作家・作詞家として活躍する高橋久美子さんによる暮らしのエッセー。二拠点生活も1年を迎えた今、感じたことについてつづってくれました。

第81回「二拠点、どちらにも住む」

本格的に二拠点での生活をするようになって1年が過ぎようとしている。一ヶ月交代で愛媛と東京を移動し、愛媛では主に畑をする。仲間も土日には来てくれて、それぞれに好きなものを育てて交換し合う。東京ではその反対に、ずっと書いている生活だ。どちらにも「住む」という表現がようやくしっくり来るようになってきた。

 

●二拠点に住むようになって気づいたこと

愛媛では実家に暮らしているのだけれど、いなかった時期が長かったので、高校まで使っていた学習机に座るとタイムスリップした気分になる。同じ机に参考書ではなくノートパソコンを置いて執筆をする。どうしても、夜に書くことが多いので締め切り前は朝方になっていることもある。少し眠って、朝畑に出る。過酷な夏を超え、農繁期は忙しいけれど畑が一番気持ちいい季節だ。でも私のやっているのは、農業ではなくお百姓。

農業を仕事にはできないなと、やってみてつくづく思う。私は、自分たちが食べる分だけの野菜や柑橘を、いろんな種類育てて楽しんでいる。でも、農業で食べていくには、ある程度システマティックに同じ種類の野菜だけを大量に作って出荷する必要がある。みなさんが想像するいわゆる牧歌的な農家とは対極だと、本物の農家さんを見ていて気付かされる。育てない人の分の大根を、小松菜を、農家さんが一手に引き受けてスーパーに卸してくれているわけだから…土地を持たない人がほとんどの東京に暮らしていると、これが当然の光景なのだと合点がいく。ありがたいことだし、大変な苦労もあると思う。こちらに暮らしてみないと分からないことがたくさんあった。

●愛媛での暮らしも定着してきた

近隣の人たちも大分私を認識してくれるようになった。

「おう、また帰っとるん?」

畑にいると、声をかけられるようになった。あの子、なんかやっているらしいよね。愛媛と東京と二ヶ所で暮らしてるらしいよ。いつまで続くんだか…。だったところが、「頑張ってるね」もちらほら聞こえるようになってくる。

最近は、移動販売が週に何度か来てくれるようになって、そこに行くと近所のお年寄りが集まっていたりして、比較的若い私は目立つ。顔見知りになって挨拶をするようになると世間話に混ざることもある。「住む」という感覚は自分の住処が定着していくことと、こうして周辺の人に認知されることでも作られるのだと思った。

車で十分も走ればスーパーに行くこともできるが、移動販売の安心感が好きになってきた。大きなスーパーは選ぶのに一苦労だったりするけれど、厳選したものをもってきてくれているので、他と比べることがない。それってどうなの? とはじめは思っていたけれど、これはこれで気が楽だ。トラックに積めるものの中で選んで暮らす日々。野菜や米や味噌、梅干しなんかは全部自分たちで作っているので買うものはお肉とお饅頭くらいなのだ。こういうコンパクトな暮らしの中、畑や山といった宇宙に没頭する贅沢。そういう対極のものが隣接する田舎暮らしの面白さをひしひしと感じている。

 

●インターネットのおかげでどこにいても自由になった

あと数日すれば東京に戻る。東京にも住んでいる。夫も忙しくしていることだろう。

お隣さんが、関東の台風の状況や近隣の電気工事の様子など、ときどきメールで送ってくれる。東京の近所の風景を思い浮かべ懐かしく思う。編集さんから、新しい作品についてのメールが届いたり、ZOOMで会議に参加することもあって、インターネットができて、私たちの生活は自由になったなと思った。だからこそ二拠点生活ができているのだ。無理もできるようになってしまった。

忙しい手をとめて、山にかかる霧を見る。鳥や虫の音を聞く。一年経っても、地元は美しい場所だなと思う。子どもの頃はどうしてこの美しさに気づかなかったのだろう。地元の多くの人が今もそれに気づいていないのと同じだったりする。

どんどんと開発されていく地元を見ながら、もう子どもの頃は「時代」という地層の中なんだなと思うし、私自身がこの場所に暮らす人になり、あまり波風を立たせなくなってきていることにも気づく。日々とは、小さなエネルギーを続けていくことだ。

今年も残すところあと三ヶ月。撒いた種はどんどんと発芽して、それぞれの形になろうとしていく。大地に力をもらった静かな息吹を観察しながら、もうじき東京へ戻る。