「はつかり」ならぬ“がっかり”は最初だけ? 初の特急形気動車キハ80系 開発も一苦労
いまや全国で見られるディーゼルカーによる特急車両。その元祖というべき車両が国鉄のキハ80系です。設計に起因する多くの問題を抱えつつも、動力近代化を推し進め、特急列車を身近にした立役者ですが、最初は不名誉なあだ名もありました。
非電化路線にSLによらない特急車両を
国鉄初の電車特急151系が運行開始したのは1958(昭和33)年のこと。当時の鉄道車両の中でも群を抜いてサービスレベルの高い車両でしたが、当然ながら非電化路線は走れません。国鉄は、ディーゼルカーでも長距離を快適に走れる車両を模索しました。
京都鉄道博物館に保存されているキハ81形(2022年10月、安藤昌季撮影)。
同じころ、上野〜青森間には東北本線初の特急「はつかり」が誕生しました。ただし蒸気機関車が牽引する従来のスタイル。客車こそ茶色ではなく青地に白帯、固定クロスシートの44系や10系など比較的新しい客車を使用していましたが、国鉄は蒸気機関車による牽引列車では、これ以上の高速化は不可能と考えていました。
同年、第1回アジア鉄道首脳者会議が開催され、国鉄は151系らしいディーゼル特急を開発すべきという方針を決定します。後のキハ80系です。すでに登場していた準急列車用ディーゼルカー(キハ55形)でも、その加速性能はC62形蒸気機関車牽引の特急列車を上回っており、さらに無煙化によるサービスアップも実現していました。
1960(昭和35)年には、第2回アジア鉄道首脳者会議の開催が予定されていました。当時の日本は外貨獲得が急務であり、国鉄は「特急形ディーゼルカーをお披露目すれば、鉄道車両の輸出促進につながる」と判断します。
151系電車っぽく出来上がったキハ80系
このためキハ80系の開発は急ピッチで進められます。当初は試作(キハ60形)として、400馬力の新型エンジンを搭載しますが失敗。これは静粛性を重視し、客室の床にエンジンの点検蓋を付けないようエンジンを水平シリンダーにしたことで潤滑油が円滑に回らず、かつ変速機の作動も不安定だったからでした。成功したのは、ディスクブレーキを装備した空気ばね台車だけという状態だったのです。
車内に売店を備えた先頭車キハ81形(2022年10月、安藤昌季撮影)。
キハ80系は180馬力の従来型エンジンを2台搭載して、必要な馬力を確保する方法を取ります。先頭車両のキハ81形は1エンジン、食堂車はエンジンなしのため、同じ2台エンジンの急行形キハ58系よりも走行性能で劣りました。ゆえに新型エンジンが成功していたら、最高速度110km/h運転を想定していましたが、100km/hで妥協したのでした。
1960(昭和35)年に完成したキハ80系は、特急「はつかり」として運行を開始します。完成時は、売店を車内に備えたキハ81形を先頭とした9両編成で、2等車キロ80形を2両、食堂車キサシ80形も連結していました。前頭部はいわゆるボンネット型です。
コストダウンのため、151系と異なり横引きカーテンがロールカーテンとなったり、1等車の絨毯が省略されたり、2等車の座席背面がデコラ張りにされたりなどの仕様変更はありましたが、従来の蒸気機関車特急よりも大幅にグレードアップしていました。
「はつかり」ならぬ“がっかり”?
しかし完成を急いだこともあり、営業運転前の試運転が不十分でした。水平シリンダーにしたエンジンは、やはり潤滑油が不均一となり、トラブルを続出させました。特に東北本線の勾配区間でエンジントラブルを起こすと、勾配を登りきれないばかりかオーバーヒートでエンジンの発火事故まで発生しました。
前頭部をボンネット型から貫通型に変更したキハ82系ディーゼルカー。特急「ひだ」運行開始日の様子(画像:下呂市)。
冷房や食堂車の機器を動かすための発電用エンジンも、不調が多くありました。出力不足は最後まで起き、「冷房が止まるので、食堂車の機器を止めてほしい」と車掌が食堂長に要請することもあったそうです。こうしたトラブルが頻発したことから、「はつかり “がっかり”」と揶揄されるほどでした。
しかしメーカーの苦労もあって次第に性能は安定し、1961(昭和36)年のダイヤ改正では全国にキハ80系による特急列車を増発することが決まります。この際に登場したキハ82系は、先頭車両がボンネット型から貫通型に改められ、分割併合運用に対応しました。また、食堂車キシ80形も定員減と引き換えに2台エンジンとし、パワー不足を若干解消しています。
当時は特急列車が少なかったこともあり、例えば特急「白鳥」は大阪〜青森間と、大阪〜上野間を結ぶ編成を併結していました。このため、併結区間では食堂車2両が営業しており、食べ比べをする乗客も見られたようです。
ジョイフルトレインへ変貌した車両も
キハ80系は1967(昭和42)年までに計384両が造られ、四国(「リゾートライナー」に改造された車両は乗り入れていますが)を除く北海道から九州までの全国を走りました。ほぼ東海道・山陽本線のみだった特急列車を身近なものとしたのです。しかし1968(昭和43)年、大出力エンジンのキハ181系、1979(昭和54)年にキハ183系が登場し、キハ80系は活躍の場面を狭めていきます。
三笠鉄道記念館に6両編成で保存されているキハ80系(2014年4月、安藤昌季撮影)。
ただ1986(昭和61)年、北海道で展望席を備えたジョイフルトレイン「フラノエクスプレス」に改造されたことを皮切りに、「トマムサホロエクスプレス」(1987年/JR北海道)、「リゾートライナー」(1988年/JR東海)へと改造されました。
最後の特急運用は紀勢本線などを走った「南紀」で、1992(平成4)年まで使われました。その後、臨時運用で1995(平成7)年まで運行され、2009(平成21)年に廃車されました。
2022年現在は、「三笠鉄道記念館」(北海道三笠市)に6両編成で保存されているほか、キハ82形とキシ80形が「小樽市総合博物館」に保存。また、先頭車両はキハ81形が「京都鉄道博物館」(京都市下京区)、キハ82形が「リニア・鉄道館」(名古屋市港区)と「北海道鉄道技術館」(札幌市東区)、「青函連絡船メモリアルシップ 八甲田丸」(青森県青森市)にそれぞれ保存されています。なお「三笠鉄道記念館」では、キシ80形食堂車を活用した食堂施設もあります。