「自分だけ幸せになるなんて許せない」婚約破棄された27歳女が決行した復讐とは
あえて飲まない“ソバーキュリアス”が流行っている今。
でもやっぱりシャンパンが好き！
港区界隈に夜の帷が下りる頃、あちこちで「ポン！」と軽快な音を立ててシャンパンが開く。
そこに突如として現れる美麗な1人の女がいる。
彼女の名は、天堂麗香。人呼んで「ポン女」。
港区とシャンパンをこよなく愛し、この地の治安と経済の発展のために生きる伝説の女。
今夜、港区のどこかでシャンパンを開栓してみたら、わかるはず！
◆これまでのあらすじ
7年付き合っていた恋人に婚約破棄された菜々子。結婚退職するつもりだったから同時に職も失った。友人に美容クリニックの仕事を紹介され、面接に行くと、突然、六本木のパーティーに連れていかれて…。
▶前回：港区でシャンパンが開く場所に、なぜか必ず現れる女。彼女の目的は一体…
Vol.2 ポン女が語る、男への復讐方法
採用面接を受けに来たはずが、履歴書の提出さえ求められず、今、菜々子は煌びやかなパーティー会場にいる。
「私、やっぱ面接やめます。務まる気がしません」
いづみにそう告げて菜々子が帰ろうとした時、背後から呼び止められた。
「ちょっと待ちなさい」
声の主はわかっている。振り返ると、やはりそこには仁王立ちしている麗香がいた。
「あなた、かまってちゃんって言われない？まだ何も話をしていないのに」
菜々子はムッとして言い返す。
「構わないでください。クリニックの仕事の面接に来たのに、パーティーに連れてこられて…。
私、婚約破棄されたばかりで、人生で1番落ちているんです。こんなよくわからないところで働けません！」
うっかり口が滑った。
菜々子の声に、会場の面々が気づき、視線が2人に集まっていた。
「人間万事塞翁が馬、っていうじゃない。人生の起伏は、起こるべくして起こるものよ。つまり…」
「何が…言いたいんですか？」
菜々子はぎゅっと唇を噛み、うつむいた。
「こっちに来なさい」
突然、麗香に腕を取られ、エントランス近くのバーカウンターまで連れていかれた。
「ここはみんなが楽しむために来ている場所なの。こっちで話しましょ」
菜々子は、言い返す言葉が見つからない。
だが、悔しいという気持ちに反して、目にはみるみる涙が溜まっていった。
「泣いて解決することなんて、この世の中に1つもないのよ」
麗香は呆れた様子でため息をつく。
― わかってるけど…。
菜々子は何も言わず、顔を背けた。
「まあ、いいわ。あなたと出会ったのも何かの縁。話してみなさいよ」
麗香に促され、菜々子は渋々腰掛ける。
「シャンパンを2つ」
麗香がオーダーすると、早速目の前にグラスが供された。
キラキラとゴールドに輝く液体の中には、気泡が細く立ち上がり、今の心境には似つかわしくない華やかさだ。
「で、あなたは何が原因で婚約を破棄されたの？」
麗香はストレートに聞いてきた。
一方、菜々子は、もうどうにでもなれと思い始めていた。
― どうせ麗香さんとはこれっきり。だったら、シャンパンを飲んで、全部話してスッキリして帰ろ。
「実は、来年2月に式を挙げる予定だった彼に、浮気されフラれました…」
菜々子はシャンパンを一口飲んでから、週末のあの出来事を麗香に語り始めた。
意外にも麗香は、時折相づちを打ち、笑うこともなく真剣に話を聞いてくれた。
だが、次に発した言葉は、予想だにしないものだった。
「すごい！ドラマみたい！」
「えっ？」
菜々子の反応を気にすることなく麗香は尋ねる。
「で、あなたはその時どうしたの？」
「別れ話と浮気相手の妊娠を同時に告白され、泣き喚いてしまい…」
「あーん、1番ダメなパターン…」
麗香は大袈裟に残念そうな顔をした。そう言われると、あの時の自分が情けなくなってくる。
チラリと麗香の方に目をやると、レッドソールのパンプスを履いた脚を組み替え、髪をサラサラとかき上げながら、グラスを煽っている。
― っていうか…同じ女として差がありすぎでしょ…。
きっと、人生を理不尽な目に遭うことなく順風満帆に歩んできた女。そんな人に話を聞いてもらって、解決の糸口など見つかるわけない。
しかし、アルコールの力も手伝ってか、つい本音が溢れてしまう。
「でも、私をこんな目に遭わせて、自分だけ幸せになるなんて…絶対に許せない。後悔させたい…綺麗になって…」
そこまで言うと菜々子はカウンターに突っ伏して泣いた。
しかし、こともあろうに麗香は、菜々子を泣かせたまま、バーテンダーと世間話を始めたのだった。
― な、なんなのよ、この人…。慰めてくれるんじゃないの？
しばらくすると、菜々子は一人泣いていることに、馬鹿馬鹿しさが込み上げてきた。
そして、少し気まずさも感じていた。
楽しそうに話す2人を横目にバッグからティッシュを取り出し、チンと鼻をかんでから麗香の方を見る。
すると、バチッと目線が合った。
麗香はニヤリと笑うと、椅子から降り、菜々子の肩に手をかけ耳元で囁いた。
「じゃあ、私があなたにとっておきの復讐方法を教えてあげる。それも簡単で、効果が長く続くやつをね」
◆
翌週の土曜日。
律が両親と一緒に婚約破棄のお詫びに来る日だ。
父親は「来なくていいぞ」と言っていたが、嫌な役回りを両親に押し付けるのも気が引け、菜々子は昨日から用賀にある実家に泊まっている。
13時を過ぎた頃、律は両親と一緒にやって来た。
日当たりの良いリビングには似つかわしくない、重々しい空気が漂っている。
律の両親は申し訳なさそうに、また伏し目がちに「この度は、愚息がお嬢様にご迷惑をおかけし…」とお詫びの言葉を並べ、菜々子の両親に深々と頭を下げた。
父は膝の上でぎゅっと拳を握り、口を一文字に結んでじっと押し黙っている。
2週間ぶりに見た律は、予想に反してだいぶ痩せてやつれて見える。
好きな人ができて、これから子どもが生まれる。菜々子との関係さえ断絶すれば、楽しいことばかりが待っているはずなのに。
「菜々子さんを幸せにすると約束しておきながら、本当に申し訳ございませんでした」
律は父の前で膝をつけ、床に頭を擦り合わせるように土下座をしたまま動かなかった。
父の中で何かがプツンと切れたのだろう。
父は、律の腕を取り、乱暴に立たせると胸ぐらを掴み、壁に押し付けた。
「お前のような奴に菜々子は…どうしてくれるんだ？結婚もなくなり、仕事も辞め、娘には何もなくなった。お前のせいで…」
殴られるのを覚悟しているかのように、律はじっと歯を食いしばっていた。律の両親は何も言えず、おろおろとその様子を見ている。
母は静かに涙を流していた。
父は元々体が大きい上、日頃から鍛えている。そんな父が、かつては息子のように可愛がった男を締めあげる姿を、菜々子はハラハラと見ていた。
だが、父の気持ちはそんなことで済むはずがない。怒りに任せ、とうとう拳を振り上げた。
「やめて！お父さん」
父の行為を止めたのは菜々子だった。
「お願い。律のことを殴ったりしないで。私、律と一緒にいる時間は、本当に楽しかった。この先、彼ほど好きになる人はできないと思う。だから、こんなことで今までの素敵な思い出を台無しにしたくないの」
父を制した後は、これまでの律との思い出や、感謝の気持ちが自然と溢れていった。
「律には誰よりも幸せになってほしい。律、この間は取り乱してごめんね」
菜々子の瞳から一筋の涙が頬を伝っていった。
「相手が私じゃないのは残念だけど、律に会えてよかったと心から思ってるよ」
その場にいた全員がそれぞれ涙ながらに、菜々子を見守っていた。
「菜々子…俺の方こそ、幸せにできなくてゴメン…」
そう言うと律はその場に崩れ落ちて泣いた。
◆
週が明け、月曜日。
菜々子は天堂美容クリニックに出勤した。
まず、伝授された「復讐」を実行したことを麗香に報告する。
「すごーい！上出来ー！菜々子にしてはよくできたじゃない」
― いきなり呼び捨て？それもなんか楽しそうだし…。
「ええ、まあ」
菜々子は、適当にスルーしたが、褒められて悪い気はしなかった。だから、麗香が多少上から目線であるのは、この際気にしないでおこうと思った。
「今ひとつスカッとしないですが、彼に謝ってもらえてよかったです」
すると、麗香が突然おかしそうに笑い出した。
「じゃあ、どうすればスカッとするの？」
「そ、それは…」
そう言われると言葉に詰まってしまう。
菜々子は、先週麗香から言われた“ある1つのこと”を思い出した。
「泣き喚いて恨み節をぶつけるなんてやめて、ただ心を込めて『ありがとう』と言いなさい」
すでに、修羅場を乗り越える気力はなかった。だから、麗香に言われた通りにしたのだ。
「素敵な思い出をありがとう。そうやって別れると、あなたは素敵で性格の良い元恋人として思い出に刻まれるの」
麗香はうっとりとした表情だ。
「確かに、そう言われればそうかも…」
あの時、実家のリビングにいた全員が、一様に涙ぐんでいたことを思い出した。
「“迎えることのできなかった優しい嫁”として彼の両親の記憶にも留まるのよ。やったね！ラッキー！」
「ラッキー…ですかね…」
「そうよ。そして、この先、本当の嫁に対して不満を抱いたとき、必ず菜々子を思い出すわね」
菜々子は、クリニックのオンラインショップで販売しているコスメの梱包作業をしながら、麗香の話に耳を傾ける。
「あなたから彼を奪った女は、義理の両親にずっと比べられ続ける。あなたとね」
「あ…」
菜々子がしたことは、感謝の気持ちを伝えただけ。
それだけで、彼の両親、相手の女に対して、悔恨を残せたかもしれないのだ。麗香を見る目は変わりつつあった。
「男も夫婦喧嘩のたびに後悔する」
「後悔させることが復讐…」
いつしか麗香も梱包作業に加わり、機械的に手を動かしていた。その姿さえも無駄がなく美しいと菜々子は思った。
「綺麗になって後悔させたいって言ってたけど、実際綺麗になった元カノを見て後悔する男なんているー？いないから！」
「すみません…」
麗香が梱包の手を止めて言う。
「ごめんねー、うち従業員割引ないのよね。それより、過去を断ち切ったんだから、さっさと仕事を覚えてね」
麗香はあっさり言い切ると、一枚のインビテーションを手渡した。開いてみるとメズム東京にて19時よりピアノナイト、とある。
― 仕事ってポン女のほうね…。
しかし、菜々子は顔をあげ、すっきりとした表情で言った。
「わかりました。タクシー、手配しますね！」
▶前回：港区でシャンパンが開く場所に、なぜか必ず現れる女。彼女の目的は一体…
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