「何飲む？」の一言もなく…。食事デートで、男がドリンクのオーダーを勝手に決めた理由
松坂由里香は、パーフェクトな女。
美貌。才能。財力。育ち。すべてを持つ彼女は、だからこそこう考える。
「完璧な人生には、完璧なパートナーが必要である」と。
けれど、彼女が出会う“未来の夫候補”たちは、揃いも揃って何やらちょっとクセが強いようで…？
松坂由里香の奇妙な婚活が、いま、幕を開ける──。
▶前回：「ごめん、仕事の電話」とデートで中座を繰り返す男。飽きれた女は、“まさか”の反撃に出る…
Vol.4 気がつく男
仕事のアポを終えた正午。
広尾の交差点で、秘書の星野が鼻をひくつかせた。
星野の目を釘付けにしているのは、『トリュフベーカリー』だ。店頭には香ばしいパンがずらりと並び、由里香の食欲を刺激した。
けれど、由里香はどうにか誘惑を振り切る。
「今日はちょっと…遠慮しとく。それより、なんか気づいたことない？」
そう言ってくるりと回って見せる由里香を、星野はまじまじと見つめ小首を傾げる。
「…？あ、もしかして…。その服、2日目ですか？」
「そんなわけないでしょ！あのね、私、先週から1キロ痩せたの。ダイエット中だから、高カロリーなものは控えてるのよ」
「…もしかしてまた、婚活アプリで新しい人と出会いました？」
たいした興味もなさそうにそう聞きながら、星野はいつのまにか『トリュフベーカリー』の列に並んでいる。
その横で由里香はうっとりとしながら、今夢中になっている婚活相手について語り出すのだった。
「違うの星野くん。今度はアプリじゃなくて、友達からの紹介なの。私、ほんとに近いうちに結婚しちゃうかも〜！」
由里香が惚気るのも無理はない。
今デートをしているユウイチロウは、ウォートン・スクールMBAを取得して大手外コンで働く38歳。
よく気が回るその性質から出世街道に乗っており、「本当にいい男だよ。忙しすぎて婚期逃してるだけ」と、外銀時代の同僚からのお墨付きで紹介された男性なのだった。
「最初は友達と4人の食事会で出会って、この前は仕事の隙間でサクッとランチデートしたんだけど、すぐに私のワンピースがマメ クロゴウチの新作だってことに気づいて、褒めてくれたの！
前回の経営者の人なんて、私の顔すら見てなかったから、感激しちゃって。ちょっとでも綺麗になったって気づいてほしくて、ダイエット始めたんだ〜」
つらつらと喋り続ける由里香をよそに、星野は無事購入した塩パンの香りを、胸いっぱいに吸い込んでいる。
「別に、痩せる必要ないのに」
パンの袋越しにそんなつぶやきが聞こえた気がしたけれど、週末にユウイチロウとの2回目のデートを控えて浮ついた由里香の耳には、ただ行き交う車の音しか入ってこなかった。
◆
「ねえ由里香ちゃん、ちょっと痩せた？なんだかこの前よりも綺麗になった気がする」
その週の日曜日。よく晴れた青空の下で、ユウイチロウはじっと由里香を見つめて言った。
「わかります？ちょっとダイエットしてて、1キロ痩せたんです！」
「そうなんだ。由里香ちゃん、頑張り屋さんなんだね」
ニコッと微笑むユウイチロウの眼差しに、思わず胸がきゅんとときめく。
今日のデートは、芝公園でのピクニックだ。
2回目のデートでこんなにヘルシーなプランを提案されたことも、彼の誠実さが表れているような気がして好感度が高かった。
「そろそろお腹も空いてきたし、ランチにしようか。『ル・パン・コティディアン』でパン買ってピクニックにしようかと思ってたけど…。由里香ちゃん少し寒そうだし、イートインにする？」
「はい、いいですね」
少し薄着で来てしまった由里香のことを察して、ユウイチロウは臨機応変にプランも変更してくれる。
― そうそう、これこれ！仕事ができるうえに女の子の扱いもうまい、パーフェクトな男性だってやっぱりいるのよ。
心の中でそんなことを考えながら、由里香は無意識のうちに服の上からブラジャーの肩紐を直す。
今日は流れ次第では、このままユウイチロウに身を任せてみてもいい。
1回目のデートですでにそう思っていた由里香は、自分自身のテンションを上げるため、密かに普段よりも気合が入った下着を身につけているのだった。
けれど、『ル・パン・コティディアン』の店内に通された後──由里香の中で、今日ユウイチロウに会った時からうっすらと感じていた疑惑が、徐々に確信に変わり始めていた。
「せっかくだし、昼から飲んじゃう？」
チャーミングな笑顔で、ユウイチロウは由里香に問いかける。
「もちろん！」
そう由里香が答えるやいなや、ユウイチロウはスマートに店員を呼び止めると、意外すぎる一言を放った。
「あ、すみません。僕はビールで、彼女には何か飲みやすいもの…そうだ。ミモザをお願いします」
「え…？」
― 私、「ミモザ飲みたい」なんて一言も言ってない。私もビール飲みたい…。
内心そう思った由里香だったが、ユウイチロウの注文は止まらない。
「それから僕は、マカロニ＆チーズとパンのセット。由里香ちゃんは、ダイエット中だよね？じゃあこの、キヌアデトックスサラダをお願いします」
混乱する由里香を置き去りにして、店員はユウイチロウのオーダーを聞き入れて行ってしまう。
「え、ユウイチロウさん。あの…私、ミモザとサラダがいいなんて一言も言ってませんよね？」
にわかに我に返った由里香は、ついにユウイチロウを問いただす。
けれどユウイチロウから返ってきたのは、由里香にさらなる驚きをもたらす回答だった。
「え？だって、女の子は“普通”ミモザとかが好きでしょ？食事も少食なほうが女の子って感じするよ。やっぱ女の子は痩せてる方が可愛いし」
「…え？？」
混乱がさらに深まった由里香の口からは、乾いた笑いしか出ない。
しかし、ユウイチロウはグラスの水を飲みひと息ついたかと思うと、改めてゆっくりと由里香の全身を眺め、予想外の言葉を続ける。
「なんか、今日はいつもと雰囲気違うよね。前に2回会った時はワンピースとかスカートで女の子らしかったから、なんだか意外だなぁ」
「え？今日の私の格好、ですか？」
今日の由里香のファッションは、ハイクのワークパンツにサードマガジンのニット。足元はナイキのスニーカーというカジュアルな装いだ。
公園でのピクニックデートというTPOに合わせてきたつもりだったが、その表情から察するに、ユウイチロウ的にはイマイチということらしい。
「ネイルも新しくなったよね。すごく由里香ちゃんに似合ってるけど、そういう奇抜なカラーのネイルはあんまり男は好きじゃないかな」
― ああ、なるほど〜。
今日は会った瞬間から、ほんのわずかにユウイチロウのテンションが低いような気がしていたのは、気のせいではなかった。
前回のデートで「ここが可愛い」「それが似合ってる」と細かな部分に気がつき褒めてくれたのは、女性らしい装いをしていたから。
どれだけ女性の細かな変化に気がつくことができても、それはつまり、女性のオシャレを“男ウケ”のためだと信じ込んでいる身勝手さからなのだろう。
たどり着いた答えに由里香がひとり納得していると、ちょうど先ほどの店員がドリンクを持って、テーブルへと近づいてくる。
「ビールのお客さま」
そう言ってユウイチロウの前に置かれたビールを、由里香はさっと自分の方に移動させて言った。
「ビール私です。ミモザは彼に」
「え？由里香ちゃん？」
予期せぬ由里香の行動に、ユウイチロウは驚きを隠せない様子だ。
しかし由里香はそんなことには構わず、ふと自分のニットの首元を、奇抜なネイルの指先でゆっくりとずらした。
あらわになった肩口からは、気合の入ったブラジャーの肩紐のレースがのぞく。
「今日の格好はたしかに、あんまり男性ウケしないですよね。でも、下着はわりと可愛いんですよ…？」
熱っぽい視線を投げかけると、ユウイチロウはゆっくりと身を乗り出し、由里香の膝の上に手を置いた。
「由里香ちゃん、それ…僕のためにつけて来てくれたってことだよね…？」
けれど由里香はさっと指先をリリースしてブラ紐を隠すと、冷たく言い放つ。
「いえ、自分のテンションが上がるためのオシャレです。
ユウイチロウさん。『女は男ウケしか考えてない』っていう考え…ものすごーく、女ウケ悪いですよ」
そして、手に持ったビールを一気に飲み干すと、ユウイチロウを残してさっさと席を後にしたのだった。
◆
ユウイチロウを置いて出てきた後、無性に空腹を感じた由里香は、店頭のテイクアウトコーナーで抱えきれないほどのパンと2本のビールを購入した。
「ああ、また婚期が遠のいた」
そうつぶやきながら、芝公園のベンチにどっしりと腰を下ろし、パンをかじる。
― 青空の下で、1人のピクニック。これも悪くないか。
気分の良さを噛み締めていた由里香だったが、ぼんやりと遠くを眺めていると、その目線の先に見知った人物を捉え──思わず頭を抱えた。
「うそでしょ。なんでこんなところに…」
由里香の視線の先で、こちらを見て爆笑している人物。星野の姿だった。
「なんでこんなところに星野くんがいるのよ」
「いや俺、田町住みなんで。天気のいい日は芝公園散歩するんですよ。てか由里香さん、これ全部ひとりで食べるんですか？」
「そうよ、女だってお腹空くんだから！悪い？」
笑いを堪えきれない様子で近づいてきた星野に、由里香は思わず強い語気で言い返す。
けれど星野は、晴れやかな笑顔で言うのだった。
「いやいや、逆です。さすがっす。やっぱ由里香さん最高に面白いわ」
またしても爆笑し出す星野を前にして、由里香はビールを一口飲んだ。
「パン、1個だけならあげてもいいけど。ビールも」
「やった、ラッキー」
― せっかくいい下着つけてテンション上げたのに、結局今日も一緒にいるのは星野くん。…まあ、いっか。
モヤモヤした気持ちをビールと一緒に飲み下す。
久しぶりにかぶりついたパンオショコラの甘さが、次の婚活への活力をくれるような気がした。
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▶1話目はこちら：お泊まりデートの翌日。男は先にベッドを抜け出し、女の目を盗んでこっそり…
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焦りを募らせる由里香の前に現れた、“効率的な男”とは
