装甲を施し内燃機関を持つ戦闘車両すなわち「装甲車」は、ガソリンエンジン黎明期よりその発想はありました。しかし世界初の装甲車といわれるものは、現代装甲車とは似ても似つかぬものでした。19世紀末、幻の珍兵器のお話。

確かに「内燃機関を積んだ最初の装甲車」だけど…

 防弾装甲で覆われた車体に大砲と機銃を装備し、履帯(いわゆるキャタピラ)でどんな悪路も進んでくるという戦車は、第1次世界大戦中の1916(大正5)年9月15日、フランス北部のソンムの戦場に登場しました。このイギリスの「マークI」戦車は、現代戦車から見ると異形ではありますが、打撃力、防御力、機動力を兼ね備えた「最初の戦車」として歴史の教科書にも載っているほど有名です。

 一方、「装甲と火器を持ち内燃機関で動力化された最初の『装甲車』」が何なのかは、あまり知られていません。こちらもやはり異形です。


四輪自転車に機関銃を載せたような「モータースカウト」(Iliffe Press、Public domain、via Wikimedia Commons)。

 1898(明治31)年に、イギリスの実業家であり発明家でもあったフレデリック・リチャード・シムズの開発した、当時の新兵器だった機関銃とガソリンエンジンを組み合わせた「モータースカウト」が、その「最初の装甲車」にあたると見られています。

 ガソリンエンジン付四輪車の前輪上部に「マークIVマキシム機関銃」を搭載し、操縦手は銃手も兼ね、前方には防弾板を設置しました。しかし、装甲に覆われた厳つい現代の装甲車のイメージとはかなりかけ離れたクルマです。車体は馬車か自転車かと思うくらい華奢で、よく言って「機関銃付きの4輪自転車」といったところです。

 実際、「モータースカウト」に搭載されたエンジンの出力は1.5馬力程度で、補助用に足漕ぎペダルがついていました。いわば「ガソリンエンジン付きアシスト自転車」です。機関銃の代わりに座席を設けて、ふたり乗り四輪自動車「スカウト」として120ポンドで一般にも販売されていました。当時の自動車はとても高価で富裕層向けだったので、「スカウト」は比較的、安価だったといえます。それでも一般労働者の年収の数年ぶん相当でした。

背景にあるのは戦場を一変させた「機関銃の登場」

 19世紀末に登場した機関銃は、「ゲームチェンジャー」といってもよい兵器でした。このころイギリスは世界各地で植民地戦争を戦っており、遅れた武器しか持たない植民地の現地人を相手に絶大な威力を発揮していました。

 マキシム機関銃は、19世紀後半にイギリスで開発されました。1893(明治26)年にローデシア(現在のジンバブエ)で起こった第一次ンデベレ(マタベレ)戦争でイギリス植民地部隊によって使用された際には、わずか4丁でンデベレ族軍5000人を撃退したとされます。もっともこのマキシム機関銃神話も誇張があるようで、どこでも威力を発揮したわけではありません。重くて機動性に欠けるため攻勢には使い難く、配置を間違えるとほとんど役に立たないこともありました。


市販されていたエンジン付き四輪自転車(AlfvanBeem、CC0、via Wikimedia Commons)。

 そこで、同じく黎明期だったガソリンエンジン付き自動車と組み合わせ、つまり機関銃に機動性を持たせれば、それはすなわち無敵に思えたのでしょう。「モータースカウト」の写真に見るその姿は、貧弱でとても戦闘に耐えられそうもありませんが、しょせん敵は植民地の武装も貧弱な軍勢であり、マキシム機関銃の威力をもってすれば敵を圧倒できるという自信もあったかもしれません。とはいえ1.5馬力で脚漕ぎペダル付きというのではいかにも力不足で、悪路走破性も悪く、兵器として採用されませんでした。

現代装甲車のルーツと自動車黎明期という時代

 このように、「モータースカウト」は現代装甲車のルーツとはいえませんが、シムズが次に設計した「モーター・ウォー・カー」は、その先駆けといえるものでした。

 1898(明治31)年10月に第二次ボーア戦争が起き、アフリカ大陸でのゲリラ戦に対応できるような「走れる機関銃」を使いたいという要望がイギリス陸軍から挙がります。1899(明治32)年4月、同軍からの発注により、シムズが設計した装甲車「モーター・ウォー・カー」をヴィッカースとサンズ&マキシム社が1台、試作しました。


「モーター・ウオー・カー」とその設計者シムズ。後部に2丁のマキシム機関銃、前部にQF1ポンド砲(AnonymousUnknown author、Public domain、via Wikimedia Commons)。

 この装甲車は全長8.5m、全幅2.4mで、ダイムラー製特注シャーシに厚さ6mmの装甲で覆われた前後の尖った船型ボディを載せ、ダイムラー製4気筒3.3リッター16馬力エンジンで最高14.5km/hにて走行しました。乗員は4名で、マキシム機関銃2丁を搭載しQF1ポンド(37mm)砲を載せることもできたようです。のっぺりとした外見でそれなりの走破性もあったとされますが、事故を起こしてギアボックスが破損するなど開発が遅れ、ボーア戦争には間に合いませんでした。

 19世紀末は内燃機関の黎明期でした。1885(明治18)年、ドイツのゴットリーブ・ダイムラーがガソリンエンジンで動く自動車の特許を出願し、同じ年カール・ベンツが実用に耐える三輪自動車を完成させています。ダイムラーも翌1886(明治19)年に四輪自動車を完成させています。


ダイムラー・モトールキャリッジと呼ばれる駅馬車にエンジンをつけた世界初の四輪自動車(Enslin、CC BY-SA 3.0〈https://bit.ly/3EAzoyO〉、via Wikimedia Commons)。

 シムズはイギリスの自動車産業のパイオニアでもあり「ガソリン=petrol」と「モーターカー」という言葉を作りました。1889(明治22)年に26歳のシムズはダイムラーと出会って意気投合し、1890(明治23)年、大英帝国内におけるダイムラーのガソリンエンジンに関する特許の使用と製造の権利をダイムラーから購入しています。1897(明治30)年には英国自動車クラブ(後のRAC)を設立しました。

 走る機関銃「モータースカウト」は日の目を見なかった珍兵器ですが、1世紀以上経過して同じようなアイデアが実行されています。ウクライナ軍は携帯対戦車火器を携えEバイク(いわゆるモペット、電動アシスト自転車)を駆りロシア戦車と戦っています。歴史に名を残す「マークI」戦車の子孫と、あまり有名でない「モータースカウト」の子孫が戦っているともいえます。