テクノロジーの進化やプラットフォームの充実により門戸が開かれたAV制作の現場で、注目のビジネスは何か。元メンズエステ勤務・29歳の坂井志穂さんは、月1回の撮影で動画を配信し、月収100万円以上を稼いでいるという。ノンフィクションライターの中村淳彦さんが書いた『同人AV女優 貧困女子とアダルト格差』より紹介しよう――。

※本稿は、中村淳彦『同人AV女優 貧困女子とアダルト格差』(祥伝社)の一部を再編集したものです。

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■AVよりも「ポルノハブ」を選んで月収100万円超に

本書で、同人AVは「適正AV以外のアダルトビデオ」と定義した。その中でも最先端と呼ばれる同人AVは、カナダ発のプラットホーム「ポルノハブ(Pornhub)」を利用したポルノハバー(Pornhuber)たちのファンクラブ運営である。

ポルノハブとは、無料でポルノ映像が閲覧できるサイトで、全世界で10番目にアクセスされている巨大プラットフォームとして知られている。ポルノ映像専門のユーチューブと言えば分かりやすいだろうか。

村上太郎(34歳、仮名)はポルノハブで30チャンネル以上を運営するポルノハブ・プロデューサーで、東京の高級住宅街にある1LDKのマンションの一室を自社スタジオとし、大きなベッドには2台のカメラが常備されている。

中村淳彦『同人AV女優 貧困女子とアダルト格差』(祥伝社)

ポルノハバーたちのファンクラブ用の撮影は作品ではなく、ファンの要望に応えるだけのマーケティングという意識を最優先にして撮っている。撮影場所や台本は重要でなく、いつも同じ場所で撮影しても何も差し支えがない。

スタジオの近くに彼がプロデュースする人気ポルノハバー女性が住んでいるという。取材をお願いすると、坂井志穂(仮名、29歳)はすぐに来てくれた。

坂井志穂は1年前にメンズエステ嬢をしているとき、男性客として通う村上太郎からファンクラブ運営を持ちかけられる。

悩んだ末に頷いてポルノハバーとしての活動を開始し、ファンクラブの会員は、もうすぐ300人となる。広告収入とサブスクリプション収入で月80万円、ファン向けのエステサービス提供で月50万円、ポルノハバーになってからの月収は100万円を軽く超えている。

村上さんにはメンズエステでスカウトされました。2、3回くらい指名で来てくれて、最初は断った。メンズエステから吉原のソープランドに移って働いているうちに、いまの仕事よりもポルノハバーのほうが楽しそうだなって思い始めた。
村上さんから「カメラの前で、いまやっているようなマッサージをして、君のファンクラブを運営する。お金になる。一対一で接客することがないから楽だよ」って言われた。本当にその通りでした。

■月1の撮影で、3日おきに新しい映像をあげる

坂井志穂は、元AKB48の大家志津香似な明るく元気のある女性だった。Gカップのスタイルが抜群で、脱ぐとさらに美しくなるタイプである。メンズエステではポルノハバーだけでなく、適正AVプロダクションからもスカウトを受けていた。

メンズエステには、AVプロダクションの社長もお客さんとして来ていて、同時期にその人からもスカウトされました。どっちにしようかってなったとき、村上さんのほうを選んだけど、有名なプロダクションだったので正直悩みました。
そのときはお昼の仕事もしていたし、家族とか友達のことを考えて、顔出しがネックだった。バレたくなかった。
マスクはつけられるのかとか聞いたけど、村上さんはOKで、プロダクション社長にはAV女優は顔を出さないと難しいって言われた。それが決め手になりました。

吉原では1本7万円の高級店で働いた。採用が厳しいことで有名な店だ。高級ソープランドもスタイルが評価されて採用となった。

結局、ソープランドは3カ月で辞めちゃった。高級店に採用されたけど、想像よりも稼げなかったし、性病になったりしてサービス業はリスクがあるなって。1本総額7万円のうち、手取りが4万円。
コロナだったこともあって出勤して相手をするのは1、2名程度。閉店まで満員で予約満了みたいなことにはならなかった。稼いだのは月80万円くらい。どうせならば200万円くらい稼ぎたかった。

村上氏のスタジオで撮影したのは、2021年12月。スタッフを相手にしていつもやっているメンズエステの施術サービス、そして男優を呼んで本番を撮った。施術も本番も、ベッドを3台の固定カメラで囲んで複数の角度から撮影した。

配信を始めたのは2022年1月から、ポルノハブに3日おきに新しい映像をあげました。撮影は月1で施術も絡みもカメラを何台も置いて、一度の撮影でいろんなアングルから撮る。
アングル別で細かく出したら、月1の撮影でも足りる。ファンを相手にすることもあって、ファンだと施術で抜くところまでやります。本番は男優さんを呼ぶ。一度の撮影で多いときは3人を相手にするけど、私のやることはそれだけ。
写真=iStock.com/KrisCole
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■本番動画を出して付加価値がついた

ポルノハブの再生数、ツイッターのフォロワー、ファンクラブの会員はだんだんと増えていく。初月の売上5万円、それから倍々で増えた。開始から半年で月収は50万円を超え、いまは月80〜100万円で推移している。

ポルノハブで発信することで多くの男性に認知されて、メンズエステも店に所属しないでフリーでファンの方を相手にサービスしています。ファンの方をこのスタジオに呼んで、一対一でサービス提供します。
いまメンズエステが流行っているのと、本番まで晒したことで逆に人気が出たように感じる。メンエスの女の子は基本的にヤレないじゃないですか。でも本番動画を出したので、結果的に人と違うみたいな感じになった。

ポルノハブで発信してファンを増やしたことで、広告やサブスク収入だけでなく、ファン相手のメンズエステサービスも始めている。働こうと思った日に予約はすぐに埋まるだけでなく、店にお金をとられないのでひとり当たりの単価が2倍になった。

いまファンの方には、楽しそうにプレイしているって言われる。楽しそうなのが伝わってくるからファンになった、って言われます。
あまり自分をつくることができない性格なので、ファンの方に直接施術をするときは、なるべく素に近い状態でやる。思っていたより、近い存在だって思ってもらえています。
風俗もキャバクラも、色恋がメインになる。でもファンの人はマッサージにお金を払ってくれるから、色恋とかないし、精神的な負担はあまりない。本当にいい仕事を見つけたと思いました。

ポルノハバーになって撮影は月1、ファン相手のセラピストとしての施術では単価が2倍になった。風俗店での待機時間、初回男性客との人間関係構築、風俗店へのマージンなど、無駄な時間や労力はすべてなくなっていいこと尽くめだという。

■ネズミ講被害から夜の街へ

坂井志穂は学生時代にキャバクラ嬢になり、吉原の高級ソープまで一通りの夜職を経験している。どうして、その道を歩むようになったのか聞いていく。

専門学校生時代から歌舞伎町で働いていました。キャバ嬢になったきっかけはネズミ講に引っかかってお金が必要になったことが理由で、学校の友達には秘密にしてキャバ嬢をした。
風俗はそのキャバで一緒に働いていた女の子から出稼ぎ風俗に行こう、って誘われたのがキッカケ。その子はホス狂いで、いつも、いつも、お金が大変って言っていた。出稼ぎ風俗にひとりで行くのはツライから一緒に来てほしい、ってなった。

学生時代はお金には困っていなかった。東京近郊の実家暮らしで、学費は両親が払ってくれた。歌舞伎町のキャバクラ嬢になってから現在に至るまで、お金に困った経験はまったくないという。

引っかかったネズミ講は、初月20万円の入会費を払って、誰か勧誘して20万円を入れると、自分に6万円の給料が入るみたいなシステムでした。みんな中学とか高校の友達に売っていたけど、私は出会い系サイトで男性に営業した。
会って営業すれば、買ってくれるおじさんはいたので損はしなかった。ネズミ講に引っかかったのは、同性の友達を出会い系サイトで探したから。初めて会った女性にキラキラしたコミュニティーに誘われて――。学生あるあるですね。

■「キャバクラで働いてもいいことない」

歌舞伎町のキャバクラ嬢になって、同じ店に勤める、同じ年齢の女子大生の友達ができた。その友達は歌舞伎町で働いて、すぐにホス狂いになった。

担当ホストに貢ぐようになってキャバクラの収入ではお金が足りなくなり、出稼ぎ風俗嬢になった。最初の出稼ぎのとき、強引に誘われて一緒に行っている。

スカウトマンに紹介されたのは、福島県の小名浜だった。坂井志穂は田舎で寝泊まりするのがすぐに嫌になって辞めてしまった。数カ月後、ホス狂いの友達から借金を申し込まれた。65万円を貸したら、その友達はすぐに目の前から消えた。

キャバクラで働いてもいいことないと思った。借金を返してもらわないまま飛ばれたことが原因で辞めました。それでメンズエステで働くようになって、すごく稼げた。
一番よかったときは、月100万円くらい。メンズエステは女の子がマッサージするけど、逆に女の子にマッサージをしたいってお客さんが多くて、そういうお客さんからチップで10万円もらうとか、おいしいことが続いた。
メンズエステで稼げたことで風俗が面白くなって、もっと稼ぎたいなと思ってパパ活も始めました。

■お金が欲しいのは自分に見栄を張るため

坂井志穂がパパ活を始めたのは、「パパ活」という言葉が生まれる前で、「愛人紹介」と呼ばれた時代である。交際クラブに登録して何人もの男性を紹介してもらった。

パパ活はあんまりでした。月によっては依頼がないときもあって、あまり稼げなかった。稼げなかった理由は、かわいい女の子が多かったから。
それで最初から大人の関係は全然OKってしたけど、あまり依頼がなかった。会ってもご飯だけで終わることもあるし、交渉が苦手なので続かなかった。
おじさんにブスだから帰るわ、みたいなことを言われたこともあった。自分には合わないなと思った。

彼女が学生をしながら、風俗嬢とパパ活をしていたのは2013〜2014年である。アベノミクスによって女性の貧困が深刻化する中で、華やかな日常を発信する港区女子が注目された時期である。

夜職を活発にやったのは遊ぶためと、あと見栄を張るため。インスタとかツイッターとかが流行って、港区女子が出てきた。
女の子がブランド物を持つことがステイタスで、それまで男性に舐められることが多かったので、ブランド物が欲しかった。可愛くなきゃいけないみたいな意識が芽生えて、洋服とかブランド物にお金を使っていました。
ホストも行っていたけど、貢がなかった。お金が欲しいのは自分に見栄を張るため、そんな感じ。自慢するためにやっていました。
写真=iStock.com/Ivan-balvan
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■吉原の高級店より、もっと稼ぎたい

専門学校を卒業して、中小企業に就職した。就職してもメンズエステの仕事は続けた。初任給は安くても、メンズエステで稼げるのでブランド物も買えるし、歌舞伎町に遊びにも行ける。

学生のときは朝9時から17時まで授業、18時〜深夜3時までメンズエステに出勤して3時から歌舞伎町で遊ぶ。そんな生活だった。社会人になっても19時からメンズエステに出勤して終電まで働いた。

とにかく風俗で働くのは楽しいって感じでした。しばらく昼職とメンズエステの仕事を続けたけど、コロナ前あたりに“究極の風俗って何だろう?”って興味を持ち出した。
それで、吉原の高級店を経験してみたくなった。その頃にメンエスに客で来た村上さんにスカウトされたんです。

コロナ禍の2021年10月、吉原の高級ソープランドに移った。すでに村上太郎からポルノハバー、AVプロダクション社長からAV女優のオファーを受けていたが、ペンディングして高級ソープ嬢になっている。

吉原では、そんなに稼げなかった。出勤すればひとりはつくけど、慣れてないのもあって2人とか3人とか。悪いときはひとりで帰るみたいな。
吉原って世界が気になっていて、人生の話のネタになるかなって思った。綺麗なドレスを着て、高いヒールを履いて接客するってことに興味があった。でも、思ったように稼げなかったのでポルノハバーになりました。

高級ソープ嬢を3カ月経験して、稼げたのは月80万円程度だった。メンズエステで稼いだ最高額100万円を超えることはなかった。想像していた華やかなソープ嬢にはなれなかった。2021年12月、村上氏に「ポルノハバーに挑戦したい!」と連絡している。

■エロさよりも男性への寄り添いが大事

ポルノハバーになってファンの人を相手に施術をするようになって、相手に寄り添う施術を意識するようになった。男性は心が疲れていたり、寂しかったりするのでサービスを受けにくる。だからエロさより、どれだけ相手に寄り添えるかが大事だと思った。
男性はいろいろだけど、奥さんとはセックスレスの人が多いし、出会いがなくて彼女ができたことがないとか、仕事で大きなストレスを抱えているとか。
それとモテなくて寂しいみたいな人も多い。だからファンになってくれる方の気持ちを感じるし、風俗嬢だった頃より相手はどんな人だろうって興味を持つようになりました。

坂井志穂はポルノハバーとして広告収入、サブスク収入、完全予約制のファン向けの施術をするようになって、とにかく合理的に働いている。撮影は月1、気が向いたときの施術はせいぜい週1、無駄がなくなって時間が余るようになった。

数年前に昼職は辞めてしまったが、いまは専門学校で学んだことを活かした昼職に就こうと思っている。現在、何社かに誘われていて、来春までにどこかの会社に就職する予定だという。

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中村 淳彦(なかむら・あつひこ)
ノンフィクションライター
1972年生まれ。著書に『名前のない女たち』シリーズ(宝島社)、『東京貧困女子。』(東洋経済新報社)、『崩壊する介護現場』(ベストセラーズ)、『日本の風俗嬢』(新潮新書)『歌舞伎町と貧困女子』(宝島社)など。現実を可視化するために、貧困、虐待、精神疾患、借金、自傷、人身売買、介護、AV女優、風俗などさまざまな社会問題を取材し、執筆を行う。
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(ノンフィクションライター 中村 淳彦)