医師である著者がインドへの旅で受けたさまざまな衝撃とは(写真:PIXTA)

太陽が最も高く上がっている「ゴールデンタイム」にはガンジス川の水が聖なる水となり、その時間帯だけは、ガンジス川の水をそのまま沸かして作ったチャイを飲んでも大丈夫だ――。若かりしころ、インドを訪れた軽井沢病院長・稲葉俊郎氏は、現地の人のその言葉を信じてチャイを飲むことになるが……(本稿は同氏の最新刊『ことばのくすり〜感性を磨き、不安を和らげる33篇』の抜粋・転載です)。

旅は、「場」を変える最良の手段のひとつ

同じ人であっても、「場」が変わるとまったく違う振る舞いをするものです。自宅と職場では別人のように見える、という人は何ら珍しくないでしょう。「場」の変容が人にもたらす変化は、ときにネガティブな意味合いを帯びることもありますが、それを前向きな意味で実感できるのが、旅です。そしてときに旅は、心身にも不思議な影響を与えることがあります。

20代のころ、バングラデシュ〜インドを3カ月ほど旅しました。

最大のきっかけは、三島由紀夫と横尾忠則のある会話を知ったことでした。自決の3日前、三島は横尾忠則との電話の中でこう言いました。「インドには行ける者と行けない者がいるけれど、君はそろそろインドに行けるんじゃないかな」。これは、三島由紀夫自身の写真集『新輯版 薔薇刑』の中に、横尾忠則が三島の死を暗示するかのような涅槃図を描いたことへの驚きからかかってきた電話で交わされた、会話の一部です。

結局、横尾さんはミュージシャンの細野晴臣さんと一緒にインドに行くことになり、『インドへ』(文藝春秋、1983年)という本も出版することになったのでした。それを読みながら私は、「自分はインドに行ける者なのだろうか」と考えたあげく、実際にかの地を訪れることにしたのです。

インドの旅では、学生旅行だったためお金もなく、一番安い電車で横断することにしました。4等列車のようなところにいたのですが、とにかく人がどんどん乗ってきて、文字通り溢れていくのです。そのうち分かったのは、一番の特等席は天井近くにある荷物置き場だということでした。なぜならそれくらい狭いスペースであれば、他の人が入る余地がないからです。

事実、荷物置き場へ器用に上り込んで横になっている人は、快適そうに寝そべっているのでした。椅子に座っていては快適どころではなく、横から人がどんどん座り込んできて、はじき出されてしまいます。驚いたのは、列車が走りながらも人が飛び乗ってくるので、誰かが客室に入ってくると同時に列車から落ちてしまう人が出てくることでした。

そのたびに「死んだ、死んだ」というような意味のことが話されていながらも、列車はお構いなしにどんどん先に進んでいくのです。私は12時間ほど列車に乗っていましたが、数人が落下して死亡したようでした。乗客たちはそうした光景を当たり前のように受け入れているようで、そのことにも大きなショックを受けました。

窓からは、電車に轢かれた死体がそのまま放置されているのが見えました。また別の日にはガンジス川で沐浴をしていたのですが、泥色の川から頭をあげてコトンと当たったものが、上流から流れてきた死体だったりもしました。文字通りの死が日常に同居していた光景。それが、インドで受けた衝撃でした。

チャイを飲まずしてガンジス川に来た意味なし

そしてガンジス川と言えば、もう1つ忘れられないことがあります。

インド巡礼の聖地と言われるガンジス川ですが、何も見えないほどの、泥のような茶色をしています。そこにいるチャイの売り子の男性から、こうけしかけられたのです。

太陽が最も高く上がっている時、そのエネルギーが最高潮に達する。いわばゴールデンタイムだ。その時間帯だけは、ガンジス川の水をそのまま沸かして作ったチャイを飲んでも大丈夫だ。

なぜならゴールデンタイムの間だけは、汚いガンジス川の水が聖なる水に変化するから。何より、そのチャイを飲まずしてガンジス川に来た意味がない。ここにいるみんな、ゴールデンタイムのチャイを飲むために来ているのだ、と。

死者と生者が同居する異様な空間の中で、私はその売り子の発言を何ひとつ疑いませんでした。死体が浮いている目の前のガンジス川の水を売り子が汲みました。そしてその水を沸かして作られたチャイを、私は何のためらいもなく飲んだのです。今であれば、絶対にできないでしょう。若気の至りなのか分かりません。

当時のインドでは、現地の人でさえ水道水を飲むとお腹をこわすと言われていました。それほど水質がわるいからです。そのような状況の中で、煮沸したとはいえ、川の水を私は飲んだのです。にもかかわらず、驚くべきことに、私の胃腸には何の影響もありませんでした。

現代では、SNSで注目を集めるためならともかく、純粋に自分だけのためにそうした無謀なことをする人はもはやいないでしょう。でも、旅をして場が変わると、場の力により心身も変容することがあるのです。

思えば、20代だった私は、毎日右手でインドのカレーを食べ続けました。そうした食による心身内部の変容もあったと思いますが、それ以上に場の力による影響が大きかったのではないだろうかと思います。

死者と生者が入り混じり、人間と牛が入り混じり、ネズミとゴキブリが入り混じり、あらゆる生命が等価に存在していた、インド。シェークスピアの戯曲「マクベス」にある「きれいは汚い、汚いはきれい」 のような、価値が顛倒した世界。インドの旅は、若き私の感性を大きく揺さぶり、あらゆる固定観念をはぎ取ってくれた貴重な体験となりました。

旅とは場が根本から変わることです。とりわけ国境を越えるような旅には、人の心身をも変える力が含まれています。ただしその変化は、目に見で見てすぐわかるようなものとは限りません。むしろ旅による変化とは常に、無意識のうちで起こっています。いつの世も人が旅に憧れるのは、そうした偶発的な変化をこそ求めているからだろうと思うのです。

古くから、旅の効能は知られていた 

場を変えることには、古くから医学的な意味も見出されてきました。よく知られているのが、結核への処置です。かつて結核は不治の病とされていましたが、湯治や転地療養、サナトリウムといった「場を変える処置」がしばしばなされてきました。何もせず死を待つくらいなら、場そのものを変えることで生き抜く可能性に賭けたのです。


日本におけるサナトリウムは、結核の療養をするための施設を指していましたが、結核の治療薬が開発されてからは、その意味合いも少しずつ変化していきました。心の病気や認知症、脳疾患の後遺症など、薬を飲むだけでは簡単に治療できない病気を含めたものをサナトリウムが受け入れていくことになります。

病に限らず、場そのものを変えないと根本的な解決が起きない事例は、たしかにあると思います。旅は、そうした治療的な行為も含んだものだと私は感じています。

(稲葉 俊郎 : 医師、軽井沢病院長)