ウクライナ産「先進的すぎた輸送機」の顛末 驚愕スタイルのエンジン、実は高スペック?
アントノフ設計局が手掛けた輸送機「An-70」は、斬新な方式のエンジン「プロップ・ファン」を搭載し初めて飛んだユニークな輸送機です。どのような機体で、そのメリットは何だったのでしょうか。
1994年12月16日初飛行
旧ソ連、現ウクライナのアントノフ設計局といえば、重量ベースで世界最大の機体An-225「ムリヤ」を手掛けたことで有名な航空機メーカーです。ただ、それ以外にも、ユニークな飛行機を開発しています。そのひとつ、1994年12月16日にキーウ(キエフ)で初飛行した輸送機「An-70(AN-70)」は、史上初の方式を取り入れたエンジン「プロップ・ファン」を搭載した機体で最初の飛行と伝えられています。
An-70(画像:アントノフ社)。
An-70は、同社のターボ・プロップ輸送機An-12のエンジンを変更した輸送機です。機体のサイズは全長約40m、全幅約45m。搭載量を最大にした飛行可能な距離は約4000kmとのことです。
そして搭載されているプロップ・ファンは、現代のプロペラ旅客機で一般的なターボ・プロップ・エンジンの発展型で、同軸でつながった二重のプロペラが、相互に逆方向にまわる「二重反転プロペラ」を備えたもの。現代のジェット機で一般的な「ターボ・ファン・エンジン」のエンジンカバーを取り払ったようなイメージで、ターボ・プロップよりプロペラの枚数を多くすることで、推進力を増大させています。An-70に搭載されたプロップ・ファンは、エンジン1基について14枚のブレードが取り付けられています。
プロップ・ファンは、“燃料消費は少ないが速度は遅い”ターボ・プロップより速く飛びながらも、“速度は速いが燃料を多く消費する”ジェット旅客機で一般的なターボ・ファンより燃料消費を抑えることができるというもの。そのため、プロペラ推進の機体にもかかわらず、その最大速度はジェット旅客機より少し遅い程度の約800km/hにもなります。また、短距離離着陸性能にも優れており、長さ600から800mの未舗装滑走路でも離着陸できるとされました。
「斬新エンジンの新型輸送機」An-70、どうなったの?
An-70のベースモデルとなった軍用輸送機An-12は1000機以上が製造されたヒット機です。旧ソ連では、An-12の後継機の開発をアントノフ設計局に依頼しました。なお、同じクラスの軍用輸送機として、ターボ・ファン・エンジンを搭載したIl-76がありましたが、革新的でメリットも多い、プロップ・ファンを搭載する将来性を踏まえて、An-70を開発することにしたようです。
開発は1970年代中盤から始められ、1980年代にはソ連軍からの要望に対応して、300人の落下傘兵が搭乗でき、舗装されていない飛行場でも運用できる機体を目指して、開発が進められ、1989年に契約が成立しました。
ただ、ちょうど試作1号機の開発を進めている1991年にソビエト連邦が崩壊。An-70の開発は、ウクライナが国営企業を設立して継続し、初飛行にこぎつけました。ただ、その4年後、4回目の試験飛行の際、An-70は随伴機のAn-72と接触し、墜落してしまいます。
そこで、機体の強度を計測するために製作していた静試験用機を、試作2号機として飛行試験に使用することとし、1997年4月24日に初飛行。実用化にむけて準備が進められました。
公式に情報があるAn-70は、この1機のみです。当初ロシア軍とウクライナ軍では、An-70を大量に上発注する計画で開発を進めていましたが、現在にいたるまで量産化はなかなか進んでいません。
また、同型機のキモともいえる「プロップ・ファン・エンジン」も現在のところ広く普及していません。特有の空気を切り裂く音や振動などがあり、快適性や騒音問題などでウィークポイントがあったのです。また、エンジンのスタイルが斬新すぎて、やはり長年の歴史から安定感のある「ターボ・ファン」「ターボ・プロップ」が好まれたのも一因かもしれません。
なお、現在ロシアとウクライナは軍事対立の真っ只中。An-70のプロップ・ファンはソ連・ロシア製であるため、この機の量産はますます遠のいてしまったといえるでしょう。