旧日本海軍が開発した一式陸上攻撃機。防御力が低く「ワンショットライター」などと揶揄されたといわれますが、それは正しいのでしょうか。同世代の様々な機体と比較して、同機が世界的にどのレベルだったのか推察してみます。

大型空母への搭載も検討された陸攻

 旧日本海軍が開発した「一式陸上攻撃機」を語るとき、「防弾装備が全くなく、機銃を撃ち込むとすぐに炎上・爆発したため、アメリカ軍から『ワンショットライター』などと呼ばれた」という俗説を聞くことがありますが、それは本当でしょうか。どうも、実際は違ったようです。


旧日本海軍の一式陸上攻撃機(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

 一般的に、攻撃機と爆撃機は似たような性格の軍用機に思えますが、旧日本海軍では厳格に使い分けていました。旧海軍では、魚雷を搭載することができ、主にそれを使って敵艦船を攻撃する航空機のことを「攻撃機」と呼んでいました。そのため一式陸上攻撃機は魚雷を積み、対艦攻撃をメインに開発されていますが、加えて「陸上」と名称に入っている通り、空母などに積むことはせず陸地に開設された飛行場(航空基地)からの運用を前提としていました。

 ゆえに同機はエンジンを2基積み、航続距離もできる限り長く採れるよう設計されていたのですが、なぜ海軍はこのような航空機を導入・運用しようとしたのか。そこには当時、仮想敵国として定めていたアメリカの存在がありました。

 旧日本海軍は、航空兵力や空母数がアメリカよりも劣っていたため、その劣勢を補うべく、陸上基地から敵を攻撃できる陸上攻撃機を求めたのです。陸上攻撃機は、艦上攻撃機と異なり航空機の寸法の制約がありませんし、エンジンを単発にする必要もないため、より高性能な機体が得られると考えていました。

 では、ほぼ同時期に開発された九七式艦上攻撃機と、九六式陸上攻撃機の性能を比較してみます。名称に「艦上」「陸上」とある通り、前者が空母からの発着艦をメインにした機体で、後者が空母に搭載することのできない陸上発着専用の航空機になります。

空母艦載機よりも高性能だった陸攻

 九七式艦上攻撃機の前期型である一号の場合、最大速力は377.8km/h、航続距離は過負荷状態で1993km、実用上昇限度は7640m。固有武装は7.7mm旋回銃1門、搭載量は800kg魚雷1発です。

 対して九六式陸上攻撃機二一型の場合、最大速力は373.2km/h、航続距離は過負荷状態で4379km、実用上昇限度は9130m。固有武装は7.7mm旋回銃3門と20mm旋回機銃1門、搭載量は800kg魚雷1発でした。

 2者を比べてみると、後者は速力で対等、航続力で2倍以上、実用上昇限度でも勝り(高高度を飛行すると、爆撃では敵戦闘機の迎撃が間に合いにくい)、防御武装も5〜6倍は強力になります。ちなみに、こうした性能差から旧日本海軍は大型空母への陸攻搭載を真剣に検討していますが、実現はしていません。


空母搭載用として開発された旧日本海軍の九七式艦上攻撃機(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

 旧式の九六式陸上攻撃機でこの差ですから、その後継である一式陸上攻撃機では、さらに性能が強化されています。同時期のイギリス双発雷撃機「ボーフォート」、イタリア双発雷撃機「SM.84」とも比べてみましょう。

 まず、一式陸上攻撃機一一型は最大速力444km/h、航続距離2852km(正規)、5358km(過負荷)、実用上昇限度9520m。武装は7.7mm旋回銃3門、20mm旋回機銃2門で、800kg魚雷1発を積むことができました。

 対して、イギリスの「ボーフォート」の場合、最大速力は427km/h、航続距離は2575km、実用上昇限度は5030m。武装は7.7mm旋回銃4門で、搭載量は680kg爆弾または魚雷1発でした。

 一方、イタリアのサヴォイア・マルケッティSM.84は、最大速力432km/h、航続距離1830km、実用上昇限度7900m。武装は12.7mm旋回銃4門で、爆弾1600kgまたは魚雷2発を搭載できました

 この3機種を比べてみると、日本の一式陸上攻撃機は、他国の双発雷撃機と比較しても飛行性能については、おおむね勝っていたと捉えることができます。搭載量を含む攻撃力ではイタリアのSM.84にこそ劣るものの、これは旧日本海軍が1.5t魚雷の開発に失敗したためで、機体設計の問題ではありません。

随時改良が加えられ高性能化していった一式陸攻

 太平洋戦争の冒頭に行われた真珠湾攻撃などで名を知られた九七式艦上攻撃機と比較するなら、大きく性能で勝っており、開戦時における「日本最強の攻撃機」は、一式陸上攻撃機であったといえるでしょう。

 その一方で、一式陸攻は装甲がなく、敵戦闘機の攻撃で容易に炎上する「ワンショットライター」であり、人命を軽視した機体であるという説はどうでしょうか。


一式陸上攻撃機の前のモデルである九六式陸上攻撃機(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

 実際には「昭和十七年度以降研究実験に関する件」において「一式陸上攻撃機は燃料漕前後並びに側方に防弾ゴムを装備す」とされており、無防御ではありませんでした。1942(昭和17)年秋ごろから応急消火装置、1943(昭和18)年からは主翼下面への防弾ゴム追加と、できる限りの防御力強化も随時、行われています。

 後期型といえる、一式陸上攻撃機三四型では「航続力を犠牲にしても、防御力を大幅に強化する」という方針が立てられましたが、材質的な問題で高性能の防弾タンクを作れないまま終戦を迎えています。

 事実、太平洋戦争の全期間で撃墜された旧日本海軍の陸上攻撃機はトータルで1261機。一方、機体寿命から使用不能になった機体は2244機ですから、撃墜されなかった機体の方が多いのです。

 運用面を見てみると、一式陸攻は低空を飛行し、艦上戦闘機と対空兵器に阻害される対艦攻撃では、特に多くの損害を出しています。一方で、敵飛行場への爆撃などでは、高高度性能の高さと高速により、あまり被害を出していません。

撃たれ弱さは米エースパイロットも否定

 たとえば、南太平洋のガダルカナル島を巡る攻防戦では一式陸上攻撃機は265機が出撃し、撃墜されたのは25機のため、損失率は9.8%に過ぎないという結果も残っています。

 これは高度8000mで進入する一式陸攻に対して、上昇力の低いF4F「ワイルドキャット」戦闘機は充分に追従できず、度々取り逃がしたためです。とはいえ、33機のF4F戦闘機に奇襲され、25機の一式陸攻が全機被弾したケースでも、撃墜されたのは5機のみで、高速が発揮できる高高度では「ワンショットライター」ではないこともわかります。


イギリス空軍のブリストル「ボーファイター」爆撃機(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

 対戦した連合軍の評価書には一式陸攻について「本機は最も近代的な日本機の一つだが、その能力は連合軍側の対応する機種よりも低い。本機の防漏タンクの能力は不十分で、貧弱な装甲しか持たず、機体構造は脆弱である。防御機銃は多数が配置されているが、充分な防御力を与えているとは言えない」と記されており、充分な防御を備えていたとも言えないのですが。

 一方で、26機を撃墜し、一式陸攻と対戦した経験も持つアメリカ海兵隊のエースパイロット、フォス大尉は、パソコンのフライトシミュレーターを監修したさいに「一式陸攻は決して脆い機体ではない」と語ったとも言われています。

 一式陸上攻撃機は、イギリス戦艦を撃沈するなど、実戦でも活躍した高性能機でした。そうした機体なのに、容易に撃墜されるイメージが付いた理由は、日本と米英を始めとした連合国の航空戦力に開きがありすぎたからだといえるでしょう。筆者(安藤昌季:乗りものライター)としては、陸攻を護衛すべき零戦(零艦上戦闘機)が、もう少し速力重視で、かつ有効な無線を搭載していたなら、違うイメージが根付いていたのではないかと考える次第です。