富士通レッドウェーブ・町田瑠唯インタビュー 後編

東京五輪で銀メダルを獲得し、2024年のパリ五輪でも期待がかかる日本女子バスケットボール。東京大会でアシスト王に輝くなど、日本女子バスケ界を牽引する町田瑠唯(29歳)は、2年後を見据える。今年は米女子プロリーグWNBAに挑戦。帰国後すぐに富士通レッドウェーブに合流し、Wリーグで活躍を続けている。そんな町田が原点を振り返るとともに、ずっと心に抱くプレーを通じて見せたい姿について語った。(インタビュー前編から読む)


インタビューに応じた町田瑠唯

きっかけはマイケル・ジョーダン

ーー東京五輪での、町田選手をはじめとした日本代表の活躍で女子バスケットボールは盛り上がりました。今でこそWリーグを目指す子どもたちが出ていると思いますが、町田選手が幼い頃はまだ女子バスケがあまり世間に根づいてなかったと思います。さかのぼると、どういうきっかけでバスケを始めたんですか?

町田瑠唯(以下、同) お父さんがバスケットをやっていた影響で、小さい頃からマイケル・ジョーダンが好きで、試合をよくDVDで見ていたんです。他のNBA選手のプレーも見ていましたが、日本の実業団チームはあまり見たことがなくて。

 でも小学校の時に、地元の(北海道・)旭川に実業団チームが試合で来てくれて、それを間近で見てから、バスケット選手になりたいと強く思うようになりましたね。

ーーその後、夢に向かって一直線だったのですか?

 すごく負けず嫌いで、一番になりたいという気持ちがあったので、「バスケをやるなら夢はバスケット選手」という感じでした。小学生の時からトレーニングが好きで、野球をやっていた兄のトレーニングを見てよくマネをしていました。

 小学生の時は小柄で細かったんですが、外を走って、帰ってきたらトレーニングをするという生活をその頃からスケジュールを立ててやっていました。

自分のいいプレーを「全然覚えていない」

ーー夢に向かってまっすぐ歩んできて五輪やWNBAで活躍。振り返ると、「運命だった」という受け止めですか? それとも、「これだけやってきたから今がある」という気持ちですか?

 もちろんタイミングもあると思いますが、自分はとても人に恵まれているなと感じていて。今まで、チームメイトに恵まれてここまでくることができました。それを運命と言えば運命になるのかもしれませんが、個人的にはコツコツ積み重ねていくことが大事だと思っています。

 東京五輪の時も、ピックアップしていただきましたが、チームメイトがタイミングよく動いてくれて、シュートを決めてくれた結果が自分のアシスト記録につながりました。自分がどうこうというよりも、一緒にプレーした選手に本当に感謝していますね。

ーーキャリアのなかで、自分が「ゾーン」に入ったような試合はありましたか?

「ベストゲームは何ですか?」とよく聞かれるんですけど、全然覚えていないんです。不思議なことに、バスケットをやっていて自分のいいところをほとんど覚えていなくて。それよりもミスをした場面やうまくいかなかったことのほうが印象に残ってしまって。

 どの試合も反省しかないということが多いですね。他の選手に対しては前向きな部分がすぐに出てくるんですけど、自分のよかったところはまったく出てこない。いつかは、そんな自分を超えたいと思って、プレーしています。

WNBA経験で気づいた日本の強み

ーーパリ五輪で東京大会以上の結果を出すためにどんなことが必要だと考えていますか?

 パリ五輪の代表に関しては、もちろんチャンスがあるなら目指したいです。でも、東京五輪とメンバーも変わるだろうし、ヘッドコーチも変わって、どういうバスケットをするのか自分のなかでは想像ができていない状態です。

 WNBAを経験して、日本の強みをあらためて感じられました。それはチームワークやスピード、運動量。絶対的に強い武器なので、そうしたところをもっと活かしたバスケットをしっかり積み上げられたらいいのかなと思います。

ーー海外のトッププレイヤーのメンタル的な強さを感じていますか? 常に自信を持っている印象がありますが。

「私にボールをちょうだい」と強く主張する選手が本当に多いと思います。日本では感情をあまり出さない選手がほとんどだと思うので、それは日本とアメリカの違いですね。アメリカでは、感情むき出しでバスケットをやっていて、バスケットに対するバチバチ感というか、そういう熱量を感じました。

ーーそういうバチバチ感を日本に持って帰ってきましたか?

 私はバチバチやるタイプではないので(笑)。もちろん激しさも必要ですが、ポイントガードとして一番冷静でいながら、一番熱くいなきゃいけない。表は冷静だけど心は熱いという状態が一番いいのかなと思っています。

ーーアメリカではMLBで大谷翔平選手が大活躍して現地でも盛り上がっていると思います。同じ日本人アスリートの活躍をどう捉えていましたか?

 大谷君はアメリカでとても愛されていて、ファンも多いですし本当にすごいと思います。現地ではテレビで頻繁に試合やニュースが流れていました。大谷君とは会ったことも話したこともないですが、大谷君を知っている方と話す機会があって、「性格や考え方が似ている」と言われて。それを聞いた時に、勝手に親近感が湧きましたね。一度はお会いしてみたいなと思います。

身長が小さくても工夫すればできる

ーー東京五輪の日本代表の活躍に憧れて、日々練習に励む学生や子どもたちも多いと思います。次世代に期待したいことは?

 いろんなことにどんどんチャレンジしてほしいなと思います。目標は五輪の選手でも、「こんな選手になりたい」というのでも何でもいいんですけど、怖がらずにチャレンジしてほしいです。

 私がアメリカに挑戦した理由のひとつに、身長がなくても通用するところを見せたいというのもありました(町田選手は身長162cm)。バスケットをやっていて、上を目指している子たちに伝わればいいなと。

 身長が小さい自分だからこそ伝えられることがたくさんあるのかなと感じています。SNSのメッセージでも、「身長が小さくて諦めました」「小さいのでバスケをやめました」という声を多く聞いてきました。

 そんな選手たちに対して、「小さくても工夫したらできるよ」ということを伝えたくて、それが大きな原動力になっています。東京五輪のあとは、「町田選手みたいになりたい」とメッセージをくれる選手がいたり、少しでも自分の存在が誰かを勇気づけられているのであればすごくうれしいです。

終わり インタビュー前編<「目立ちたいタイプではなくて」女子バスケ・町田瑠唯がアメリカ挑戦を経ても変えないチーム意識>

【プロフィール】
町田瑠唯 まちだ・るい 
1993年、北海道生まれ。札幌山の手高校では3年の時にキャプテンとしてインターハイ・国体・ウィンターカップの三冠獲得。2011年、富士通レッドウェーブに加入。2016年リオデジャネイロ五輪でベスト8。2021年東京五輪で銀メダル。2022年、WNBAのワシントン・ミスティクスで日本人4人目のWNBA出場を果たした。