ペットの柴犬の写真をツイッターに投稿し続け、その自然体のかわいさが人気となっている@inu_10kg。ESSEonlineでは、飼い主で写真家の北田瑞絵さんが、「犬」と家族の日々をつづっていきます。第51回は「0歳の犬」を思い出の写真とともに振り返ります。

犬とのかけがえのない日々を「写真」で思い返す

inubot回覧板は公開している日記のようなもので、時として忘備録になる。たとえば昨年のバースデーケーキはどんなだったか、昨秋はなにをして過ごしたか…知りたいときにinubot回覧板を読み返す。

ふと、連載が始まるまでの出来事を文章で残していないのに気づいた。犬がうちにやってきたときや命名するまでの数日間は書いたが、幼少期の日常的な部分は未だ記していない。

写真や日記は記憶を辿る道しるべになる。だからこそ一度うちにやってきてから一年間の日常をアルバムのページを捲りながら記そうと思う。

犬がやってきた頃の写真を見返すと「こんなに小っちゃかったん!」と毎度びっくりする。子犬の時間はあっという間で気づくと一回りと大きくなっていた。

個人的見解だが、柴犬の幼少期はタヌキ顔とキツネ顔に分かれる。犬は面長でマズルがシュッと伸びていてキツネ顔だった。

それは春に生まれて夏に家にやってきて…ちょうど毛並みが夏仕様でほっそりしていたのもあるかしら。秋が過ぎて冬がやってくる頃には生え揃った冬毛でまるっとしていた。

犬はうちに来た頃にはすでにトイレの仕方を覚えていて、シートを敷いておくとそこでしてくれた。ただシートの上でトイレをすると覚えていたので散歩に行きはじめても、出先で小ができても大はできず、もよおしたら家に向かって走った。環境が変わるって大変。

でも少しずつ慣れてきて外でもできるようになって、散歩の距離も伸びていった。いろんな散歩コースが増えていった。

まだ犬が1歳になってない頃に、家にやってきた親戚が犬の四肢を見て「どえらい筋肉質やなぁ!」と驚いていた。母は「瑞絵がよく散歩してるから」と言っていた。とはいえ犬の平均的な散歩だが…まあ親バカ承知のうえだが引き締まってスタイルがいい犬です。

正直なところ最初は犬であっても他者の排泄物を片づけるのに「やれないまでもないしやらないといけないが少し嫌だな〜」と感じていた。ただこれも犬が出先でトイレができるようになるのと同じで慣れである。いつしか抵抗感なんて消えて気にならなくなった。なんとも不思議な変身。他者と居ると思いもよらぬ自分に出会えるのも犬が教えてくれた。

当時を母と振り返っていたら、0歳の犬はご飯をなかなか食べなくてペットショップで購入した粉ミルクをかけていたのを思い出した。私が忘れてしまっている部分は母が補填してくれる。

「お母さんの中で犬がちっちゃい頃、よく覚えてる光景ってある?」と勇気を出して尋ねてみた。

●母の記憶にやさしく刻まれている、犬と祖母の光景

すると「そうやなぁ…」と一拍を置いて、「やっぱり畑から帰ってきたらおばあちゃんと犬が一緒にいるところやなぁ」と答えてくれた。おばあちゃんとは母の実母だ。

母が朝から畑で農作業をして、昼前に帰ってきたら祖母と犬は庭先でならんでお留守番をしてくれていた。そしてご飯を食べたら、母はまた畑に出かけて夕方頃帰ってくる。

夕方に帰れば、祖母が犬をうちの中に入れてくれていて、上がり框に腰掛けた祖母と犬がやはり並んで迎えてくれたらしい。母の記憶に祖母と犬の光景がやさしく刻まれているのが、うれしいし切ないし。

祖母が現在の8歳の犬を見たら「もうよお抱っこできへんわぁ」と顔をクシャッとしかめて首を振るだろう。祖母の癖だ。祖母は犬に手を甘噛みされながら「みーちゃんは噛まへんのに私の手ばっかり噛みにくる」とわざわざ恨めしそうに、だがうれしさがこぼれるように話していた。

町の病院でリハビリを受けていた祖母は、よく病院帰りに友人を連れて帰ってきた。うちに帰ってきた祖母と友人を犬が迎えている瞬間に、私はその日たまたま出くわして写真を撮っていた。写真の中で、祖母が犬に向ける眼差しはあたたかい。祖母の目尻を見ると母が年々祖母に似てきているのを感じる。

第1回〜12回までの連載に加え、書籍オリジナルのコラムや写真も多数掲載した『inubot回覧板』(扶桑社刊)。こちらも犬の魅力が満載なので、ぜひご覧ください。