女医ブランドを利用してメディアに出始めた妻。次第に露出が激しくなり夫婦に亀裂が…
女医の世界には「3分の1の法則」というものが存在する。
「生涯未婚」「結婚した後、離婚」「結婚生活を全うする」それぞれの割合が、ほぼ3分の1ずつとなるというものだ。
彼女たちを取り巻く一種異様な環境は、独特の生活スタイルを生み出し、オリジナリティーに富んだ生き方を肯定する。
それぞれの女医は、どんな1／3の結末をむかえるのか…。
◆これまでのあらすじ
紗友里は、夫とのスキンシップがないことを不安に思っていた。そんな時、高校時代から尊敬している先輩の遥香に相談。遥香のアドバイスのもと、直輝の心を自分に引き戻そうとしていくのだが…。
Vol.12 皮膚科・紗友里（29歳）の場合【後編】
「アドバイス通りにパジャマを変えたり雑誌のインタビューに応じたりしたら、夫に『近々、2人で食事にでも行こう』って誘われたんです」
紗友里は、カフェテーブルを挟んで向かいに座る遥香に近況を伝える。
「ほらね、効果あったでしょう？」
遥香は得意げに言うと、テーブルの上の雑誌を開いた。
見開きの片側のページに、紗友里の白衣姿の写真が載っている。
あるビジネス誌で連載されている『美人女医の処方箋』というコーナーに取り上げられ、医師としての経歴や今後の目標などを語ったのだ。
「いい写真よね。紗友里すごくキレイ」
「ちょっと恥ずかしかったけど…」
窓際で陽の光をほどよく浴びて微笑む様子は、医師らしく知的で誠実なイメージを纏い、清廉な雰囲気に溢れている。
遥香の指示のもと打ち出された『夫の気持ちを取り戻す作戦』の第二段階は、こうしてメディアに登場することだった。
そこには遥香の、「世間の注目を浴びることで女としての価値を高める」という狙いがあった。
紗友里としては、自分なんかに「美人」などという冠言葉がついていいものか戸惑ったが、女医というブランドは、地味めな顔立ちをカバーするには十分だった。
「私の言う通りにすれば大丈夫だから」という暗示にも似た遥香の説得を受け、決意を固めた。
さらに、「事務所に所属しておくとなにかと安心だから」と勧められ、タレントや文化人が所属する事務所を紹介され、契約を交わし、活動を開始した。
「最初に看護師さんたちがこれを見つけて、直輝の耳にも入ったみたいです」
「へぇ、そうなの。直輝さんはなんて？」
「すごいじゃん…って言ってくれて」
紗友里が顔を綻ばせると、遥香も「うんうん」と嬉しそうに頷いた。
「あとひと押しって感じね。夫婦関係がうまくいってれば、ほかの女になんて目もくれなくなるわよ」
遥香の言葉に紗友里も手ごたえを感じ、積極的な姿勢を見せる。
「それで、来週はどんな撮影なんですか？」
紗友里には、すでに次の仕事依頼が入っていた。
「メンズファッション誌で、美人女医としてモデルをしてもらいたいって言われてるけど、できるわよね？」
予想外の内容に、紗友里は狼狽える。
「モデル…ですか？それはちょっと…」
「ああ、心配しないで。肌とかカラダのラインとか、細かい部分は修正できるから」
― そういうことじゃないんだけどな…。
医師の仕事をメインでしているため、目立つ内容は避けたかったが、遥香は聞き入れてくれそうもない。
「作戦も最終段階ね。これできっと、直輝さんも完全にあなたのもとに戻ってくるわよ」
遥香の前向きな発言に、紗友里は苦笑いを浮かべるしかなかった。
◆
ファッション誌の仕事から3週間後。
紗友里は、次の撮影に向けた打ち合わせのため、神保町にある出版社を訪れていた。
マネージャーが同行するはずだったが、「前の現場が押している」との連絡が入り、ひとりで臨むことになった。
「コンセプトは“解放”でいこうと思うんです。この、抑圧された現代社会で、溜まりに溜まった鬱憤を晴らすような爽快さを表現できたらと…」
目の前に座る男性の編集者が熱っぽく語っている。
対して、紗友里はどこかうわの空で話を聞いていた。
打ち合わせに身が入らない原因は、昨夜の直輝とのやり取りにあった。
仕事から帰ってきた直輝が、ダイニングテーブルの上に雑誌を放り投げるように差し出した。
「なんだよ、これ」
先日初めて臨んだファッション誌の記事だった。
「あ、見てくれたんだ。どう…だったかな？」
「どうだったかって…。この服はヤバいでしょ！胸の谷間とか強調されてるし」
確かに、ファッション誌といっても若い男性向けの雑誌であり、前回取り上げられたビジネス誌とは、テイストが違う。
「え、でも…キレイに撮ってもらえてると思うんだけど…」
「どうかと思うよ…」
紗友里の言葉に耳を貸すこともなく、直輝は蔑むような目で一瞥すると、奥の部屋に入ってしまった。
― そんな…。遥香さんの言う通りにしたのに…。
全幅の信頼を置いていた遥香の助言が、裏目に出てしまったことにショックをおぼえる。
すぐに遥香にLINEを送り、状況を伝えたが、『今は嫉妬しているだけ』と返信が来た。
『その嫉妬が、やがてあなたを求める気持ちに変わってくるわ』
そう説き伏せられたものの、釈然としない思いを抱えていた。
「あ、あの…」
声をかけられ、紗友里はハッと我に返る。
「ここまで、大丈夫ですか？」
男性編集者が顔色をうかがっていた。
「あ、ああ、はい。ボーッとしてしまって、ごめんなさい…」
「お疲れのようですね。それで、次回の衣装なんですが、こんな感じはいけますか？」
差し出された衣装は、ビキニだった。
「こ、これですか…？」
紗友里は思わず覗き込む。
「はい。解放をテーマにしているので、このぐらい大胆に攻めたいなと…カメラマンも大御所をつけますので」
「は、はぁ…」
「一応、事務所のほうには、OKを頂いているんですが…」
「そうなんですか…？」
― そんな話は、聞いてないけど…。
「ご本人の意思もあると思うので、検討して頂ければと。まだ撮影日までには期間もあるので、これから内容を詰めていければと思っています」
水着を手に取ってみると、ほぼ紐でしかないような頼りない布だった。
「それ、よろしかったら持っていかれますか？実物があったほうが、具体的なイメージも湧くと思うので」
「そうですね…。少し事務所の方とも相談してみます…」
事務所に対する不信感に加え、昨夜の直輝とのやり取りを思い返すと、気分が滅入る。
― このまま続けていっていいのかな…。
後戻りできない道を進んでいるような不安を抱きつつ、紗友里は出版社をあとにした。
エレベーターで建物の1階に降りたところで、マネージャーと鉢合わせた。
「あれ、もう打ち合わせ終わっちゃいました？」
遅れてきたわりに、ずいぶんと涼しい顔で言う。
浅井という若い男で、その口調から軽薄な印象を受ける。
「あの…。聞いていた内容と、だいぶ違うようなんですけど…」
紗友里は、編集者から水着を要求された話を伝える。
「あれ？遥香さんから連絡いってません？」
浅井がひとつ舌打ちをして、「説得しとくって言ってたのに…」と呟いた。
「いやあ、前も同じようなことあったんですよ。遥香さんの紹介で事務所に入ってきた看護師がいたんですけど、撮影現場で『話が違う』って泣き始めちゃって」
「ええ…。遥香さんて、私以外にもそうやって女性を紹介したりしてるんですか？」
「知らないんですか？遥香さんとうちの社長って昔から知り合いで、たまにいい子がいると紹介してくれるんですよ。
ほら、遥香さんて読モやってて、可愛い女の子の知り合い多いから」
「そうなんですか…」
「近ごろ、医療従事者の女性は需要が高いみたいですよ」
浅井の話を聞くうちに、紗友里の胸がざわつき始める。
「もしかして、紹介料とか発生したり…？」
「もちろん。しかも、遥香さん自身が取ってきた仕事には、マージンも発生してるし。最近は特にお金が必要みたいで、何人か立て続けに紹介してましたね」
「お金が必要…？何かあったんですかね？」
「社長に聞いた話ですけど、不倫？してたみたいですね。それが旦那さんにバレて、慰謝料請求されたとか…」
抜け落ちていたパズルのピースがはまり、全体像が明らかになったような感覚をおぼえた。
遥香が芸能活動を勧めてきたのは、親切心からではなかった。自分の不貞行為により発生した慰謝料を捻出するためにすぎなかったのだ。
長きに渡って心酔し続けていただけに、俄かには受け入れがたかったが、一歩引いてみると合点のいく部分も出てくる。
学生時代の憧れを引きずり、肩書や経歴に惑わされ、無責任な言動に目をつぶっていたところがあるのは否定できない。
― しかも、遥香さんの夫婦もうまくいっていなかったなんて…。
そんな相手の助言に素直に従っていた自分の浅はかさにも嫌気がさした。
― 直輝とちゃんと向き合って話をしよう。手遅れかもしれないけど…。
紗友里は、直輝との小細工抜きの対峙と、遥香との決別を、心に誓った。
◆
家に戻ってスマートフォンを見ると、遥香からLINEが入っていた。
『これからの活動のために、ちょっと鼻を整形するっていうのもアリかもね』
そんなアドバイスめいたメッセージが届いていたが、冷静になった紗友里には、私腹を肥やすための身勝手な意見としか受け取ることができなかった。
『この仕事はもう終わりにします』
胸に抱いた思いを、明確な言葉で伝える。
『もし違約金などが発生するのであればお支払いしますので』
これ以上関わらないという、強い意志を込めた宣告である。そしてそれは、モデル活動のみならず、遥香との決別を意味していた。
LINEを送信したタイミングで、直輝が帰宅する。
どこか気まずそうに「ただいま」と呟くと、紗友里も様子をうかがいつつ「おかえり」と静かに返した。
しばらくの沈黙の後、直輝が口を開く。
「昨日はごめん…。言い過ぎたよ」
謝罪の意を示す直輝に、紗友里も呼応するように言葉を返す。
芸能活動のこと、遥香とのことを丁寧に話して聞かせると、直輝は安心したように息をついた。
ソファに腰掛けたところで、そこに置かれたあるものに気づき、拾い上げる。
「これって…」
直輝が手に取ったのは、出版社から借りてきたビキニだった。バッグからハミ出てしまっていたようだ。
紗友里は慌てて取り返し、説明を加えると、直輝は納得して笑顔を浮かべた。
しかし、直輝が何か言いたげな様子を見せる。上目遣いに、どこか意味ありげな視線を紗友里に投げ掛けている。
「どうしたの…？」
紗友里が尋ねると、少し間をおいて、直輝が言った。
「それ、着てみてくれないかな…？俺だけのために」
紗友里は、直輝の思いを汲み取り、頷く。
「う、うん…」
経緯はともかく、夫婦関係が改善しつつあることを、紗友里は実感した。
Fin.
▶前回：不仲だったのに、パジャマを変えたら夫の態度が急変！妻の“ある作戦”とは
▶1話目はこちら：親が勧める相手と結婚したものの…。女は満たされず、つい元彼に連絡してしまい…
