SARSでは出生率の急落も 新型コロナ感染症のパンデミックは「出生率」を上げるか - 石田雅彦 - BLOGOS編集部
※この記事は2020年05月24日にBLOGOSで公開されたものです
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染症(COVID-19、以下、新型コロナ感染症)は日本で収束の気配をみせ、少しずつ日常が戻りつつある。新型コロナ感染症は実に多種多様な影響を我々の社会や生活に及ぼしているが、日本で下がり続けている出生率に関してはどうだろう(この記事は2020/05/18の情報に基づいて書いています)。
非日常的な事態が起きると出生率は上昇?
ある特定の国や地域で、一時的に出生率が上がるベビーブームという現象がある。主に大きな戦争の後、平和の訪れや戦地から男性が帰還するなどした結果、特に戦勝国敗戦国を問わず起き、第二次世界大戦後の先進工業国のほとんどでこの現象がみられた(*1)。
だが、ベビーブームはあくまで一時的なものに過ぎず、経済成長と比例して出生率の増加が続くとした予想に反し、多くの国でベビーブームの後に出生率の急減(Baby Bust)が起きた(*2)。これは戦後に出生率がそう伸びないだろうという観測と同様、出生率の増減の予想が難しいことを示している(*3)。
非日常的な事態が起きると出生率が上がるという現象で有名なのは、1965年に起きたニューヨークの大停電(Great Blackout of 1965)だろう。だが、これは一種の都市伝説で、実際の出生率に変化はなかった(*4)。
ニューヨーク大停電で出生率に変化がなかった一方、どうやら電源喪失というインフラの異常は出生率を上げることもあるようだ。例えば、タンザニアに属するインド洋上の島ザンジバル(Zanzibar)では、2008年に1ヶ月間、停電したが、その後の8ヶ月から10ヶ月の間、出生率が17%増えた(*5)。
また、自然災害では異なった様相を見せる。1995年から2001年まで米国の東海岸とメキシコ湾岸を襲ったハリケーンのデータから、それら地域の出生率との関係を分析した研究(*6)によれば、深刻度が低いハリケーンの場合はすでに第一子を持っていたカップルで出生率の上昇が観測されたが、深刻な被害を及ぼすハリケーンの場合は逆に出生率を低下させていた。
スペイン風邪の流行で上下した出生率
現在、世界は新型コロナ感染症のパンデミックに襲われ、都市封鎖や外出自粛、ソーシャル・ディスタンシングといった状態に陥っている。この感染症は、遺伝子が似ているSARS(重症急性呼吸器症候群)ともMERS(中東呼吸器症候群)とも感染状態が異なり、研究者は1918年から1920年に流行したスペイン風邪のデータを疫学や公衆衛生学で参考にすることも多い。
スペイン風邪は、1918年の春から初夏に第1波が、同年の秋により重篤な症状を引き起こす第2波が、そして1919年の春から秋にかけて第3波が世界を襲った。このように他のインフルエンザウイルスとは異なり、春や夏、秋といった季節に流行したこと、20代から40代の若年成人が重症化や死亡しやすかったのが特徴となる。
では、スペイン風邪のときの出生率はどうだったのだろう。これに関する調査研究では、スペイン風邪の後に起きたノルウェーやスウェーデンなどのベビーブームについてのものが多い。
このパンデミックのとき、第一次世界大戦が起きていたので、出生率の変化が戦争によるものかスペイン風邪によるものか、わかりにくいが、ノルウェーやスウェーデンなどは第一次世界大戦では中立を保っていたので戦争の影響は限定的だ。ちなみに、中立国と交戦国のスペイン風邪による死者の違いは中立国(6カ国平均)約6.87人/1000人、交戦国(10カ国平均)7.04人/1000人で、中立国で特に多かったスペインを除いた中立国の死者数の平均(5カ国)は5.78人/1000人となる(*7)。
ノルウェーやスウェーデン、オランダの中立3カ国では、1918年のスペイン風邪の第1波の後、1919年に出生率が落ち、収束後の1920年に強い出生率の上昇がみられた(*8)。
例えば、ノルウェーの出生率(Birth Rate、/1000人)は、1918年24.6、1919年22.9、1920年26.3、1921年24.2となっている。つまり、感染が終息する前からセックスが行われ、その結果、ベビーブームが起きたことになる。
また、スペイン風邪により流産・死産が増えたことも出生率を増減させたが、これは若年成人の罹患率や重症化・死亡率が高かったスペイン風邪の特徴も影響している(*9)。さらに、大規模な事故や災害が起きた心理的なインパクトにより流産・死産が増える。ちなみに、新型コロナ感染症は、妊娠中の母子感染のリスクは低いが(*10)、早産のリスクがみられるという(*11)。
香港ではSARSの流行で出生率が急落
新型コロナ感染症が、社会や我々の日常生活に与える状況と似ているのは2003年のSARSだろう。日本への影響はほとんどなかったが、3月下旬から1ヶ月間、小中学校が休校し、公共の場所が閉鎖され、テレワークが推奨された香港では、SARSの流行が出生率を急落させたことがわかっている(*12)。
以上のことから、非日常的な異常事態が起きたとき、出生率がどう変化するかはかなり複雑で地域や国の環境要因、起きた事象と期間などにより変わるようだ。
例えば、スペイン風邪の場合、戦争に巻き込まれなかった国でまだ感染が終息する前に受精した子が生まれ、一時的なベビーブームが起きたが、SARSの場合は感染流行時にセックスがあまり行われなかったことがうかがえる。
重要な社会的な弱者への視点
感染が拡大した、もしくはしているのは先進諸国に多いが、これらの国はもともと出生率が低かった。出生率の増減より、むしろ問題視されているのは、自粛や都市封鎖、ソーシャル・ディスタンシングなどによって受ける精神的な悪影響、そして生活が変化したことにより起きる性的な被害、望まない妊娠(*13)、暴力(DV)だろう(*14)。
世界保健機関(WHO)は、新型コロナ感染症と性とセックスに関する健康(Coronavirus disease (COVID-19) and Sexual and Reproductive Health)という特別プログラムを組んでいる。ここでは、妊娠、避妊、女性への暴力、人権といった項目でガイドラインやQ&Aが紹介されているので、こうした問題で悩んでいる人には参考になりそうだ。
パンデミックは社会的な格差を助長し、社会的な弱者に対して大きな影響を及ぼす。非日常的な異常事態に陥ると人間の本性が露わになり、それが差別や他者への批難・攻撃につながりかねない。
緊急事態宣言が解除され、自粛要請が少しずつ緩和されてきている日本だが、感染の第2波は必ず来るといわれている。この数ヶ月を振り返りつつ、精神的にもそのときのためにしっかりと備えたい。
*1:Diane J. Macunovich, "The Baby Boomers." the Macmillan Encyclopedia of Aging, 2000
*2:Jeremy Greenwood, et al., "The Baby Boom and Baby Bust." American Economic Review, Vol.95, No.1, 2005
*3:Jan Van Bavel, David S. Reher, "The Baby Boom and Its Causes: What We Know and What We Need to Know." Population and Development Review, Vol.39(2), 257-288, 2013
*4:J. Richard Udry, "The Effect of the Great Blackout of 1965 on Births in NEW YORK CITY." Demography, Vol.7, No.3, 1970 *5:Alfredo Burlando, "Power Outages, Power Externalities, and Baby Bo
oms." Demography, Vol.51, 1477-1500, 2014
*6:Richard W. Evans, et al., "The fertility effect of catastrophe: U.S. hurricane births." Journal of Population Economics, Vol.23, 1-36, 2010
*7:Niall P. A. S. Johnson, Juergen Mueller, "Updating the Accounts: Global Mortality of the 1918-1920 "Spanish" Influenza Pandemic." Bulletin of the History of Medicine, Vol.76, No.1, 105-115, 2002
*8:Svenn-Erik Mamelund, "Can the Spanish Influenza Pandemic of 1918 Explain the Baby Boom of 1920 in Neutral Norway?" Population, Vol.59, DOI : 10.3917/popu.402.0269, 2004
*9:Kimberly Bloom-Feshbach, et al., "Natality Decline and Miscarriages Associated with the 1918 Influenza Pandemic: The Scandinabvian and United States Experiences." The Journal of Infectious Diseases, Vol.204, Issue8, 1157-1164, 2011
*10:Cuifang Fan, et al., "Perinatal Transmission of COVID-19 Associated SARS-CoV-2: Should We Worry?" Clinical Infectious Diseases, doi.org/10.1093/cid/ciaa226, March, 17, 2020
*11:Daniele Di Mascio, et al., "Outcome of coronavirus spectrum infections (SARS, MERS, COVID-19) during pregnancy: a systematic review and meta-analysis." American Journal of Obstetrics & Gynecology MFM, doi.org/10.1016/j.ajogmf.2020.100107, March, 25, 2020
*12:Peter Richmond, Bertrand M. Roehner, "Coupling between death spikes and birth troughs. Part 1: Evidence." Physica A: Statistical Mechanics and its Applications, Vol.506, 97-111, 2018
*13:Kavita Nanda, et al., "Contraception in the Era of COVID-19." Global Health: Science and Practice, doi.org/10.9745/GHSP-D-20-00119, 2020 *14-1:Julia Hussen, "COVID-19: What implications for sexual and reproduct
ive health and rights globally?" Sexual and Reproductive Health Matters, Vol.28, Issue1, April, 2, 2020
*14-2:Lori A. J. Scott-Sheldon, et al., "Call for Proposals: Special Issue of Archives of Sexual Behavior on the Impact of COVID-19 on Sexual Health and Behavior." Archives of Sexual Behavior, doi.org/10.1007/s10508-020-01725-8, April, 4, 2020
石田雅彦
いしだまさひこ:医科学修士(MMSc)自然科学から社会科学まで多様な著述活動を行う。横浜市立大学大学院医学研究科博士課程在学中。元喫煙者。サイエンス系著書に『恐竜大接近』(集英社、監修:小畠郁生)、『遺伝子・ゲノム最前線』(扶桑社、監修:和田昭允)など、人文系著書に『季節の実用語』(アカシック)、『おんな城主 井伊直虎』(アスペクト)など。