JR新宿駅東口の駅前広場(筆者撮影)

JR新宿駅の2021年度の1日平均の乗車人員は52万2178人に達した。これはJR東日本でトップの数であり、2位の池袋駅(40万7490人)を大きく引き離している。そこへ、小田急電鉄、京王電鉄、西武鉄道、東京メトロ、都営地下鉄の乗降客が加わるため、間違いなく「日本一のターミナル駅」である。また新宿は、東京でいちばんの繁華街と言っても過言ではない。

山手線にとっても重要駅

当然、山手線にとって最も重要な駅である。西寄りの14・15番線に発着し、中央・総武緩行線とはホーム対面で乗り換え可能になっている。このような他線との接続を考慮した構造は、京浜東北線並走区間以外では新宿駅が唯一だ。

また、高架や人工的な築堤上ではない「地平駅」としては、新宿が山手線でいちばん標高が高い(約38m)ところにある。山手線の最高地点は、新宿―新大久保間で中央線をまたぐところ(約41m)だ。丘陵地の上に設けられた駅であり、町なのである。

新宿駅の開業は、後に山手線の一部となる品川―赤羽間の開業と同じ1885年3月1日。渋谷、板橋と同日である。

駅名は、甲州街道の「内藤新宿」より取られた。文字の通り、新しい宿場との意味である。江戸幕府が街道を整備した際、甲州街道は日本橋の次の宿場が4里(約16km)先の高井戸と遠かったため、間を埋める宿場の設置が求められ、青梅街道との分岐点付近に1699年に開かれた。

この内藤新宿は、現在の東京メトロ丸ノ内線新宿御苑前―新宿三丁目間付近一帯(新宿1〜3丁目付近)に当たる。つまり山手線新宿駅は町外れに建設されたのであった。


旧青梅街道から西武新宿駅を見る(筆者撮影)


西武新宿駅前からJR新宿駅東口方面を見る(筆者撮影)

戦国時代以来の新宿駅周辺の地名は角筈(つのはず)。戦後まで町名として存続しており、新宿大ガード付近にあった都電杉並線(1963年廃止)の停留所も角筈を名乗っていた。しかし、町名は新宿、西新宿、歌舞伎町などに改称、統合されて1978年までに消えた。現在は公共施設などに、わずかな名残をとどめている。


開通当日の新宿駅東西自由通路=2020年7月19日(撮影:梅谷秀司)

最近のJR新宿駅の大きな変化としては、「東西自由通路」の利用が、2020年7月19日の始発から始まったことがある。この通路は、東口改札と西口改札を結んでいた改札内の北通路を、幅約17mから約25mへ拡張。改札外の通路として自由に通れるようにしたものだ。東口と西口を最短距離でつなぐため人の流れが大きく変わり、東西方向の移動を大きく改善した。

東西自由通路で人の流れに変化

それまでのJR新宿駅では、駅構内を通らず東口側と西口側を往来しようとすると、東京メトロ丸ノ内線の新宿駅に沿ったメトロ通路(メトロプロムナード)を迂回するのが最短ルートだった。

この通路は地下1階に当たり、地上との間には階段も多く、バリアフリーの面で難があった。地上だけを通って行き来しようとすると、西口の思い出横丁脇にある狭いガード(角筈ガード)を通らねばならなかった。なお、この通路は江戸時代の青梅街道に当たり、入口にはその旨を伝える標識もある。

また、東西自由通路の供用開始に合わせ、東口の正面を横切っていた道路を撤去。歩道を新宿通り沿いの広場と一体化して歩行者空間を拡大する工事が行われた。ルミネエスト新宿前の駅前広場に面した歩道の拡幅、駅前広場へのパブリックアートを用いたにぎわい空間整備も実施され、2020年度末までに完成している。


東西自由通路開通で人の流れは大きく変わった=2020年7月19日(撮影:梅谷秀司)

西武鉄道が高田馬場から新宿への乗り入れを目指し、西武新宿駅を建設、開業させたのは1952年3月25日だった。もともとは、現在のルミネエスト新宿付近に駅を設ける計画であったが、新宿駅東口駅ビル建設計画との兼ね合いから、いったん仮駅を新宿大ガードの脇、靖国通りに面したところに設けた。しかし、国鉄新宿駅乗り入れ計画は頓挫。仮駅をそのまま本設駅とする計画に変えられ、現在、専門店ビル西武新宿PePe(ぺぺ)、新宿プリンスホテルなどが入る駅ビルが建設された。


西武新宿駅(筆者撮影)


新宿大ガードと西武新宿ペペ(筆者撮影)

そのため、西武新宿駅と各線の新宿駅との間は離れており、とくにJR駅との間を最短距離で移動しようとすると、線路沿いの地上の道を歩かねばならない。荒天時は地下街「新宿サブナード」を通っての乗り換えもできるが、JR駅方面へは遠回りになる。

そこで西武新宿駅とJR新宿駅東口の間を結ぶ地下道が計画され、「東京都市計画通路・新宿駅北東部地下通路線」の都市計画が2021年11月26日に決定・告示された。総延長約280m、幅員6〜18mの地下通路を整備する計画である。

西武新宿駅前の新宿サブナードと、メトロプロムナードとの間は約140mの地下道で結ばれる。西武新宿駅と東京メトロ丸ノ内線新宿駅の乗り換えが、今は約11分かかるところ、約5分に短縮できる。現在、西武新宿線と山手線の乗り換え駅としては隣駅の高田馬場が機能しているが、この通路が完成すると、どう変わるだろうか。

西口側のチケットショップはどうなった?

一方、JRの線路を挟んで反対側にある思い出横丁は、昔ながらの飲み屋街の面影を残すところとして人気があるエリア。安価な飲食店がところ狭しと軒を連ねており、日が暮れると仕事帰りの人たちでにぎわう。

表通り側の目立つところにはチケットショップが並んでいる。この一角が最近、存亡の危機にさらされた。基本的に回数券など割安なチケット類を仕入れ、それを正規料金より安くバラ売りして利ざやを稼ぐ商売であるが、航空各社に続いてJR各社がポイント制度やインターネット予約割引の導入に伴い、ここ2、3年の間に紙の回数券を軒並み廃止したからだ。


思い出横丁の脇を通り抜ける山手線(筆者撮影)

売れ筋であった東海道新幹線などのきっぷを失い、どうなるかと思っていたが、各社の株主優待券やコンサート、スポーツイベントのチケットなどの買い取り、販売中心に転じた様子が、店頭のPOP広告からうかがえた。店の数自体は、それほど大きくは変わっていないように思える。新橋や神田と並ぶチケットショップ街は、今のところは健在であるが、今後どうなるだろうか。


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(土屋 武之 : 鉄道ジャーナリスト)