※この記事は2021年04月28日にBLOGOSで公開されたものです

レストラン運営会社「グローバルダイニング」が3月22日、都から時短営業命令を受けたことを不服として、損害賠償を求めて東京地裁に都を提訴した。

都による命令発出や、特措法という法律自体が違法・違憲であるかが争われる。

弁護団の代表を務める倉持麟太郎氏は今回の訴訟を通じて、有事を理由にスピード感や必要性を“言い訳”にして市民の権利制限が黙認される風潮に危機感を覚えたと訴える。

今回は数ある争点の中から、以下の3点に絞って整理する。

①「反論を許さない」という都知事の姿勢
②曖昧な基準による規制で生じた「委縮効果」
③特措法改正で生まれた条文の歪み

①②は都による時短営業命令の発出について、③は特措法改正について、それぞれ法的にどのような問題があるのか。さらには「一企業と都知事のトラブル」ととらえられがちなこの訴訟が、実は国民全員に関わる「権力と個人の人権」の問題であることを解説してもらった。

時短要請に従わなかったグローバルダイニング社への命令発出

訴状によると、グローバルダイニングは、1月7日に都が特措法に基づいて出した時短要請に従わず、その旨をネット上で公表。その後、3度にわたる個別の時短要請にも応じなかった。小池百合子都知事からの時短命令発出予定を伝え、弁明書提出を求める通知を受け、同社は3月11日に弁明書を提出。要請に従わない「正当な理由」として協力金等の経済的措置が十分でないことなどを述べ、命令が出されれば、応じる考えを示した。

都は18日に27施設、19日に5施設について命令を発出。うち26施設は同社が経営する店舗だった。同社は命令に従って営業時間を短縮したが、店舗を午後8時以降使用できなくなったことについて、命令は違憲・違法であるなどとして、損害賠償を求めて提訴した。

提訴を受けて都の担当者は筆者の取材に対し、「命令を発出したことが間違った判断だとは考えていない」とコメントしている。

【訴状】

「反論を許さない」という都知事の姿勢

今回の時短命令について倉持氏は、「都知事の“反論をすることを許さない”という姿勢が見える」と主張する。

小池都知事は命令の発出理由として、措置命令書の中で「緊急事態措置に応じない旨を強く発信するなど、他の飲食店の20時以降の営業継続を誘発するおそれがある」ことを挙げている。

これに対して倉持氏は、「プライバシー侵害や危害をほのめかすなど、他者加害を含む表現行為なら問題ですが、今回の同社の発信は明らかに適法行為の範囲です。つまり、都の命令は“発信”という表現手段自体ではなく、要請に従わないという“内容”に着目した表現規制であるということです。表現の手段ではなく内容に着目した規制は、思想の自由市場※に多様な価値観が流通すべきという表現の自由の意義の核心を毀損します」と説明する。

そして、「要請はどこまでいっても法的義務はなく、従わないこと自体は違法ではありません。それにもかかわらず、『従わない』相手が不利益を受けるような処分を科す、小池都知事の姿勢は問題です」と話した。

※思想の自由市場:思想が自由に議論され、淘汰されることにより、人々の知識が増え、真理に到達し、文明が向上するなどの社会的効用が達成されるという考え方。

曖昧な基準による規制で生じた「委縮効果」

都が公表した「営業時間短縮要請への協力状況」(3月22日付)によると、要請に応じていない施設は2000軒超。その中で命令が出された32施設のうち26施設が同社経営の店舗であったことに対し、倉持氏は「狙い撃ちであり、見せしめ。表現の自由への委縮効果が懸念される」と話す。

表現の自由は学説上一般的に、数ある人権の中でも特に厚く保護されるべきだとされている。倉持氏はその理由について「表現の自由規制は漠然とした基準になりやすく、数字や記号で規制の外縁を明確にできる経済活動の自由などの他の人権に比べ、『委縮効果』が生じやすい脆弱性を持つため」だと説明する。

都は同社の「強い発信」を理由に不利益処分を科しているが、「強い」と判断した基準は明確にしていない。筆者の問い合わせに対し、都総合防災部の担当者は「数量的な基準はなく、同社による発信の影響を総合的に判断した」と話した。

倉持氏は「基準が曖昧になると、規制される側は過度に委縮し、不必要な自主規制すら生まれます。漠然と『反論したら不利益処分を科す』という姿勢を権力者側が示し、とりわけ特定の表現内容規制を安易に許せば、同社だけではなく、業界全体、そして国民一人ひとりに影響が及びます。目に見えない表現の自由を規制するラインがどんどん後退していくことになるのです」と話す。

特措法改正で生まれた条文の“歪み”

さらに倉持氏は、特措法では命令発出の条件として「正当な理由がないのに(中略)要請に応じないとき」(45条第3項)と定められていることが、「問題点であり、歪みである」と指摘する。

「従うかどうか自由であるはずの要請について、特措法では従わなければ自由を制限されるリスクを負います。本来なら義務のない要請に、従わない正当な理由を求めること自体がおかしいのです」

旧特措法では、要請に従わない場合に法的強制力を伴わない「指示」しか出せなかった。2月の法改正では、権利制限を含む「命令」が盛り込まれたものの、「正当な理由を求める要件」に関しての変更はなされなかった。

こうして生じた法の“歪み”。倉持氏は昨年春の緊急事態宣言解除以降、事後的な検証や法律のアップデートに関する国会での議論が足りていなかったことが背景にあると分析する。

例えば、要請に従わないことが認められるための「正当な理由」をめぐっては、1月26日の国会で国民民主党の玉木雄一郎代表が具体的な内容について西村康稔大臣に答弁を求めた。玉木氏は「正当な理由」には「従業員の暮らしや店の存続を守りたい」という事情も含め、広く解釈するように訴えたが、西村大臣は「かなり限定的に考える」と応じた。

政府は最終的に2月12日付けの「事務連絡」で、「近隣に食料品店がなく、地域の飲食店が休業すると住民の生活維持が困難になる場合」「周辺にコンビニや食料品店がない病院で併設の飲食店が休業すると業務が困難となる場合」などと正当な理由の例を示している。

倉持氏は、この内容では都心の店はほとんど当てはまらず、実質的に要請に従わざるを得ない過剰な私権制限になると指摘。自民・公明・立民・維新の4党が「共同提出」という国会外で進める形で法案を作って成立させたことで、議論が不十分になったと嘆く。

倉持氏は1月に自身も発起人となって「緊急事態宣言に慎重な対応を求める有志の会」を立ち上げ、特措法改正案の問題点を指摘していた。しかし、改正にブレーキをかける反論を許さない「空気の支配」が社会に蔓延していたという。

「我々のような法律家が拙速な特措法改正に反対したり、合憲性を担保できているのかと問うたりすれば、改正を遅らせて命をないがしろにする人間のように批判される。しかしそれは論理の飛躍です。

自由を制限する法律はどんな時でも、必要性があれば許容性の話をしなければいけないし、LRA(より制限的でない他にとりうる手段)を検討する必要があると言っているだけなんです」

「有事だからスピード感優先」という風潮の危うさ

命に関わる現在のような状況では、緊急性が優先されて権利制約はやむを得ないという意識が、政治の場からも、制約を受ける市民の側からも感じられるという。しかし倉持氏は、特措法の条文自体が必要性に流されて安易に人権が制約されないよう歯止めを利かせていると指摘する。

「特措法第1条は『国民の生命及び健康を保護』することと同価値で、『国民生活及び国民経済に及ぼす影響が最小となるようにすること』を目的に掲げています。また、第5条では、権利制限は『必要最小限』とすることと明記。権利制限を伴う条文には必ず『特に必要があると認めるとき』と添えるなど、感染防止対策と国民生活のバランスが求められています」

これらの点から、「緊急性や必要性が無条件に優先されるという解釈は、法律自体から読めない構造」だという。

さらに、「結論ありきで法律を作るなら、議論を前提とする民主制ではなく、王政や専制君主制と変わらない」と、特措法改正の過程に苦言を呈する。

“法律は主権者である国民の代表者(=国会)が議論して作ることから、国民は制限を受け入れる”という民主主義の建前が無視されることは重大な問題だとし、最後に次のように警鐘を鳴らした。

「自由というのは、本来平時のときにはその“逞しさ”は試されません。パンデミックや戦争といった有事=不自由の状況でこそ、その社会の自由の逞しさは試されます。それなのに『有事だから自由が奪われても仕方ない』と考えるのは本末転倒です。

有事の今こそ声をあげ、歯止めを利かせなければいけません。そういう意味で、蟻の一穴をあける訴訟にしたいと思います」

※原告側はクラウドファンディングで支援を募っている。
コロナ禍、日本社会の理不尽を問う(コロナ特措法違憲訴訟)