【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】
高齢化するスター選手たち(3)
(1)「カタールW杯でもメッシ、ロナウド、モドリッチが...高齢スター選手が増えたのはなぜか」から読む>>

 リオネル・メッシ、クリスティアーノ・ロナウド、カリム・ベンゼマ......サッカー界に君臨する「中年」選手たち。彼らが活躍できるのには秘密があった。そのひとつが「知覚」。すなわち「脳内にある詳細を解釈する」能力だ。年齢とともに肉体が衰えていく一方で、一流アスリートたちは何を獲得してきたのか。

 優秀なアスリートは決断の際に、非常に多くの選択肢を持っている。ロジャー・フェデラーは2019年、僕にこう言った。

「(リオネル・)メッシについて、たぶん最もすばらしいのは、ボールを持ったら体をゴールに向けて、全体を見渡せるようにすること。そこから、すばらしいパス、ドリブルあるいはシュートを繰り出す。いつも彼には3つの選択肢がある。それを持っている数少ない選手のひとりだ」

 この点はフェデラーも似ている。彼は12種類のフォアハンドを使い分けていると言われる。


5回目のW杯出場を果たしたリオネル・メッシ(アルゼンチン代表)photo by JMPA

 これだけ多くの選択肢があるのは「もちろんアドバンテージだ」と、フェデラーは言う。

「ただ若い時は、どんな時にどれを使えばいいかがわからない」

 一部の選手にとって、人生はとてもシンプルなものだと、フェデラーは言う。

「フォアハンドとバックハンドをひたすら打ち続けるのがうまい選手がいる。一日中、ひと晩中でも打てる」(フットボールに置き換えれば、ボールを取ったら、とりあえず最も近くのチームメイトにパスをする選手だろう)。そういう選手は選択に悩まない。すばらしい選手は悩む。フェデラーはさらに続けた。

「僕らにとっては(つまり、選択肢が数多くある天才たちにとっては)、ものごとはもっと複雑だ。このショットをどうやって打ってやろうかと考える。そこが信じがたいくらいエキサイティングなんだ。だから今、テニスのことがとても好きなんだろう。幾何学、アングル、どのショットをいつ打つのか、サーブとボレーは? ステイバックするのか? それともチップ&チャージか? そんな決断がずっと続く」

情熱もうまく鎮められるようになる

 すばらしいアスリートは年を重ねるにつれて、自分の道具箱のなかからベストの選択を見つけ出す。マンチェスター・シティのジョゼップ・グアルディオラ監督は、メッシのプレーを録画で見ていてポーズボタンを押すと、彼がつねに最善の選択をしていることがわかると語った。

 しかし、メッシがその段階にたどり着くには、長い時間がかかった。2005〜08年にメッシのスルーパス、ペナルティーボックス内へのパス、アシストは増え続けた。その後は、パスやゴールにつながったドリブルの割合が高くなりはじめたが、ドリブル自体の頻度は少しだけ減っていった。

 32歳のときにメッシは言った。「試合をより深く読むことを学んだ。どの瞬間にどこにいれば効果的で、決定的なプレーができるかがわかってきた」

 そして年を重ねるにつれ、選手たちはフットボールへのほとばしるような情熱をうまく鎮められるようになる。ズラタン・イブラヒモビッチは最近出版した自伝『アドレナリン』に、所属するミランがローマとのアウェーゲームでPKを獲得した時のことを書いている。チームメイトのフランク・ケシエが、イブラヒモビッチに蹴るように言った。もうじき交代させられることがわかっていたイブラヒモビッチは、こう思った。

「10年前だったら、そのボールを奪い取って蹴っていた。2点目を決めてからピッチを去るんだと、俺のエゴが要求しただろう」

「でも、今は違う。チームが自信を深め、自分たちが主導権を握っていると感じるのを目にしたい。俺はもうすぐピッチを去るが、仲間たちには勝ち点3をしっかりホームに持って帰るだけの強さを持ってほしい」

「俺は答えた。『いや、フランク。おまえが蹴るんだ』」

 ケシエはPKを決め、イブラヒモビッチはピッチを去り、ミランは勝利をつかんだ。イブラヒモビッチは、こうつづる。

「以前の俺は、100%アドレナリンだった。今はアドレナリンとバランスの両方が大事だ」

 もちろん、今の中年の天才たちが質の高いプレーをできるのは、医療やダイエット、危険なタックルの禁止などによって体が守られるようになってきたためだ。往年のスター選手が同じ環境にいたら、どうだったろう? ワールドカップの歴史はずいぶん変わっていたかもしれない。

 1974年大会にペレが出場していたら、ブラジルはどんな成績を収めただろうか。ペレは当時33歳で、今なら代表でプレーしていてもまったくおかしくない年齢だった。ヨハン・クライフは1978年大会に出場しなかったが、その時まだ31歳だった。家族を誘拐するという脅迫を受けたため代表入りを辞退して自宅にこもっていたという話もあるが、選手としてはすでに下り坂だった。クライフを欠いていても、オランダは決勝の延長で惜しくも敗れるというところまでいった。

 1990年大会でディエゴ・マラドーナは体調が万全ではなかったのに、アルゼンチンを決勝まで導いた。当時、29歳。1994年大会でもまだ33歳だったから、禁止薬物を使っていなくてもすばらしいプレーができた年齢だ。ブラジルのFWロナウドは2006年大会に出場した時に29歳だったが、とても太っていて選手としては終わりが見えていた。

 これらの選手たちの「知覚」は、気がつけば消え去っていた。カリム・ベンゼマの世代に、そんなことは起こらない。
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