『フランクリン自伝』には、よりよい人生を生きるヒントが詰まっている(写真:FotograFFF/PIXTA)

仕事やビジネスに有用とされる教養を身につけるための有力な方法が古典を読むこと。そのうちの1冊が、ベンジャミン・フランクリン(1706―1790)の『フランクリン自伝』だ。

ベンジャミン・フランクリンはアメリカ独立宣言の起草を行い、アメリカ初の公共図書館の設立、ペンシルべニア大学の前身の創設を行った。また、凧を使って雷が電気であることを証明したり、新型ストーブ、遠近両用メガネなどを発明したりするなど、政治家、外交官、作家、物理学者、気象学者、発明家としてさまざまな分野で大きな功績を残した驚異のオールラウンダーだ。

この本から何が学べるのか。読みやすく翻訳し直して刊行された『すらすら読める新訳 フランクリン自伝』に一橋ビジネススクール特任教授で経営学者の楠木建が寄せた解説をお届けする。

教養ほど実践的で実用的なものはない。

教養というと仕事の具体的な局面では役立たないフワフワしたものであるかのように思っている人が多い。

大間違いだ。スキルやノウハウといった個別具体的な知識は確かに有用だが、教養にははるかに汎用性がある。どんな状況で、何に直面しても、教養を持つ人であれば、自分の内在的な価値基準に則して決断できる。大局観と言ってもよい。

教養を獲得するための王道は何と言っても読書だ。ただし、「実用的なビジネス書」のほとんどは大局観の形成に役立たない。有用な情報や知識を得ることはできても、読み手の価値基準にまでは影響を及ぼさない。

読むべきは古典だ。長い歴史の中で多くの人に読み継がれてきた超一流の書物だけが古典として残る。古典は間違いなく教養の錬成にとって有用だ。

アメリカ合衆国建国の父として讃えられるベンジャミン・フランクリン(1706-1790)。彼が遺した自伝は、古典中の古典だ。アメリカはもとより、世界中で読み継がれてきた。

私見では、フランクリンのリーダーとしての特質は次の3点に集約される。

第1に、ジェネラリストであること。リーダーに「担当」はない。定義からしてリーダーは担当者とは異なる。特定の専門分野に閉じこもらず、成すべき目的を実現するためには何でもやる。自分の前の仕事丸ごとを相手にする。今日では「ジェネラリスト」というと専門能力がない凡庸な役職者のように聞こえるが、それは誤解だ。そもそも「ジェネラル」とは総覧者を意味する。ようするに「総大将」だ。フランクリンは言葉の正確な意味でのジェネラリストだった。

第2に、プラグマティスト(実利主義者)であること。耳触りがいいばかりでその実、空疎なかけ声に終始する似非リーダーが少なくない。目的の実現にコミットするのがリーダーの仕事だ。それには言うだけでなく実行しなければならない。しかも、一人でできることは限られている。自らの構想に多くの人を巻き込んで、目的の実現に向けて動かしていかなければならない。そのためには合理的でなければならない。

あっさり言えば、みんなにとって得になることをやるということだ。合理的でないと、立場や利害を超えて人々が乗ってこない。実行するためには構想や指示や行動が現実的かつ具体的でなければならない。フランクリンはどんな仕事をするときも常に実利的で具体的だった。

第3に、社会共通価値を追求したこと。フランクリンは生涯を通じて実利を求めた人だった。しかし、スケールが大きい。彼が追求した利得は彼だけのものではない。自分の周囲にあるコミュニティの人々、ひいては社会全体にとって得になることを常に考えていた。

だからといって、自分の利得を劣後させ、自己犠牲の精神を発揮したわけでは決してない。自分の利得になることが社会全体にとっても利益になればなおよい。さらに重要なこととして、社会にとって大きなスケールで得になることをしたほうが、自分にとっての利得も大きくなる。

表面的には矛盾するかのように見える利他と利己が無理なく統合されている。ここにリーダーとしてのフランクリンの思考と行動の最大の特徴がある。

究極のジェネラリスト

日本では、稲妻が電気であることを証明した偉大な科学者としてフランクリンは知られている。雷が鳴る嵐の中で凧を揚げ、凧糸の末端につけたライデン瓶(ガラス瓶と水を使い電気を貯める装置)で電気を取り出す命がけの実験が評価され、フランクリンはイギリス王立協会の会員に選出されている。

この科学史に残る偉業にしても、フランクリンにとっては自分の仕事のごく一部に過ぎなかった。現にこの自伝の中でも、この「フィラデルフィア実験」のエピソードは最後のほうでごくあっさりとしか触れられていない。

フランクリンは「究極のジェネラリスト」だった。実業家にして著述家。政治家にして外交官。物理学者にして気象学者。どんな分野にも専門家がいる現代の基準からすれば、フランクリンの仕事の幅は異様に広く、その成果は驚くべき多方面にわたる。しかも、次から次へと「転職」したわけではない。同時並行的に異なる分野で活動し、多種多様な業績を遺している。

驚異的なオールラウンダーが生まれた背景には、彼の出自と発展途上にあった当時のアメリカの社会構造がある。

イギリスからニューイングランドに新天地を求めて移住してきた父ジョサイアには、17人の子どもがいた。大勢の子どもを養うだけで精一杯。ジョサイアは知的な人物だったが、高等教育を子どもたちに与える余裕はなかった。10歳で教育を終えたフランクリンは早くから社会に出た。

知識欲旺盛なフランクリンは読書が大好きだった。子どものころから父の蔵書にあったプルタルコスの『英雄伝』やデフォーの『企画論』、マザーの『善行論』などの書物を読破していた。文章を書くことにも目ざめ、独学で文章修行もしている。本好きが高じて印刷工になる。

当時のアメリカは発展途上にあり、イギリスと比べて遅れた国だった。フランクリンが勤めていた印刷所では活字不足が頻繁に発生した。しかし、産業が未発達で分業による専門化が進んでいなかった当時のアメリカには活字鋳造業者はいなかった。そこでフランクリンは自分で鋳型を考案し、間に合わせの活字を造らなければならなかった。ほかにも、彫り物や印刷用のインクづくりから倉庫番まで、ありとあらゆる仕事を自分でやる「なんでも屋」としてキャリアを形成していった。

若き日のフランクリンは印刷業者として独立し身を立てることを志した。しかし彼には何もなかった。資金や設備や技能はもちろん、人材や顧客を獲得するためのネットワークもすべてゼロから自分の手と力でつくっていかなければならなかった。

印刷工場を経営するようになると、すぐに新聞を発行している。メディアだけでなくそれに載せるコンテンツも自らつくる。記事が面白いと評判になり、フランクリンの新聞は多くの購読者を獲得し、発行部数は伸びた。これが印刷業にも良い影響を与え、好循環を生んだ。

フランクリンが取り組んださまざまな仕事は、いずれも彼の中にあるただひとつの動機から生まれている。それは無尽蔵の探求心だ。

フランクリンにとって活動の幅を広げるのはごく自然なことだった。誰から頼まれたわけでもない。名誉栄達を求めたわけでもない。自らの内発的な探求心に忠実だっただけだ。自分が興味を持つ問題の解明に取り組んだ結果として多種多様な仕事をすることになった。フィラデルフィア実験もその一つだった。

大きな公共図書館を作ることになったきっかけ

フランクリンの中ではすべての活動が分断なく連続していた。すべての成果が同じ一人の人物の探求心によってもたらされている。本人にしてみれば、どんな仕事をするときでもいつも同じことを同じようにしているという感覚だっただろう。

フィラデルフィア・アカデミー(後のペンシルベニア大学)の創設にその好例を見ることができる。源流ははるか昔、印刷所を開業する以前に彼が組織した「ジャントー」というクラブにある。真理を探究したいという情熱にかられたフランクリンは、倫理や政治、自然科学に関してメンバーが書いた論文を発表し合い、議論する場をつくった。

ジャントーの活動は長く続いた。そのうちにフランクリンの頭にあるアイデアが生まれる。論文を書くためには何冊もの本を参照する必要がある。各人の蔵書をジャントーの会合部屋に集めておけば、全員がすべての本を持っているのと同じことになる。つまり、クラブのための図書館だ。

この経験から、より大きな公共図書館をつくろうという目標が生まれた。この目標はアメリカで最初の会員制図書館として結実し、これがフランクリンにとっての最初の公共事業となった。図書館は人々の知的活動の拠点となり、この延長上にペンシルベニア大学が生まれている。

つまり、フランクリンによる大学創設は、功成り名を遂げた富豪の慈善事業ではなかった。彼の知的探求心に基づく活動が自然な流れでだんだんと大きくなった結果として大学が生まれている。

このように、フランクリンの成し遂げた成果はバラバラに生まれたのではなく、彼の探求心を中心にすべてがつながっている。ここにジェネラリストの究極の姿を見る。

何もないところから身を立て、苦労を重ねながら実業家として成功したフランクリン。彼の信念は「信用第一」。信用を獲得するためには、勤勉で誠実で正直でなければならない。フランクリンは生涯にわたってこの価値観を貫いた。

プラグマティズムの人

彼の勤勉で誠実な生き方は観念的な倫理や道徳によるものではなかった。それが結局のところ自分の利益になるからだ。どんな仕事でも勤勉に働く姿を見て、周囲の人々はフランクリンを信用するようになる。「私はなにも、自分の勤勉さを自慢したいわけではない。これを読んだ自分の子孫に、勤勉さがどれほどの利益をもたらすかを知ってもらいたいだけだ」――フランクリンの思考と行動は徹底してプラグマティズム(実利主義)に基づいていた。

フランクリンは聖人君子ではなかった。若き日にイギリスにわたって印刷工をしていた頃は、稼いだお金を芝居や遊びに使ってしまい、その日暮らしも経験している。

自分が世俗的な人間であることを隠さなかった。この自伝を書いた動機にしても、冒頭で「回想をつづることで、自分の虚栄心を満たしたいとも思っている」と書き記している(「紙に書くだけなら、若者を嫌々付き合わせなくてすむ。読むか読まないかはめいめいが自由に決めればいい」とここでもプラグマティズムを発揮しているのが面白い)。

フランクリンのプラグマティズムは宗教と教会に対する姿勢によく表れている。彼は神の存在と宗教の意義を信じていた。しかし日曜日の教会の集会に出るのは若いころから止めていた。彼にとって日曜日は「勉強をする日」であり、そのほうが有益だと考えたからだ。長老教会派の会員として育てられてきたが、教義にある「神の永遠の意志」「永遠の定罪」といった抽象的な概念がどうしても理解できない。さまざまな宗派の中には人々を分裂させ、不和をもたらすような教義が含まれていることにも疑念を持っていた。

たまには長老教会の礼拝に顔を出すこともあった。しかし、牧師が道徳の原理を説くよりも、長老教会派の優位を主張する神学論争に明け暮れるのに辟易し、「何ひとつ得るもののない時間だった」と振り返っている。

とは言え、「どんな宗派であっても多少は人の役に立つと考えていた」ので、宗教を否定せず、他人の信仰については口を出すこともない。どの宗派かに関係なく、寄付をつづけた。フランクリンにとっては人々の善行を促し、善良な市民へと導くという「利得」こそが大切だったのである。

彼が25歳のころに打ち立てた有名な「13の徳目」に、プラグマティストの真骨頂を見ることができる。「道徳的に完璧な人間」になることを決意したフランクリンは13の徳目を自らに課した。「いい人間であれ」と漠然と思っているだけでは、いつまでたっても実現できない。13の徳目は宗教的な戒律ではなく、あくまでも実践のための計画だった。

「節制」「規律」「倹約」「勤勉」……一見してありふれた言葉が並んでいる。興味深いのは徳目の中身よりも、彼がそれらを選び制定した過程だ。フランクリンにとって、「13の徳目」は漠然とした目標や精神的なかけ声ではなく、あくまでも現実生活の中で道徳性を身につけるための計画だった。

計画は実行しなければ意味がない。日常生活の中で実行しやすくするために、徳目の数を多くして、その分各項目の意味を狭い範囲に限定して、シンプルな戒律としている。

徳目は困難であると同時に、現実的なものでなければ意味がない。たとえば、7つ目の徳目「誠実」には「嘘をついて人を傷つけないこと」という戒律が添えられている。「嘘をつかないこと」ではないのがポイントだ。利害にまみれた日常の中で、仕方なく嘘をつくこともある。それよりも、人を傷つけるという損失をなくすほうが大切だというのがフランクリンの考え方だった。

さらに面白いのは、13の徳目を修得するために彼が採用した方法だ。一度に全部やろうとすると注意が分散して、どれも実行できない。まずはひとつの徳目に集中し、それを習慣化できてから次の徳目に移るという方法で、ひとつずつ順番に取り組んでいる。

その順番もよくよく考えられている。第1の徳目を「節制」にしたのは、それがすべての徳目の実践にとって基盤になるからだ。節制を身につければ後の徳目の修得がより楽になる。

道徳的な生活の中で知識も得たいと思っていたフランクリンは第2と第3に「沈黙」と「規律」を持ってくる。これで仕事の計画や勉強にあてる時間が増える。第4の「決断」を習慣にできれば、その後は確固たる意志をもって徳目を修得できる。第5の「倹約」と第6の「勤勉」を守れば、早く借金から解放される(借り入れた事業資金の返済は当時のフランクリンにとって重要なテーマだった)。衣食足りて礼節を知る。財務的に自立できれば「誠実」(第7)と「正義」(第8)も実行しやすくなるだろう――明快な論理でつながったストーリーになっている。

フランクリンは「『道徳的に完璧な人間になる』という当初の目標は達成できなかった」と自伝の中で告白している。自分が性格的に規律を守れないことは分かっていた。それでも「懸命に努力したおかげで、人として多少は成長したし、多少の幸せをつかむこともできた」。

フランクリン一流の現実主義と実利主義が色濃く出ているエピソードだ。

社会共通価値の追求

プラグマティズムの人、フランクリンはそれが実利をもたらすのかを基準としてあらゆる判断を下した。

これと一見矛盾するようだが、彼の後半生は自分の商売ではなく公共事業に捧げられている。ペンシルベニア大学の創設はその典型だ。それに先行して、25歳の時にはすでにアメリカ初の公共図書館を設立している。先述したように、これは彼が知的研鑽を積む議論の場としてつくったクラブの図書室を母体にしている。

フランクリンがクラブやその図書室をつくった動機は私的利益に基づいている。知識欲が強く、真理の探究を最上の愉しみとする彼にとって、クラブや図書室は自分の欲求を実現するためのものだった。

図書室にメンバーが蔵書を持ち寄れば自分が持っているわずかな蔵書よりも多くの知識に触れることができる。しかし、それは自分以外のメンバーにとっても同じことだ。私欲といえば私欲だが、それが真っ当な欲望であれば必ず他者にとっても利得になる。フランクリンは幼少時からこの人間社会のポジティブな原理原則を本能的に理解していた。

図書室を発展させた公共図書館の設立についても同じ成り行きだった。フランクリンが生涯をかけて追求した実利は自分を向いた損得勘定にとどまらなかった。コミュニティや社会全体の利得の極大化を志向するものだった。フランクリンの欲は自分の利得だけでは満たされなかったのだ。それだけ欲が深かったと言ってもよい。

フランクリンがつくった公共図書館はその後アメリカに数多く生まれた会員制図書館の原型となった。「図書館ができたことで、この国の人々は知的な話ができるようになった。平凡な商人や農民が、いまや他国の紳士たちに劣らないほどの教養を身につけている。すべての植民地の住民が、自分たちの権利を守るために戦えたのも、図書館があったおかげではないかと私は思っている」――自分の実利的動機から始まった活動が社会全体のスケールで実現して、ようやくフランクリンの欲は満たされることになる。

1742年にフランクリンは「ペンシルベニア式ストーブ」を発明している。新しい空気を取り入れることによって暖まるという開放式のストーブで、従来のものより暖房効率がよく、燃料も節約できた。彼はストーブの宣伝のために「新発明のペンシルベニア式ストーブについて」と題したパンフレットを発行した。パンフレットは知事の目にも留まり、フランクリンに専売特許権を与えようとした。

きっかけは日常のちょっとした問題解決

しかし、フランクリンはその申し出を断っている。自分も他品の発明から多大な恩恵を受けているのだから、自分の発明についても、人の役に立てることを喜ぶべきだ、というのが彼の主張だった。

「やがて私のストーブは、ペンシルベニアだけでなく近隣の植民地にも広まっていった。いまでも多くの家庭が、薪を節約できるこのストーブを使っている」――これがフランクリンにとって最も嬉しいことであり、彼にとっての最大の「実利」だったのだ。

フランクリンのプラグマティズムはいくつもの大成果として結実した。しかし、彼の実利を求める姿勢は一攫千金の大勝負とは一線を画していた。その手の「大勝負」は実際のところごく小さな私欲を動機としているものだ。

先の図書館の例にあるように、ほとんどの場合きっかけは日常生活の中にあるちょっとした問題解決にあった。「人間の幸福というのは、ごくまれにやってくるすばらしい幸運からではなく、日々の生活のなかにあるささやかな利益から生まれるものだ」――これがフランクリンの信念だった。

当時のフィラデルフィアの道路は舗装されていなかった。雨が降ると、重い馬車の車輪で地面がぐちゃぐちゃになる。空気が乾燥すると、土ぼこりが舞って大変なことになる。これを不便に思ったフランクリンは道路を舗装すべきだという主張を文章にまとめて発表し、問題解決に注力した。

その甲斐あって、やがて道路の一部が石で舗装され、靴を汚すことなく通りを歩けるようになった。

しかし、道路の一部は未舗装だったので、馬車が通るたびに舗装の上に泥が積もっていった。そこでフランクリンが道路の掃除をしてくれる人を探した。勤勉ではあるが生活に困っている男が見つかった。事情を話し、掃除を依頼すると、「この地域の各家庭が毎月6ペンスずつ払ってくれるなら、喜んでお引き受けします」という答えだった。

フランクリンはわずかな金額でどれだけの利益が得られるかを近隣の住民に告知する活動を展開した。靴に泥がつかないから家をきれいにしておけるとか、道路を歩くのが楽になるから客足が増えるとか、風が強い日でも商品がほこりまみれにならないから商売のためになるなどと、例によって細かい具体的な利得を記したパンフレットを印刷し、各家庭に配った。

どれだけの家がこの考えに同意したかを調べると、一軒残らず賛成だということが分かった。掃除夫の男による週に2回の道路掃除が始まった。フィラデルフィアの人々は道路がきれいになったことを喜んだ。「いっそのこと全部の道路を舗装したほうがよい。そのためなら喜んで税金を払う」という世論が形成され、フランクリンの道路舗装の主張は実現に至った。

今日の言葉で言えば「社会共通価値」、これこそがフランクリンが追い求めた成果だった。富や権力の集中から背を向けたフランクリンの生き方はアメリカの人々から絶大な支持を受けた。

しかし、ここで注目すべきは、社会の利益のために自分の利益を犠牲にしているわけではないということだ。社会に共通した価値ということだけでなく、自分の利益が社会全体の利益と共通している。フランクリンの目的設定は常にこの意味での共通価値を向いていた。

渋沢栄一との共通点

フランクリンの思考様式は、後世の日本に現れた渋沢栄一――日本近代資本主義の父――のそれと驚くほど共通している。渋沢の持論であった「論語と算盤」をある種のバランス論と勘違いしている人が少なくない。

つまり、資本主義なり商売の利益追求(算盤)はしばしば暴走してしまう。したがって、人間道徳(論語)でブレーキをかけなければいけない。渋沢は今日のESGやSDGsを先取りしていた――渋沢の主義主張をこのように理解している人は、おそらく『論語と算盤』をまともに読んでいないと思う。


道徳的な商売が長期的にはいちばん儲かる――これが渋沢の結論だった。頭の中が算盤だけの人は実は欲がない。本当に大きな欲を持つ商売人は必然的に「論語と算盤」になる。フランクリンと渋沢はともに大欲の持ち主だった。世の中全体を相手にしながらも、現実的合理主義で実利を見据え、自ら実行することによって社会共通価値の創造を果たした。

フランクリンや渋沢は現代のESGやSDGsを先取りしていたのか。そうではない。企業が社会的存在であることは今も昔も変わらない。人間の本性やそれによって構成される社会の本質もまたフランクリンの時代から変わらない。

変わらないことにこそ本質がある。世の中の不変にして普遍の本質をつかむ人は、国や時代がどうであれ、同じ結論に到達するというだけの話だ。

リーダーの一義的な資質は人間社会についての洞察力にある。人間と社会の本質を見極め、その本性を善用する。そこに古今東西のリーダーの本領がある。

大きな仕事を成し遂げるリーダーとはどのような人か――本書『フランクリン自伝』は、この永遠の問いに対するほとんど完璧な回答を与えている。

(楠木 建 : 一橋ビジネススクール教授)