キッズライン男性シッター締め出しに垣間見える「快適な社会」の正体 - 御田寺圭
※この記事は2020年06月15日にBLOGOSで公開されたものです
「キッズライン・男性シッター逮捕」の衝撃
ベビーシッター・家事代行マッチングサービス事業者「キッズライン」が、「男性シッターの新規予約の受付」を停止したことが、インターネット上で大きな話題となっていた。
本日2020年6月4日14時から、男性シッターによる新規予約受付を一時停止いたしますので、お知らせいたします。
5月3日に弊社よりお知らせをさせていただきましたが、過去に登録していた男性サポーターが逮捕されたことを重く受け止め、様々な安全管理の対策のみならず、性犯罪撲滅のためにも、社内に安全対策委員会を設置し、専門家とも度重なる協議を重ねてまいりました。
弊社としましては、国や自治体との性犯罪データベースの共有が実現することや、安全性に関する充分な仕組みが構築されるまで、また、専門家から性犯罪が男性により発生する傾向が高いことを指摘されたことなどを鑑み、男性サポーターのサポート(家事代行を除く)を一時停止することといたしました。
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キッズライン『【重要】弊社の取り組みに関して』(2020年6月4日)より引用
https://kidsline.me/contents/news_detail/605
シッター・家事代行マッチングサービス事業者である「キッズライン」では、2019年11月に登録していた男性シッターが、利用者宅の男児に対してわいせつな行為を行ったとして、2020年4月に逮捕されるという事件があった。
逮捕された容疑者には別件でも強制性交等の容疑によって複数の逮捕歴があり、いずれも起訴されている。そうした経歴から、同容疑者は男児を対象とした小児性犯罪者(チャイルド・マレスター)であると考えられる(注1:また、2020年6月には二人目の逮捕者が出た)。
本件を受け、キッズラインは逮捕歴がある登録者について十分な調査を行っていなかったのではないかと大きな批判を集めた。顧客からの不安の声と、世間からのバッシング――それに応えるべく半年近い熟慮の末に出した「最終回答」が「男性シッターの締め出し」であったということである。
自社のシッター登録時における調査の不適当さや質の担保の不十分さ――ゆえに発生してしまった事件――などをとりあえず棚上げし、「専門家(どのような専門であるのかは不明だが)」からの指摘の結果「男性は性犯罪者になりやすいから」という理由をかこつけ、すべての男性シッターにその責任を転嫁することで幕引きを計ったようだ。
本当にこれでよかったのだろうか。
「男性の方が性犯罪者の確率が高いから」という理屈の危険性
「男性の方が性犯罪者の確率が高いので、ベビーシッター業務にかんしては男性の雇用機会を排除し、これをもって顧客の安心・安全・快適なサービスを提供します」――という理屈によって、チャイルド・マレスターではないその他ほとんどの男性シッターへの差別的な扱いが認められるのであれば、この社会で数多く存在する他の性差別の多くも「統計的事実」を根拠にして一定の正当性を付与し、これを是認してしまえることになるだろう。
この理屈がまかり通るのであれば「女性は結婚や出産で退職したり、全国転勤を拒否したりするリスクが統計的に高く企業にとっては不採算になりやすい。そのため、女性を採用せずに男性を優先的に採用させ、なおかつ出世も男性を優先させる」という企業の合理的判断もまったく問題ないということになる。
あるいは大学の「医学部入試性差別事件」も同様だ。現場ではもっぱら男性医師がハードな科で長時間稼働する一方、女性医師はそうしない傾向が現場の医師からも指摘されていた(注2)。慢性的なマンパワー不足に悩まされる現場サイドからすれば、高い離職率もそのまま大きなオペレーションリスクに直結する。
こうした背景から、女性医師を増やすよりも男性医師を優先的に増やしてほしいというニーズが強まっていた。これについても「統計的事実」に基づく合理的判断によって、医学部入試における男女の配点差も正当化できることになるはずだ。だがこれも現実では大きな非難を呼び、大学側は最終的に謝罪・撤回した。
市民社会では、なんらかの「合理性」があるからといって、男女の統計的差別を認めるべきではないという「政治的ただしさ」に基づく一定の社会的合意があった。
これにより「企業や組織にとってリスクになる人が一定数含まれている属性の人びとは、なんらかの不利益を被っても仕方ない」とする論調は「(たとえ統計的事実に即していたとしても)けっして許すべきではない」と厳しく批判されてきたはずである。しかしながら、こと男性シッターについては例外になってしまうのだろうか。そうではないと信じたいが……。
「男性は外で働き、女性は家庭を守る」キッズラインの時代に逆行する判断
本件について統計的差別によって特定の性を持つ人びとを締め出すことが正当化されるのであれば「男性は家庭や育児になど介入せず働き、家庭や育児のことはやはり女性がやるべきだ」というジェンダーロールを肯定することにもなってしまう。
私の記憶が間違っていなければ、「男は仕事・女は家庭」といった旧来的でお定まりの性役割の固定的な規範意識について、今日世間の多くの人は反対の声を挙げていたはずだ。そもそもキッズラインという事業者は、そうした旧来的な固定観念を打開していくことをビジョンにしていたのではなかったのだろうか。
実際のところ『社会階層と社会移動全国(SSM)調査』による最新の統計でも、性役割の固定的な観念については、男女とも年を追うごとに減少傾向にあることが報告されている。
今回のキッズライン「男性シッター締め出し」判断についても「性差別は許さない」とする社会的合意に鑑みれば、方針を撤回させるところまで市民社会が求めていくのが道理である。本件が見逃されるのであれば、これまで社会が積みあげてきた営為に逆行することになるだろう。注意深く動向を見守っていきたいところだ。
キッズラインの性差別的対応にみる「快適な社会」の正体
しかしまだ疑問は残る。
というのも、そもそもキッズラインはなぜ本件にかんして「統計的に合理的な根拠があったとしても、性差別的な扱いは許されない」という、この社会に広く浸透していたはずの前提を覆すような判断をしようと考えたのだろうか――という点だ。
今回の決断はまぎれもなく性差別であり、旧来的な性役割固定を促進し、会社のビジョンとも真っ向から対立する意思決定であることは、発表する前にたやすく想像できたはずだ。
思うに、彼らがこのような意思決定に至ったのは、「男性シッターの人権を制限してでも、目下より優先すべきより重大な人権がある」と判断したからに他ならないだろう。もっとも、キッズラインだけがそのような判断をしているわけではない。キッズラインは世間の暗黙裡の要求(本音)を反映したにすぎない。
建前上、人権はすべての人に与えられ、またその質量的にも平等であると謳われている。だが実際のところ人権はまったく平等ではない。とりわけ成人男性の人権は、現代社会における「子どもの人権」あるいは「その親たちが安心・安全な暮らしを享受する権利」に対してほとんど優位性を持たない。
「子どもの人権」「親の安心・安全」に資するためであれば、登録していた数多くの男性シッターの権利が束になってもかなわないことからも明らかである。
世間からの同情を広く集める「かわいそうな存在の人権」と、逆に冷ややかなまなざしを向けられる「かわいそうでない存在の人権」とがコンフリクトを起こす場面は実社会ではしばしばあるものの、前者が後者に優越する例はほとんど皆無である。そればかりか、両者の妥協点を見出されることも少なく、たいていは前者が後者を圧倒してしまう。
子どもたち、あるいは育てる親たちは現代社会ではとくに大切にされる。子どもの絶対数がきわめて少なくなっている社会ではなおさら「子どもの権利、安心安全な暮らし」を求める声が強まっていく。文字どおり「この社会の宝」となった子どもを少しでも傷つけまい、あるいは若い夫婦には少しでも子どもを増やす動機になってほしいという切なる願いがあってのことだ。
そうした社会的要請に応じる形で、子どもやその親の暮らしは可能なかぎりゼロリスクで快適なものへと「改善」を続けている。
だがそのような「改善」こそが、陽光の当たらない影の部分に残酷な表情を持っている。なぜならよかれと思って推進されてきた「子どもたちやその親にとってゼロリスクで快適な暮らし」は往々にして、リスクになりそうな存在や快適を妨げそうな属性を彼・彼女たちの生活圏から徹底的に排除することによって実現されるからだ。
子どもたちの遊ぶ公園のベンチで見慣れない男性が休憩していれば通報されるし(注4)、男性保育士は女児の更衣に関与するべきでないというクレームがつけられるし(注5)、男性シッターは「男性である」というだけでことごとく就業機会を失っていくことになる。憂き目にあう彼らにももちろん人権はあるが、同時に子どもたちやその親にとって安心安全を脅かすリスクとして見なされてしまうからこそ、排除は一定の正当性を付与される。
正当化された排除は「配慮」と名前を変える。かわいそうな存在を慈しむ人びとの共感性の前では、営々と積みあげられてきたはずの「男女平等」の建前は易々と動揺する。そうした排除(配慮)は、悪意や憎悪に基づく差別意識・排外主義によってなされるわけではない。むしろその逆だ。市民社会が子どもやその親たちを思う心やさしい気持ちによってなされる。
いうなれば「純然たる善意によって舗装された疎外」である。
注1:Yahoo!ニュース個人 中野円佳『【速報・詳報】キッズラインのシッター2人目、わいせつ容疑で逮捕 内閣府補助対象、コロナで休園中に被害』
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakanomadoka/20200612-00182683/
注2:ITmediaビジネスオンライン『東京医大・入試女子差別問題の陰にちらつく「ゆるふわ女医」とは
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1907/24/news016.html
注3:細川千紘,2018年,「女性の性別役割分業意識の変遷とライフコース」石田淳編『2015年SSM調査報告書8 意識I』(2015年SSM調査委員会),111-141.(参照:2020年6月15日)
注4:キャリコネニュース『「公園のベンチに座っただけで通報」の是非、ネットで議論 声優・落合福嗣も「長女と公園で遊んでた時に職質された」』
https://news.careerconnection.jp/?p=72965
注5:J-CASTニュース『男性保育士に「女児の着替えさせないで!」 保護者の主張は「男性差別」か』
https://www.j-cast.com/2017/01/24288759.html