが、何も手がかりがないところから調べていくのと比べると、かかる時間はずいぶん減らせます。

仮説は間違っていてもいい

そして、仮説は間違ってもいいので、「顧客がChurnされないことを重視」していなくてもいいのです。もし仮説と違い、「SaaSなのにChurn されないことを重視していない」とすれば、そこに違和感が生まれます。違和感の理由がどこにあるのかを深掘りしていくと、この顧客と他のSaaS企業との違いが浮き彫りになり、新たな仮説が生まれます。

また、その違いは新たなケースとして自分の中の経験則になり、今後の商談で使えるヒューリスティックとして蓄えられていきます。

営業経験が浅い人は、私がSaaSビジネスを知っているからヒューリスティックで仮説が作れると思うかもしれません。そして、そうした経験がないとヒューリスティックは使えないと思うかもしれませんが、それは違います。

どんなに営業経験がなくても、少なからず一般的な前提知識はあるはずです。例えば、「企業は利益を求めており、収入を増やして、支出を減らすことで利益を伸ばす」という知識からも、ヒューリスティックで仮説を考えることができます。

1.この企業は売り上げは大きいのに利益が少ない。コストをかけすぎているのが問題ではないだろうか。

2.何にコストがかかっているんだろう? 内訳を見たときに同業他社と比べて、比率が大きいコストはないだろうか?

3.人件費が大きいけど、人が余っているんだろうか? 生産性が悪くて多くの人手が必要になっているんだろうか?

というように考えて調べていくことができます。ヒューリスティックで仮説を何も立てずに調べ始めてしまうと、1つの企業に関する情報は膨大にあるため情報の重要度も判断できず、調べきれません。ヒューリスティックを使うことで調べる時間を短くすることができます。

また、自分ができる範囲でヒューリスティックを使って仮説を立てると、何がわからないのかが明確になります。自分で考えて調べたことは、漫然と調べたことと違って記憶に定着するので、自分の引き出しに蓄えていくことができます。

ヒューリスティックでの仮説は経験をもとにしているので、経験を積むほど蓄積され、仮説構築のスピード、精度が上がります。しかし漫然と仮説を立てていてもなかなか活用できるようにはなりません。

「帰納法」を使って引き出しを増やす

ヒューリスティックでの仮説構築力を上げるには、経験を抽象化して整理したうえで自分の引き出しに入れておくことが大切です。これには、前述の「帰納法」を使います。

・SaaS企業A社はChurn Rateの改善を気にしていた

・SaaS企業B社はChurn Rateの改善を気にしていた

・SaaS企業C社はChurn Rateの改善を気にしていた

この3つの経験から帰納法的に共通点を抜き出すと「SaaS企業はChurn Rateの改善を気にする」という大前提が導き出せます。頭の中の引き出しに「SaaS企業」というラベルを貼って保存しておけば、SaaS企業との商談の際には「Churn Rate」という論点をすぐに取り出すことができます。

帰納法なのでサンプリングが少なければ確実なものではありませんが、もしこの大前提に当てはまらないケースがある場合は、その理由を深掘りしていくことで、新たな大前提を生み出すことができます。

・SaaS企業D社はChurn Rateの改善を気にしていなかった。D社のプロダクトはスイッチングコストが高かった

・SaaS企業E社はChurn Rateの改善を気にしていなかった。E社のプロダクトはスイッチングコストが高かった


このような仮説が外れた経験からは、「SaaS企業でもスイッチングコストが高いプロダクトを扱う企業はChurn Rateを気にしない」という、新たなヒューリスティックに使える大前提が生まれます。

ヒューリスティックをうまく使えば短時間で仮説を作ることができ、さらに検証して外れた仮説は次に仮説を作るときの新たな引き出しになるわけです。

一方ヒューリスティックにも注意しなければいけない点があります。行動経済学の理論において述べられるようなさまざまなバイアスの影響を受けやすいのです。

ヒューリスティックを使って仮説を作った際には、必ずバイアスがかかっていないか考えてみてください。

(鈴木 眞理 : Datable(データブル) VP of Sales)