※この記事は2020年05月28日にBLOGOSで公開されたものです

フォトジェニックなシルクロードの遺跡で知られ、観光地としても人気上昇中のウズベキスタン。

この地域のコロナ事情が日本で報じられることはほぼないが、近年、大統領主導で政治・経済改革を進めてきたこの国では、国内で発生した新型コロナウイルスにいち早く徹底的な対策が講じられ、感染封じ込めと経済再開に向けて健闘が続いている。

そんななか今も継続する学校閉鎖によって学びの場を失ったウズベキスタンの子供たちに、救いの手を差し伸べた日本企業がある。株式会社デジタル・ナレッジ(東京都)だ。

インターネットを利用した学習教材(eラーニング)を無償で公開し、教育の現場を支えている。

知られざる中央アジアのコロナの最前線から、日本とウズベキスタンの関わり、そして変化を遂げる「開かれた国」の新しい姿を追った。

学校閉鎖のなか日本企業がeラーニング教材を子ども達に無償提供

ウズベキスタン共和国は中央アジア南部に位置する。国土面積は日本の約1.2倍で、人口は約3325万人(2019年推計)。現在、新型コロナウイルスの影響により市街地が封鎖されたこの国で、日本企業のデジタル・ナレッジが奮闘している。

旧ソ連時代の社会主義政策で、長らく全国民に初等教育の機会が保障されてきたウズベキスタン。だが、就学率や識字率は高い一方、成績に関わらず進級や進学が認められることもあり、教育の質の改善が課題となっている。

そこで昨年8月から同社は、公立の小中学校における理数科教育や教員の指導能力強化のために、日本で数々の導入実績を持つeラーニング教材を使ったビジネスモデルを提案。

JICA(国際協力機構)が支援する普及・実証・ビジネス化事業による現地調査で、小学生向けの「電子そろばん」や中学生向けの「負の数」や「三角形の合同」に関するeラーニング教材のパイロット版を開発し、学校でのトライアル授業を始めていた。

今年3月15日、国内で新型コロナウイルスの感染が確認されると、ウズベキスタン政府はすぐに当面の学校閉鎖を決定。

その直後、国民教育省から子供たち向けにeラーニング教材を提供してもらえないかと依頼を受けた同社は、すぐに開発済みの中学生向けの数学の教材と小学生向けの電子そろばんソフトなどを、JICAの支援枠を活用して無償で公開することを決めた。

数学の映像講座を受講した生徒からは、さらに理科や科学の講座への期待も寄せられているという。

学校は年度終わりの8月まで再開しないことが既に決まっているが、同社は休校措置の期間中、無償提供を続ける予定だ。日本の技術とノウハウがピンチをチャンスに変えて、ウズベキスタンの子供たちに学びの場を届けている。

  

スピーディな判断と経済成長 変化を遂げるウズベキスタン

感染確認の直後に休校措置を決定し、新たな技術の導入で難局を乗り切ろうとするウズベキスタン。改革の歩みを緩めず、ピンチをチャンスに変えて前進しようとするこの国の経験は、共にポストコロナの道を模索する私たちに何を教えてくれるだろうか。

筆者が初めてウズベキスタンを訪れたのは2013年。当時はまだ中央アジアに行くというのはかなり珍しかった。

大学の研修で訪問のチャンスを得た私は、「この機を逃したらきっと二度と行くことはないだろう!」と意を決し、シルクロードの不思議の国へ乗り込んだ。

人々の暮らしが感じられるバザールや青のドームが印象的なモスクを訪れ、澄み渡る青空のもとで灼熱の太陽に焼かれ、熱中症になりかけたのを覚えている。

当時はまだ外国人は市場レートの2倍近い公定レートで両替をしなければならなかったが、それでも当時最も一般的だった1千ソム札は50円程度で、札束で財布がパンパンになった。

5年後、縁あって仕事でウズベキスタンの担当となり、かつての予想に反してこの国を再び訪れることとなった私は、短期間に大きく姿を変えたこの国に驚くこととなる。

ソ連からの独立以来、25年近く国を率いたカリモフ大統領が2016年に急逝。後継のミルジヨエフ大統領が開放政策へと舵を切り、急速に政治・経済改革を推し進めてきた。

17年には二重為替の統一を果たし、対外的な経済活動の基盤を確立。綿花と天然ガスに依存した経済から脱却し、投資促進と輸出振興を通じた経済発展を目指すための改革が、現在も進められている。

女子旅ブームも到来? 日本との結びつき深まる中で直撃したコロナ禍

政府は観光客誘致にも力を入れ、ウズベキスタンの旅行先としての人気は近年日本でも急上昇してきた。14年には6千人余りだった日本人観光客は、19年には4倍の2万5千人に。

インスタ映えするシルクロードの世界遺産、エスニックで美味しい食事、そして治安の良さの三拍子がそろうウズベキスタンは、文句なく最高の旅先だ。

国が開かれ、観光客も伸び、経済成長の加速に向け期待は膨らんだ。19年12月にはミルジヨエフ大統領が初来日。様々な分野で日本からの投資を促進する覚書を結ぶなど、日本との結びつきも一層深まろうとしている。新型コロナウイルスが世界に広がったのはそんな折だった。

※編集部注:外務省によるとウズベキスタンは3月16日から、他国との全航空便の停止、国境自動車道の閉鎖を含む全ての国境の閉鎖措置及び出入国の停止措置をとっている。ただし、ウズベキスタンに既に滞在する外国人(日本人を含む)の出国は例外的に認めるとしている。

欧州から届いたコロナ 日本政府と対照的なウズベキスタンの対応

ウズベキスタンで初めて感染が確認されたのは20年3月15日。初の感染者はフランスからの帰国者だった。その後、トルコやロシアなどからの帰国者らから感染確認が相次いだ。

政府はいち早く動いた。

感染確認の翌16日には、国際便の運航を止めて国境の封鎖を始め、学校も全て閉鎖した。さらに19日には大統領令を発表し、30万件分の検査キットの調達、500万枚のマスクの増産のほか、経済対策として10億ドル規模のコロナ対策基金を設立。医療者への特別手当や休業補償、雇用を守るためのインフラ事業等に充てる方針を打ち出した。

23日には外出時のマスク着用を義務化し、原則テレワークとすることを指示。そして24日には首都タシケントのロックダウン(都市封鎖)に踏み切った。

最初の感染確認からわずか一週間余りで、ここまでの対策が打ち出され、街は動きを止めた。すでにヨーロッパで爆発的な感染が報じられていたとはいえ、政府の迅速かつ徹底的な対策には舌を巻く。

この頃の日本はといえば、1月中旬の初の感染確認から2か月を過ぎ、三連休を経て感染者が1,000人を超えていた。その後、25日に東京都が外出自粛を呼びかけ、4月7日の緊急事態宣言まで段階的に措置を引き上げていく。国の文化を反映してか、両国の政府の動きは実に対照的だ。

ほとんど使われていなかったSNSを使用した政府の情報発信

ウズベキスタンでは、こうした早期の外出自粛と隔離の徹底が功を奏してか4月半ばをピークに新規感染者は減少傾向に転じた。

5月中旬以降は1日の新規感染者が50人前後で推移する状況に耐える日々が続いているが、全国を過去の感染者数に応じて赤・黄・緑のゾーンにわけ、経済活動の制限を解除する動きも進みつつある。

第一波に対する政府の意思決定の早さを、旧ソ連からの権威主義の遺制と捉えることもできよう。それでも印象的だったのは政府の情報発信に対する姿勢だ。

筆者のFacebookのタイムラインには、連日ウズベキスタン政府の投稿が流れてくる。Twitterの政府公式アカウントでは次々とコロナ対策を打ち出す大統領の動向が日々更新されるほか、保健省がLINEに似たウズベキスタンの国民的SNS「Telegram」で、コロナ関連の情報を毎日発信している。

ここには開かれた政府として、広く情報を発信し、国民の信頼を得ようとする新しいウズベキスタンの姿が垣間見える。少し前まで規制が強く、ほとんど使われていなかったSNSを、ここまで総動員しているというのも象徴的だ。

4月末まで感染者の発表がなかったタジキスタンなどの旧社会主義の周辺国と比較しても、集権的な性格は残しつつ、政治の透明性を高めようとする姿勢は興味深い。

新型コロナの影響で消えた「世界一分厚い札束」 デジタルエコノミー推進の契機に

コロナの感染拡大は、ウズベキスタンで、テレワークやeラーニングなど様々な分野でのICT(情報通信技術)の活用を後押ししている。それはさらに今後のデジタルエコノミー推進につながるかもしれない。

ウズベキスタンは長らく現金の文化が強かった。世界一ともいわれる札束の分厚さがその象徴だ。私も出張に行くたびに一瞬大金持ちになった感覚に襲われ、すぐにそれが砂漠に浮かぶ幻覚に過ぎないことに気づく経験をしてきた。市中ではクレジットカードがあまり一般的ではなく、札束は長年手放せなかった。

しかし、コロナの感染拡大を受けてウズベキスタン政府は、感染拡大予防の観点から現金をあまり使わないようにと呼びかけた。代わりに政府はクレジットカードなどによる電子決済を推奨しているという。コロナを一つの契機として、いよいよウズベキスタンにも、デジタルエコノミー時代が到来する予感がする。

コロナを乗り越え シルクロードの新たなフロンティアへ

経済成長に向け、改革の歩みを進めてきたウズベキスタンにとって、コロナという逆風は耐え難いものだったろう。それでも「ポストコロナ」を見据えて、政府は着々と準備を進めている。

日本もその動きを後押しする。雇用吸収力の大きい野菜や果実などの農業振興にはJICAがツーステップローンで支援する低利子融資が活用される予定だ。また雇用の受け皿ともなる発電所や病院などのインフラ投資支援も、コロナによる制限の中で少しずつ前進している。

時間はかかるかもしれないが、ウズベキスタンの観光地としての魅力をもってすれば、コロナで姿を消した外国人観光客もいずれ戻る日が来るだろう。その時、地方の雇用の受け皿として観光業の重要性は増しているはずだ。トイレの整備や交通インフラの充実、さらにはガイドやホテル業を担う人材育成など新たなニーズも出てくるだろう。様々な分野で日本からの投資への期待もますます高まるに違いない。国の変化にあわせてニーズを先取りし、寄り添っていく姿勢が求められている。

開放政策のもとで投資促進が期待され、デジタル化も進みつつある近年のウズベキスタンは、筆者が滞在していた16年頃の開放政策転換期のミャンマーの姿と重なる。東南アジアと比べるとなかなか注目されにくい中央アジアだが、ここでは将来への期待も込めて、ウズベキスタンを「中央アジアの新たなフロンティア」と銘打ち、コロナショックを乗り越え、この国がどう成長するかを見守りたい。

政府に勢いはある反面、上意下達の行政組織などまだまだ課題は多い。非効率的な国営企業の改革や投資環境の整備、そして国民中心の国創りは依然として道半ばだ。

中国とロシアに挟まれ、一帯一路の要衝ともいえる中央アジアで、「開かれた国創り」のために中立的な立場の日本が果たせる役割は少なくないだろう。またリーマンショック後の世界経済の回復を中国が牽引したことを想起すれば、経済成長のポテンシャルを秘めたウズベキスタンのような新興国の力を活かすことが、コロナ禍で減退した世界経済、そして日本の経済の再生へのひとつの道になるはずだ。

世界を覆うコロナ危機はかつてないほどの衝撃と変化を世界にもたらしている。しかし灼熱の砂漠を耐え抜いた先にオアシスがあるように、厳しい困難を乗り越えた先には、必ず息を吹き返す瞬間があるはずだ。内向きになりがちなこんな時代だからこそ、サマルカンドブルーの青空のもと、開かれた国創りを目指して変化を遂げつつあるウズベキスタンを、道なきポストコロナへのひとつの道標にしてみてはどうだろうか。

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著者:松野 雅人
独立行政法人国際協力機構(JICA) 東・中央アジア部 中央アジア・コーカサス課 副調査役
2016年にJICA入構。ミャンマー事務所でのOJTを経て、人間開発部・保健第2グループに配属。パキスタンでの定期予防接種、アフガニスタンでの母子手帳の普及などのプロジェクトに関わる。2018年から東・中央アジア部にてウズベキスタンを担当。社内では農業・保健・水衛生など様々な分野に関わる“栄養改善”の推進にも取り組む。ワークショップデザイナー。