彼との未来には、もはや恐怖すら感じる…。女をドン引きさせた、37歳弁護士が抱く理想の家庭像
松坂由里香は、パーフェクトな女。
美貌。才能。財力。育ち。すべてを持つ彼女は、だからこそこう考える。
「完璧な人生には、完璧なパートナーが必要である」と。
けれど、彼女が出会う”未来の夫候補”たちは、揃いも揃って何やらちょっとクセが強いようで…？
松坂由里香の奇妙な婚活が、いま、幕を開ける──。
▶前回：「デートの記念に」と彼に言われて撮った2ショット。女がドン引きした、まさかの用途とは
Vol.9 頼れる男
午後イチの会議を終え、ミーティングスペースからメンバーが散っていく。
「こ…これは…！」
「あーっ！ちょっと、見ないでよー！」
由里香も慌ててデスクに戻ってきたものの、時すでに遅し。星野は口元に手を当て、プルプルと震えながら笑いを堪えている。
「…もう、いいよ笑っても。わかってる。ヤバいよね、この写真」
デスクの上に置いてあるのは、いかめしく台紙にセットされた六つ切り写真だ。
写っているのは、似合いもしない振袖に身を包み、こわばった笑みを浮かべる由里香…。
「婚活するって宣言したのにいつまでも決まらないから、親がお見合いの話を持ってきたの。それにしたって昭和感すごいよね」
「俺…、ダメだ、すいません。なんですかこの表情！普通にしてればキレイなのに、由里香さん、本当に結婚する気あります？」
ついに堪えられずブーっと吹き出して爆笑する星野を見つめながら、由里香も脱力する。
けれどその瞳からは、いつもの好奇心に満ちたきらめきは少しも失われていない。
「結婚する気あるにきまってる！むしろ、こんなコテコテなお見合いする機会なんてそうないから、楽しんでくるつもりだよ。なんでも経験してみるのが私のモットーだもん。
それに、相手の写真も見たけど結構カッコいいの。良家のおぼっちゃん。開成から東大。大手町のパートナー弁護士だよ！どうしよう、トントン拍子で進んじゃったら〜」
こうして由里香は、意外にもすこぶる乗り気でお見合いの日を迎えたのだった。
◆
『オーキッド／ジ オークラ東京』でのお見合いは、由里香の予言（？）通り、予想外なほどにうまく進んだ。
お見合い写真の仰々しさとは違い、私服で二人だけの初顔合わせ。
「親の顔を立てるために渋々来たんですが、由里香さんみたいな素敵な人に会えるなんて。来てよかったです」
無口で硬派な雰囲気ながらも、低い声で快活にそう話すタケルとは、由里香も全く同意見だった。
「由里香さん、イタリアンがお好きなら、次はあの店に行きましょう」
と、由里香の希望をくみつつデートプランを決めてくれる決断力。
「ここは出させてください。こんなときくらい、カッコつけさせてくださいよ」
と、有無を言わさず一切のデート代を出してくれる男気。
「夜も遅いので、家まで送ります。何かあってからじゃ遅いから」
と、紳士的に女性を気遣ってくれる優しさ。
「由里香さん、お仕事でいつも気を張ってるでしょ。一緒にいる時くらい、僕のこと頼ってくれたら嬉しいよ」
と、とことん甘えさせてくれる包容力…。
― なにこれ！タケルさん、すごくない？エリート弁護士だけあって、話も知的だし。こんなに頼り甲斐のある日本男児が、まだ婚活市場に残ってたの〜！？
由里香は、完全にタケルに心をつかまれていた。
3回目のデートの帰り道。
さりげなく車道側を歩いてくれるタケルの横で、由里香の気分はすっかり高揚していた。
「あの、タケルさん。4回目のデートはどうしましょうか？」
高まる鼓動に後押しされるように由里香が尋ねると、ふいに、タケルの手が由里香の頬に優しく触れる。
「よかったら、次は僕の部屋に来ない？由里香さんの手料理が食べてみたい」
「え、手料理ですか？」
そう言いかけている途中で、タケルの薄い唇が重なった。甘い衝撃と、頬に感じる無骨な手の感触。
由里香は「はい」と答える代わりに、街灯の薄明かりの下、深くキスを受け入れるのだった。
◆
「いやぁ、ごちそうさま。由里香さん、料理も上手なんだね。嬉しいなぁ」
「良かったぁ、喜んでもらえて」
目黒駅からほど近い低層マンションに呼ばれたのは、キスから1週間後のことだった。
「得意料理が食べたい」というリクエストに応えて作ったのは、鶏のトマト煮。
あまり手の込んでいない料理だったけれど、優しいタケルならきっと美味しいと言ってくれるだろう。そんな予想が外れなかったことに、由里香はホッと胸を撫で下ろした。
けれど、次にタケルが放った言葉に、由里香は内心クエスチョンマークを浮かべる。
「ねえ…結婚したらさ。由里香さんのこんな手料理が、毎日食べられるんだね」
「えっ、毎日私が？でも、私も会社があるし…」
うっとりと呟くタケルにやんわりと反論しようと試みるものの、前回のデートで一歩前進したためか、またしてもその言葉はキスで塞がれてしまうのだった。
「タケルさ…」
「…いい？」
力強く抱きしめられて、頭の中が真っ白になる。
「あ…」
由里香は、タケルの大きな手に導かれるがまま寝室へと向かう。
そして、男の一人暮らしとは思えないほど綺麗にシーツが張られたダブルベッドに、ゆっくりと体を預けるのだった。
◆
― 相性はまあ、普通かな？
余韻を感じる汗ばんだ肌に、シーツをまとわせる。
まだ残るほのかな柔軟剤の香りを感じていると、タケルが優しく由里香の髪を撫でた。
「由里香…」
― 由里香？終わった途端、急に呼び捨て？
ベッドを共にした途端の呼び捨てに若干の戸惑いを覚えつつも、気を取り直してタケルに向かって微笑む。
「おかしな順番になっちゃってごめん。今度、きちんとプロポーズさせて」
「わぁ、嬉しい…」
そう言って由里香は、タケルの腕枕に頭を預けるけれど…。3回目のデートの帰り道以来、不思議と、妙な居心地の悪さを感じてしまう。まるでこの、ゴツゴツと寝心地の悪い腕枕みたいに。
そんな由里香の気持ちなどまったく気づかずに、タケルはピロートークを続ける。
「結婚式はいつがいいかな。子どもはいつ頃にしようか。由里香の仕事がセーブしやすくなる時期も考えなきゃいけないよね」
「え？仕事をセーブ？」
タケルが何気なく放った言葉に、心地の悪さは急激に加速していく。
いつのまにか、仕事から離れることにされていた由里香は、驚きのあまり腕枕を外して上体を起こした。
「なんで私が仕事セーブすることになってるんですか？私、会社やってるんですけど」
「いやいや、だって、社長業やりながら息子を開成に入れるのは難しいでしょ〜」
タケルの眼差しは、まるで「オッチョコチョイだなぁ」とでも言いたげだ。
続けて、タケルはこう言い放った。
「やっぱり、男が仕事、女が家庭。なんだかんだでこれが一番うまくいくからね。うちは父が弁護士で母は専業主婦だから、そんな家族の形が一番だってこと、わかってるんだ。
由里香も、今まで一人で頑張ってきたと思うけど、もうこれからは僕を頼っていいんだよ。任せて。絶対幸せにするから」
言っていることが、一瞬わからなかった。けれど、少しの間を置いて…由里香はようやく理解する。
― え？え？タケルさんの中で、私は専業主婦になって、男の子を産んで、自分の母校に入れることが、当然のように決まってるってこと？
「え？こわっ」
思わず口から本音がこぼれ出た、その時だった。
閉ざされた寝室の扉の向こうで、玄関がギーっと開く音がする。
「へっ、なに？泥棒！？」
由里香はタケルにしがみついた。寝室のドアの外で、ガチャガチャと音がする。
そして、しばらく物音を立てたかと思うと、再び玄関のドアが閉まる音がして──気配は去っていった。
「なになに？怖い！オバケ！？」
声をひそめながらタケルにすがっていた由里香の様子を、タケルは愛おしそうに見つめる。
そして、当たり前のことを説明するように言うのだった。
「あはは〜大丈夫だよ。今のは、隣に住んでる母親。普段、家事を任せてるから、洗濯物を取りに来たんだと思う。
…でも、こうして頼ってくれて、男として嬉しいよ！あ、今日の洗い物は後で母がやると思うけど、結婚したら、嫁としてしっかりお願いね」
全身を、恐怖が走り抜ける。由里香は、弾かれるようにタケルから身を離すと、脱ぎ捨ててあった服をさっと身につけた。
「あのぉ、すいません。この話はなかったということで…」
何がいけないのかわかっていない様子のタケルに向かって、寝室の端から小さく宣言する。
そして、そそくさと玄関へ向かい、外へと出る間際。タケルの方へと向かって、今度は思い切り言い捨てる。
「女にもいろいろな幸せがあるってこと、パパとママに教えてもらったほうがいいですよ！」
◆
目黒から命からがら白金の方まで逃げて来た由里香は、息を切らしながら乾いた笑みを浮かべた。
「ひええ〜、マジでこわい！あんな日本男児が、まだ婚活市場に残ってたのね〜！」
あまりにショックすぎて、誰かとこの出来事を共有したい。その一心で星野に電話をかけようとした由里香だったが、寸前で思いとどまった。
『由里香さん、本当に結婚する気あります？』
ゲラゲラと笑い転げていた、星野のあの姿…。
失敗続きの婚活をこれ以上星野に知られたら、何を言われるかわかったものではない。
― 次から次へと、変な男ばっかり。どうしてうまくいかないんだろう。私は本気で、本気で、完璧なパートナーを探してるのに…。
耐えきれないほどの徒労感が、一気に由里香に襲いかかる。このまま家に帰ったら、泣いてしまいそうだ。
― そんな惨めな姿、自分自身が…松坂由里香が、許せない。
そう思った由里香は、ふとその場にあった隠れ家的なバーに足を踏み入れる。
強いお酒で、これまでの男たちのことをすっかり忘れてしまいたかった。
けれど…。
「あっ！」
重いオーク材のドアを開け、席に座ろうとしたその瞬間。由里香は思わず悲鳴をあげた。
お気に入りのベージュのワンピースが、真っ赤に染まったのだ。
「す、すみません！！」
ワンピースにかかったのは、深い緋色のワインだった。
隣の席の、シラーグラスを手に持った長身の男性が、呆然と立ちすくむ由里香に向かって平謝りする。
― もう…最悪…！
悪夢続きの現実に、固く目を閉じていた由里香だったが、どうにか気持ちを立て直し、「大丈夫ですよ」の一言を差し出すためにそっと目を開ける。
しかし、視線を上げて、男性の顔を見た時。
「あ…」
由里香の口から出たのは、息を飲む音だけだった。
▶前回：「デートの記念に」と彼に言われて撮った2ショット。女がドン引きした、まさかの用途とは
▶1話目はこちら：お泊まりデートの翌日。男は先にベッドを抜け出し、女の目を盗んでこっそり…
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奇妙な婚活に疲れ果てた由里香。ついに出会った、“完璧な男”…！
