※この記事は2020年06月03日にBLOGOSで公開されたものです

新型コロナウイルスの感染拡大は歌舞伎町の接客業従事者に大きな影響を与えた。歌舞伎町でホストクラブ、BAR、飲食店、美容室などを経営する「Smappa! Group(スマッパグループ)」の会長・手塚マキさんに経営者としての葛藤を寄稿いただいた。

スマッパグループを始めて17年。今までも問題は沢山あった。しかし今回ほど自分たちの無力さをあらゆる面から感じたことはない。疎外感を抱いたことはない。都会のど真ん中で生きているのに。

5月29日、梅雨前の五月晴れ。気持ちの良い晴天。珍しく朝から起きて近所でスケボーをして昼前に帰りベランダでテレワーク。

「医療従事者に感謝の飛行」

ブルーインパルスが自宅あたりを通過するようだ。

通過予定時刻、遠くから大きなエンジン音が鳴り響く、段々近づいてくる。ぶつかるんじゃないかと思うほどの凄い音だ。心臓がどきどきする。耳を塞ぐ。少しずつ音が小さくなる。大きく息を吐いた。

うちのベランダから見える空にはブルーインパルスの姿は見えなかった。音だけだった。怖かった。

ツイッターで「怖かった。」と呟いた。友達から連絡が来て注意された。励みになった医療従事者の方の気持ちを考えたら、短絡的な言葉で不快な思いをさせない方がいいと言われた。

私もそう思う。医療従事者で励みになった人がいれば良かったと思うし、自衛隊の人も応援したいと思っての飛行である。そんな人たちの思いを蔑ろにする投稿だ。

でも私はそれ以上に、政府がプロパガンダとして自衛隊を使うことに対する嫌悪感。武力をヒーロー扱いすることへの畏怖の方が断然強かった。

私も飛んでいる姿を見れば、違った感情だったかもしれない。私には恐怖心しか残らなかった。私は音だけだったからそう思ったのかもしれない。その直後のZoom会議の最中に、参加者の一人の家の上をブルーインパルスが通過した。画面越しで音におののく姿が見えた。

喜ぶ人もいる。でも怖がる人もいる。当たり前のことだ。

力とはそういうものだ。権力とはそういうものだ。

今回の新型コロナウイルスの影響によって、数億の借金を背負うことになるだろうことは気にしていない。しかしもう元の生活には戻らないであろう。

事業を縮小、もしくは変化させなければいけない。そうなると今までの仲間たちと同じように一緒にいることはできなくなる。できるだけそうならないように、そのためのロードマップを早く作らなければというプレッシャーが大きくストレスになっているようだ、と自己分析する。

上手に資本主義から離脱するのか?そんなことはできるわけがない。

公的機関から置き去りにされた水商売 「そんなことには慣れている」

感染症が拡がり始めてから、公的機関からは水商売を置き去りにした施策をいくつも打ち出された。業界を名指しで非難された。

そんなことには慣れている。平常時だって部屋も借りられない、銀行も融資してくれない。我々は公序良俗に反していると思われている。そんなことは知っている。

我々はいつだって「必ずしも公に推奨されているわけではない」ところで商売をしてきた。
しかし、いつだって、我々は誰かのやむにやまれぬニーズに応えてきた。

何を言ったって、ただの泣き言だ。

「不要不急」という曖昧な言葉から始まった私の思考のループは一向に収まらない。自分の理屈で揚げ足を取るようなことを考えて、どうにもならないストレスを溜めるだけ。

ぼぉーっと時が過ぎるのを待てばいいのか。従業員を抱えた私はそんなわけにはいかない。
彼らと共に生きてきたことが私の意義の全てだ。彼らと共に生きていくことが私の全てだ。

最低限の常連のみで3密防止 しかし社内外から批判も

3月、ホストクラブが土日を休業にするという共同声明を出した。感染症の対策としてよりも、社会の風潮に対してのポーズとしてだ。

うちのグループでは方針そのものよりも、方針の決め方を重視した。公的機関の発表を元に従業員に対して社会状況を教え、各店舗が世間の風潮と従業員、お客様の状況を加味して方針を決めることにした。

それは、つまり社内教育重視ということだ。日々新規事業を立ち上げるくらい、頻繁に経営方針を変えるという経験ができる。つまり、あえて従業員を悩ませたのだ。ない正解を求めつつ、社会に、そして仕事に向き合ってもらおうと思ったのだ。

刻一刻と変わる状況に鑑み、さらに新規お客様の受け入れをしないことからSNSなどを通じて公的に態度を表明することはしなかった。常連様を最低限迎え入れることは認め、卓数・出勤制限をするなど3密防止対策を決め、感染症に関して考え続けることを選んだ。

態度の表明がないことで社外から批判を浴びた。それはすぐに社内にも拡がった。

そうこうしているうちに営業は一切できなくなった。

私は安堵した。従業員たちのストレスもピークに達していた頃合いだった。

沢山の感染症に関わる本を読んだ。段々と自分たちが直面している現実が輪郭を帯びてわかってきた。社内教育なんて呑気なことを言っていた自分が恥ずかしいくらいに、真剣に考えなければいけない状況だと知った。

しかし、現実的な問題が日々のしかかる。人類の平和と経営者としての責任という、天秤にかけるべきではない重石を乗せて、思考はループする。

社会とは我々一人一人であって、ビジネスとはそういう人たちの感情に付随して成り立っているという基本を突きつけられた。

結局うちは風潮にただ合わせるだけになっていった。
私の出番はもはやなかった。

「発表するからもう飲みに行くなよ」ってことか

ブルーインパルスの飛行から数時間後の午後2時 小池都知事の会見を観る。

22人の感染者のうち10人以上が夜の業界・・・感染経路が追えない。そう言われた。

夜のお店に飲みに行って連絡先を交換しない人はほとんどいない。そして今迎え入れることのできるお客様は連絡を取り合っている常連さんがほとんどだろう。感染経路が追えないとはどういうことか?そして22人しか感染者がいなくて、そのうち10人が夜のお店で感染したと公表することはどういうことなのか。

「今日陽性反応が出た人は、良識的ではない忌み嫌われる場所に出入りした人です。そこで働いている人です」そう言っているんですよね。

発表するからもう飲みに行くなよ。ってことか。よくわかっている。発表された人は生贄だ。

正直に感染経路を伝えたのに。彼らの身の周りでは何が起きただろうか。

ますます言わなくなるのではないだろうか。いや、言わなくていいのか。言わないものだと判断したのか。だから公表したのか。だからパトロールするのか。

私の思考はループする。

でも、今までだって、水商売を疎外して、勝手にやらせてきたじゃないか

ワイドショーで大阪のキャバクラの関係者がお店から出演していた。地下の店なので工事用のダクトを繋いで空気を入れ替え、1時間半ごとにお客様を入れ替え除菌消毒をするなどクラスターにならない対策を説明していた。

それを伝えるスタジオではマスクもせずに話している。どうやって予防するのか?問い詰める。申し訳なさそうにキャバクラの方が答える。一体なんだ、これは。

カメラには映らないスタッフは何人いるのだろうか。皆そこまでどうやって移動したのだろうか。

水商売は、感染予防する能力がない人種が携わるものだと思われているのだろう。

でも、今までだって、水商売を疎外して、勝手にやらせてきたじゃないか。その中で、どうにか社会の一員だって思ってもらいたくて私のグループは色々なことをやってきた。地域活動には積極的に参加してきた。拒む若者たちを街のお祭りに参加させたり、ゴミ拾いに参加させたり、社会との接点を設ける時間を作ってきた。必死に歩み寄った。それでも溝はなかなか埋まらなかった。

まさか、こんな形で「社会の一員だ」と押し付けられることになるとは思ってもみなかった。

社会の一員と水商売を認めたようなフリしているのは、悪い例として見せしめにするためなのか?「ステップ3にも示されない人がいるんです。でも君たちは許可してあげたよ。だから我慢して」と言うため?

社会が変わらないのに自分だけが変わることは無理だ

アフリカやラテンアメリカのことを考えると少しだけ冷静になれる。パオロ・ジョルダールの『コロナの時代の僕ら』を読むと、遠い発展途上国の人々に思いを馳せることができる。

「超感受性保持者にしても各人が持つ脆弱性は、高齢や病歴だけが理由とは限らない。社会的原因、経済的原因による無数の超感受性保持者がいるのだ。彼らの運命は地理的にはいくら遠かろうとも、僕らにとっては身近な話だ」(P48)

劣悪な労働環境と医療設備。もしそんな場所で感染症が発症したら?
日本で疎外されている業態の人間として、世界での疎外を考える。

こんな事態になる前からわかっていたはずだ。資本主義の真っただ中で生きている自分が、格差を助長し、地球を破壊することに加担していることを。

非人道的な人、環境破壊をしている人、差別的な人、を表面的には否定して、自分が加担している矛盾から目を背けていることを知っていたじゃないか。

私は、「悪いのは俺らだけじゃないじゃん」

そう言っている駄々っ子だ。みんなで森林伐採に加担してきたんじゃん。大量消費推奨してきたじゃん。

アフターコロナを考える?

自分たちの「不必要性」を横に置いておいて考えればいいのだろうか。

何を守り、何を捨て、私たちはどう生きていくのか?

そんな問いを投げかけられれば、守るべきものがわからない。捨てるものしかわからない。
短絡的に自分を全否定する思考のループから抜け出せない。

環境に気を使ってミニマルにこっそり生きていけばいいのだろうか。未来のことなど考えず、思い残すことはないと、夜な夜な死ぬ気で刹那的に遊べばいいのか。

大量生産をしている人は無駄な「もの」を作った罪悪感を持つこともあるだろう。ものづくりを改めようと思うこともあるだろう。

でも私たちの作る「もの」は、私たちそのものだ。
無駄なのは私たちだ。

急に社会が変わることが無理なのもよくわかっている。しかし社会が変わらないのに自分だけが変わることは私には無理だ。

歌舞伎町でホストクラブ経営者が今思うこと

今思う。
手触りが欲しい。
それは物理的なことだけではない。
流されていく自分を受け入れてくれる手触りが欲しい。

添え物としてあればいい。添え物としてあるようで、でも一人の人にとって、その手触りが人生の全てだ。

私は風潮に流された。経営とはそういうものだと初めて肌で感じた。東日本大震災の時のようなワンマンでコントロールできる規模では今回はなかった。

アフリカの人を思おう。
発展途上国の人を思おう。
自分の国の自然を自らの手で破壊させられている人のことを思おう。

私は歌舞伎町で生きている。沢山の不安な人が集まる場所だ。過剰な浪費も、騙し騙され合いも、喜びも悲しみも憎しみも、混沌とごちゃまぜにしてから、向き合おう。

そうやって自分に向き合える場所は必要だと思う。
そうやって一人一人に寄り添い合える居場所を作っていこう。

私を思考のループから抜け出させてくれたのは、いつも歌舞伎町という居場所だったのだから。

6月2日追記

東京都であらたに34人の感染者が確認されたことがニュースで報じられた。

「夜の街」での感染が急増し、改めて泣き言を言っていられる状態ではなくなってきた。

感染防止の更なる徹底はもちろんのことだが、さらに歌舞伎町全体で自主的に営業を休止することを検討すべきかもしれない。

だがどうやって?

こうして間歇的に数字が増え、また場当たり的に「自粛」の気分へとなだれ込むだけでは、同じことの繰り返しになるだけだし、その間確実に誰もが消耗していく。

私たちには無限の財力も体力も気力も与えられていないのだから、いつまでも同じことを繰り返しているわけにはいかない。

繰り返しからの脱出策の一部は、ハームリダクションとしていくつかの媒体で表明している。追加の取組みについては、また機会を見つけて書いていきたい。