東京の住宅街の公園に、見慣れない鉄道車両が置かれています。新路線の建設時に投入された試作車ではあるものの、開業後には全く別の車両が走りました。いわば幻の車両です。

流線形ボディのステンレス車

 東京都豊島区、東京メトロ有楽町線・要町駅南側の住宅街に、見慣れない鉄道車両がポツンと置かれています。「千早フラワー公園」のフェンスに囲まれた一角に設けられたホームの両側に、先頭車が2両。ピンクの帯をまとったステンレス車で、「く」の字の流線形をしています。


豊島区の千早フラワー公園にある大江戸線の試作車(乗りものニュース編集部撮影)。

 この車両の正体は、都営大江戸線の開業前に製作・試運転された試作車です。

 大江戸線――法令上や開業当時は「都営12号線」――は東京の地下鉄として新機軸を多数盛り込まれ、それまでのノウハウで簡単に実現できるものではありませんでした。

 その最たるものが「ミニ地下鉄」です。当初は他と同じ1両20m級・10両編成で運行する考えでしたが、オイルショックによる財政悪化や、10年前と比較して最混雑時間帯の利用者が半減したという状況をうけ、建設費や運営費を到底まかなえないと判断。他社線のへの乗り入れを行わないことで独自の建設基準を採用し、費用の節減を図り、需要に応じた効率的な経営を行うことを重視することにしました。

 そこで1982(昭和57)年に再検討を行い、「16.5m級・8両の一回り小さい車両で、小断面のトンネルを走る」という方針が決定されたのです。

 集電方式は、地下鉄で多く採用されている「第三軌条方式」(線路の横の軌道に電気を流す)から、上から吊るした剛体の架線による集電方式に変更。150mmのコンパクト化を実現します。

様々な改造を経た「一つ目小僧」

 その小断面地下鉄の実用化に向け、試験用に造られたのがこの試作車「12-001」でした。狭いトンネルを走ることから空気抵抗や居住性を考慮し、先端を「く」の字にしたほか、側面形状も「曲がり妻」と呼ばれる「く」の字になっています。

 当初からワンマン運転を想定し、ドアの開く方向と同じ右側に運転台を置く設計になっています。ヘッドライトは中央に1基配置され、建設誌では「一つ目小僧風な斬新なスタイル」と評されています。

 試験当初は一般的な回転モーターが組み込まれていました。1986(昭和61)年に検車場や浅草線で走行試験を繰り返していましたが、リニアモーターの実用化にめどが立ったことから、さっそく改造でリニア車化。1988(昭和63)年に都営浅草線の馬込検車場の10番線にリアクションプレート(電磁力を生むアルミ板)を設置し、走行試験が行われます。台車はボルスタレス台車からリニア用の操舵式空気ばねに交換されています。

 あわせて、1989(平成元)年には「普通鉄道構造規則」が改正され、リニアモーター鉄道に関する基準類が追加されています。

 試験で収集されたデータなどに基づき、いよいよ本番用の1次車が製造されます。1990(平成2)年から先行開業区間となった練馬〜光が丘間の本線で走行試験が開始。1991(平成3)年12月10日に開業を迎えたのです。

 日本におけるリニア地下鉄としては、前年に開業した大阪市営地下鉄鶴見緑地線(鶴見緑地〜京橋)につづく2例目。これらの「新しい鉄道」は新時代・平成を象徴する存在として迎えられました。その後両者とも、都心へ順次延伸を果たしています。

 役目を終えた大江戸線試作車のうち、台車は近畿車輛へ、車体は現在の千早フラワー公園へ移設され、余生を送っています。