コロナ後は「演芸場+有料配信のハイブリッド」へ 落語で見られる新たな試みとは - 三上洋 - BLOGOS編集部
※この記事は2020年05月21日にBLOGOSで公開されたものです
音楽や演劇などのエンターテインメント産業が苦しむ中、落語の新しい試みが注目されています。三代目橘家文蔵さんと後援会が行っている「有料の無観客オンライン落語会」です。映像や音質にこだわった質の高い配信で、有料ながら視聴者が急増。コロナ後をにらんでリアルの演芸場とネット配信のハイブリッドを目指しています。(ITジャーナリスト・三上洋)
初回70人も500人同時視聴まで伸びる有料落語配信
三代目橘家文蔵さんは、ガッシリとした体格とドスの効いた威勢のいい口調でファンをひきつける落語家さんです。
文蔵さんがネット配信を思い立ったのは3月下旬、緊急事態宣言が出される直前のこと。落語会が中止となり、何かできないかと後援会事務局の天野隆さん(つながり寄席代表)に相談したところから始まります。思い切ってネットでの無観客ライブ配信をしましょうとなり、ライブ配信に詳しい会社(後述)に相談し、急遽4月9日に第1回の「文蔵組落語会」がオンラインのみの無観客有料配信で行われました。
初回の配信の視聴者は約70人。有料配信でこれだけお客様が集まったことは成功と言えるでしょうが、回を重ねるごとにファンが増えていきます。宣伝はSNSのみでしたが、口コミでの広がりもあってゴールデンウィークには400人から500人前後が同時視聴する人気配信となりました。
文蔵組落語会は1回あたりの視聴料が2,000円です。演芸場の料金としては妥当ですが、ネット配信ではやや高めと言ってもいいでしょう。ただし入会金3,000円・年会費3,000円の「文蔵組後援会」に入ると一部をのぞき無料で楽しめます。後援会事務局の天野さんによれば「ほとんどの人が入会金3,000円+年会費3,000円の後援会に入っていただいています」とのこと。何度か見る人なら後援会に入ったほうがお得なので、多くの人が後援会に入るようです。
天野さん:
オンライン配信に合わせて結成された後援会は、当初100人程度の加入を見込んでいました。しかし配信がとても好評で、加入した方がお得ということもあって現在では450人を超えています。
これにより後援会・単発合わせて数百人が毎回オンライン落語会を有料で楽しんでいることになります。国立演芸場の定員は300人ですから、それを上回る集客です。
新型コロナウイルス感染症の影響が長期化するにつれ、収入がちゃんとあって持続できるエンターテインメントの形が求められています。文蔵組落語会は無観客ライブ配信の先駆けであるとともに、有料でもきちんと経済が回るしくみを実現しているのです。
なぜ有料なのに多くのファンが視聴しているのでしょうか。その理由は「クオリティの高さ」にありました。
ゲスト・出囃子・太鼓ありでライブにこだわる
落語会を始めるにあたって、文蔵さんは
やるからにはプロなのだから、きちんと御足(おあし=お金)をいただこう、そのためには質を高めよう。
と考えたそうです。
文蔵組オンライン落語会は、実際の落語会とほぼ同じしかけで行われています。人気落語家さんがゲストとして招かれているほか、前座の落語もあります。そして演芸場と同じく出囃子さん(三味線)が場を盛り上げ、太鼓もたたかれます。実際に演芸場で行われている豪華なラインナップを、そのままオンラインで提供しているのです。
もちろんコロナ対策として十分な距離を取り、感染対策もほどこしています。配信スタジオの窓は開けたままで生配信が行われます。救急車の音が入ることもあるそうですが「クルマや救急車などの音が入るのも味の一つ」として、環境音が入ることも雰囲気の一つにしているそうです。
そして「ライブ」にこだわっています。アーカイブ(録画)の保存はあったとしても3日程度で、あくまで生配信が中心です。
文蔵さん:
録画じゃ面白みは半減するんです。録画だとこっちも緊張感がないですから。間違ってもうまく誤魔化すのが落語家の腕でしょう。落語はトチってもライブ、うまくいってもライブですから。
としてライブでの落語を重視しています。
視聴者としてもライブのほうが面白みがありそうです。動画サイトのコメントやTwitterでの応援の声をあげやすいからです。天野さんによると
長くダラダラ録画を提供するより短めのほうがいいと思っています。見逃した人向けに短期間は録画を出しますが、基本は生の落語会を見ていただきたいんです。
として今後も生配信にこだわっていくようです。
機材が揃ったプロ向けスタジオから配信
もう一つの人気の理由は、配信クオリティの高さでしょう。
配信は東京・中野にあるJUNSスタジオから行われています。JUNSはハイエンドPCやネット配信向けのプロ機材を販売しているメーカーでありながら、様々なネット配信を請け負うエキスパートです。古くは2010年代前半のUstreamブームの頃から、大規模ネット配信を手がけてきました。
・JUNS
文蔵組落語会は、そのJUNSの中野スタジオから配信されています。スタジオ内に高座が作られ、めくり(出演者が書かれた札)もあって出囃子や太鼓の席もあります。演芸場がそのままスタジオに再現されているイメージです。
照明も整備されており、遠隔操作のカメラ、マイクが複数設置されています。ほぼテレビ局のスタジオと同じ設備で配信されているのです。スイッチャー・ミキサーの卓には2名のスタッフが入って配信しています。
JUNS代表取締役社長の須藤香さんに話を聞きました。
須藤さん:
漫才コンビ・米粒写経のサンキュータツオさんからの紹介で、文蔵組落語会の配信をさせてもらうことになりました。落語の高座をスタジオに再現してネットで雰囲気を味わってもらうために照明やカメラに細かく気を配っています。
とのこと。JUNSが販売しているリモートカメラを複数投入して、カメラワークにも力を入れているようです。
音声ミキシングはJUNSのオーナー・山中潤さんが行っています。
山中さん:
落語の配信は緊張しますが本当に面白いです。そして有料できちんとお金が回っていることが素晴らしい。10年前のUstreamブームの頃は『ネット配信はマネタイズが難しい』と言われてきましたが、それをクリアして有料でお客様が楽しんでいただけることがいいですね。
と語ってくれました。
多数の落語家がネット配信を試みるきっかけに
落語家にとって無観客の落語はやりづらくないのでしょうか?
文蔵さん:
そりゃ最初は戸惑いましたよ。普段なら笑いがドーンと来たらそこで間を置くわけですが、それがない。でも慣れればなんてことはないんですね。落語に集中すればプロですから無観客でもこなせます。ゲストに来ていただいている噺家さんも最初は戸惑いますが、コツを伝えると皆さん難なく無観客落語をやられています。
とのことで、無観客は支障にはならないようです。
ゲストとして招かれた落語家さんの反応もいいようです。全国の演芸場がクローズしていることもあって、ほとんどの落語家さんは高座に上がれていない状態です。
文蔵さん:
ゲストに来てくれた噺家の多くが『落語をするのは1ヶ月ぶりだ』と喜んでくれます。収入がないことも痛手ですが、それ以上に噺家である以上、落語をやりたくてたまらないんですね。
とのことで、ゲストに招かれた落語家にとってもいい機会になるようです。
この文蔵組落語会に刺激を受けて、自分で動画サイトに落語を投稿する落語家さんも増えています。GW前後からYouTubeに沢山の落語動画がアップされていますが、これは文蔵組落語会の影響とも言っていいでしょう。
コロナ後はリアル(演芸場)とネット配信のハイブリッドを目指す
文蔵組落語会は当初はGWまでの予定でしたが、緊急事態宣言延長で演芸場が休止していることもあって、当面の間はオンライン配信を行っていく予定とのことです。
今後の落語と演芸場はどうなっていくのでしょうか。
文蔵さん:
私たちはこのオンライン落語会でしのいでいますが、このままでは演芸場が潰れてしまいます。早く演芸場で落語ができるようになってほしいものです。
天野さん:
緊急事態宣言が解除されれば、演芸場が復活し、落語会もできるようになるでしょう。しかし元の状態に戻るのは難しいかもしれません。
天野さんは、あと1年か2年はソーシャルディスタンスを考えた興行になると予想しています。そうなると今まで定員100人の演芸場が50人しか入れられなくなるかもしれません。今までより少ない客数で演芸場・落語会を運営しなくてはならないのです。
天野さん:
そうなると現場に足を運んでいるお客様だけでは収益的に成り立たない可能性があります。そこで考えているのが『リアルとネット配信のハイブリッド』です。
ソーシャルディスタンスで客数を減らさざるを得ないリアルの演芸場・落語会、それに加えてネット有料配信を同時に行うことで収益をあげようという考え方です。
天野さん:
そのためには今私達は文蔵組という後援会の会費でストックを作り、1回ごとの視聴料をいただくことでフローを回していこうとしています。それをベースに今後は演芸場などと協力してリアルとネットのハイブリッドで落語を盛り上げていきたいと考えています。
天野さんによれば文蔵組後援会のうち7割から8割は首都圏在住で、寄席に足を運びやすい環境にあります。それに対して2割から3割は地方在住のファンだとのこと。
天野さん:
オンライン落語なら地方の方に寄席を楽しんでもらえる。また子どもさんがいるから外に出れない・体調で外出できないなどの方でも落語を楽しんでもらえます。落語の裾野を広げることになると思います。
コロナ後も演芸場やライブハウス、スポーツ観戦などリアルの客が集まる分野では制限が続くでしょう。それでもビジネスとして回していくためには、リアルだけでなくネット配信も加えていこうとい考え方です。落語に限らず、他のエンターテインメント・プロスポーツにもあてはまる考え方と言っていいでしょう。
文蔵組落語会の取り組みはその先駆けと言えるチャレンジです。落語関係者だけでなく、エンターテインメント・プロスポーツにたずさわるすべての方に参考になるでしょう。
▲参考サイト
・文蔵組落語会今後のスケジュール
・三代目橘家文蔵組(後援会)
・JUNS
・つながり寄席
・つながり寄席(Facebookページ)