森保一監督の3バック指向とメディア、ファンを含めた世の中の慢心。コスタリカ戦(0−1)の敗因はいろいろあるが、最上位にくるのはこのふたつだろう。そもそも、2−1で勝利したドイツ戦の解釈に誤りがあった。

 実力で勝った。必然の勝利と言わんばかりの報道に、なにより違和感を覚えた。ドイツに最大限、押されたままの状態でハーフタイムを迎えた時、筆者は馴染みの同僚ライターと「こうなったらサッカーの特殊性にかけるしかないね」と言葉をかわしたものだ。特殊性には当然、運と偶然性が含まれていた。

 運が結果に及ぼす確率が3割といわれる競技。それがサッカーだ。日本の2−1の勝利には、その要素がフルに含まれていた。しかし日本のメディア、ファンの間にその意識は薄かった。サッカー大国であるかのような気分でコスタリカ戦に臨もうとしていた。謙虚さは失われた状態にあった。

 いまはネットの時代。そうした気分はドーハにいる日本たちにも伝わる。監督にも伝わる。


コスタリカに敗れ、憮然とした表情の日本の選手たち

 ドイツ戦の後半、森保監督は布陣を4−2−3−1から5−2−3に変更した。ドイツ戦の勝因を語る時、この森保采配を挙げる人は多い。しかし筆者にはそれがまるでピンとこなかった。この布陣変更を機にコンパクトさは失われ、陣形は間延びした。試合はオープンな撃ち合いになった。

 この展開を地力に勝るドイツは歓迎したはずだ。ドイツは実際、決定機を多く作った。シュートはバーをかすめ、ポストを直撃。GK権田修一もスーパーセーブを何本も決めている。3バックへの布陣変更はドイツの攻撃を加速させる役割も果たしていた。運はここに最大限、潜んでいた。その運を呼び込んだ立役者が権田で、マン・オブ・ザ・マッチに輝くのは当然だった。

 ドイツ戦の勝因は3バックへの変更ではない。布陣変更に伴う戦術的交代を、短時間の間にたて続けに行ない、その結果、ドイツの混乱を誘ったことにある。相手の目を幻惑することに成功したのだ。3バックへの変更に論理的な整合性はない。

日本の最終ラインは人が余っていた

 ところが森保監督は、3バックへの変更が奏功したと勘違いした。この試合の後半の戦いにそれは明確に現れていた。なぜコスタリカ相手に5−2−3(3−4−3)にしたのか。意図はまったく伝わってこなかった。

 森保監督が3バックを大好きなのはわかる。サンフレッチェ広島時代から、3バックしかやってこなかった監督だ。「これからは3バックが流行りますよ」と、その交流を促すかのような言葉も、当時の会見で口にしている。3バックの信奉者であった森保監督が、代表監督に就任するや、なぜそれを封印したのか。そもそも3バックがなぜ好きなのか。謎は膨らむばかりだった。

 3バックとひと口に言っても、何種類もある。守備的なものから、バルセロナやアヤックスが一時期定番にした、マルセロ・ビエルサが好みそうな攻撃的な3バックもある。ところが、森保監督に限らず日本の指導者はそのすべてを「3バック」と称する。4バックは4−2−3−1、4−3−3、4−4−2、4−2−2−2と細分化するのに、3バックは細かな布陣表記をしない。追究が甘いのだ。3バック好きの森保監督とて例外ではない。なぜその布陣を使用するのか、語ったためしがない。

 コスタリカ戦。1点を追いかける日本は終盤、マイボール時になると伊藤洋輝、吉田麻也、板倉滉が最終ラインに並んでいた。人員をダブつかせていたのである。理由を聞きたい。

 日本はその時、守備的サッカーを行なっていたのだ。こうした場合、4−2−3−1をはじめとする一般的な4バックなら、最終ラインはCBが広い間隔で構える2バックになる。両サイドバック(SB)は両ウイングを下支えしようと、高めの位置を取る。これが世界の常識だ。

 しかもこの時、ピッチに立っていた選手のなかで最も頼りになる選手は三笘薫だった。彼は実際、終盤にかけて2度ほど決定的な突破を決めていた。日本サッカー史上最高のドリブラーを、森保監督はなぜ左ウイングバックという低い位置にとどめておくのか。4−2−3−1や4−3−3の左ウイングとして高い位置に張らせ、活躍の機会を増やそうとは思わないのか。

町野修斗を起用しないミスキャスト

 ドイツ戦では、堂安律が決めた先制ゴールを、アイスホッケー的にいうダブルアシスト役として関与していた。ドイツの守備網はそのドリブルによって混乱に陥った。だが、高い位置で1対1に及んだ回数が、その1回だけであったことも事実だ。

 多くのメディアは、左ウイングバック起用が奏功したと称賛した。左ウイングで使ったほうが三笘はもっと活躍したはずだとする意見を聞くことはあまりなかった。そこには目をつむり、3バックへの移行こそが1番の勝因というストーリーに組み込もうとした。

 こうした事態を招きそうなことは「3バック好き監督」を日本代表監督に据えた瞬間から予想できた。サンフレッチェ広島時代に愛用していた3−4−2−1を断念し、4−2−3−1や4−3−3を採用する理由を語らず、ウヤムヤにしたまま4年半、代表チームの指揮を執り続けた弊害が、このコスタリカ戦で一気に露呈した。筆者はそう見ている。

 選手のセレクトでも森保監督は大きなミスを犯している。コスタリカ戦の支配率は、ドイツ戦(23%対66%、中間11%)とは一転、49%対40%、中間11%と日本が上回った。後半になるとその傾向はさらに深まり、57%対24%、中間19%に達した。にもかかわらず、森保監督は後半頭から1トップにスピード系の浅野拓磨を送り込んだ。

 攻撃の大半は遅攻だったにもかかわらず、1トップに、身体を前に向けてしかプレーできないポストプレーが不得手な選手を送り込んだ。ミスキャスト以外の何ものでもない。タイプで言うなら、ここは町野修斗になる。起用しなかった理由は、町野のプレーがW杯のレベルに達していないと踏んだからではないか。

 町野を追加招集した理由がわからない。スタメンを張りながら前半45分でベンチに下がった上田綺世は、浅野あるいは前田大然よりポストプレーを得意にするが、見てのとおり、高い位置でボールを収めることができなかった。レベルに達していないことが一目瞭然だった。

 町野と上田は、大迫勇也を外し、あえて選んだ選手である。監督の選択ミス以外の何ものでもない。サッカーはチームで1番うまい選手が1トップを務めるのがスジ、常識だ。10番ではなく9番だ。ところが日本では10番至上主義が延々と蔓延してきた。例外は10番タイプの本田圭佑を9番(1トップ)として出場させた2010年南アフリカW杯と、大迫を1トップに据えて臨んだ2018年ロシアW杯になる。

 結果はいずれもベスト16。サッカーのあるべき姿を再確認することになった。その教訓が今回はまったく活かされていない。前田、浅野、上田、町野。この顔ぶれで目標はベスト8以上だと言われても、素直に頷くことはできない。大迫がいれば......。鎌田大地、遠藤航、守田英正といった中心選手が揃って冴えのないプレーに終始する誤算もあったが、1トップに、遅攻に相応しい選手を置くことができない弱みを抱えていたことが、それ以上の敗因だと見る。

 スペイン戦。1トップは、チームで一番うまい鎌田でいくべきだと考える。