代替品の雨ガッパで戦う医療現場 戦時中を思い出す - 毒蝮三太夫
※この記事は2020年04月29日にBLOGOSで公開されたものです
コロナのニュースで気になったのが、病院の物資不足。医療現場は大変なんだとつくづく思う。診療に必要な医療用マスクや防護用ガウンの不足が深刻で、普段なら使い捨てられるのに、マスクは1週間1枚を使い続けるとか、防護服の代わりにゴミ袋を裁断してかぶるとか、マスクやガウンを延ばし延ばし、だましだまし使い出してるって問題。
そこで厚労省が医療機関に通知したのが、今は「例外的」に「代替品」なども使ってしのいでくれってこと。例えば――、
< 厚生労働省公式サイト掲載 医療機関への通知文書より >
◎N95マスク→滅菌器活用等による再利用に努めること。必要な場合は、有効期限に関わらず利用すること
◎医療用ガウン→体を覆うことができ、破棄できるもので代替可(カッパなど)撥水性があることが望ましい
◎ゴーグル
フェイスシールド →目を覆うことができるもので代替可(シュノーケリングマスクなど)
これを受けて大阪の府知事は「雨ガッパを送ってくれ」って市民に呼びかけてたね。役所に郵送された大量の雨ガッパの写真があったけど、あんなの一つ一つ開封して、中身を確かめて、種類や枚数を区分けして、各病院に届けようってことだと大変だよ。この時期に効率のわるい仕事を現場に増やして、知事みずから役所の業務を邪魔してるのかって思ったよ。
あれだってさ、もしも雨ガッパを送るしか方法が無いっていうなら、透明なビニール袋に包んで外から中身が見えるようにしてくださいとか、現場の負担を減らすやり方があるような気がしたな。
まあ、こんな混乱におちいったのも、元を辿れば国の無策が原因なわけだ。安倍さんは記者会見(4/17)で、この医療用の防護用具の不足について、「本当に申し訳ない」って謝罪してたよな。その時に総理が自分自身の「代替品」も発表してくれたら、すぐに取り替えようってことになったりしてな(笑)。
物資不足で代替品 思い出す戦時中の供出
なんだかさ、非常時に必要な物資を調達できず「代替品」に頼る状態を見てると、俺みたいな世代はやっぱり戦争を思い出しちゃう。
とにかく米が無かった。白いメシがまともに食えない。だから「代用食」と言って米を節約して、イモやダイコンやカボチャなんかを混ぜて量を増やした。あと小麦粉があったら団子のように練って「すいとん」にしたりね。ああそうだ、柿の皮を売ってたの食ったな。実じゃないの、むいた皮を干したやつ。腹減ってたから何でも食ったね。
それから物資の不足と言えば鉄とか銅とか金属だな。それこそ武器や弾を作るために、家庭にある鍋や釜は片っ端からお国に供出だ。寺の鐘も無くなったね。外套(コート)についてたシャレた金ボタンも瀬戸物のボタンに代わった。俺たちが遊んでたベーゴマも鉄だから持ってかれたね。その代わりに木製のベーゴマが出てきたんだけど、あれは鉄と鉄がガチガチぶつかるから面白いんであって、木と木だとちっとも迫力が無いんだ(苦笑)。
床屋さんのイスってガッシリした鉄で出来てて、ギコギコすると背もたれが倒れたりするんだけどあれも供出で無くなった。これも代わりに木で出来たイスが使われるようになったんだけど、木でとりあえず作ったのだから背が倒れないの(苦笑)。不便だったから覚えてるよ。
ウイルスの前にワイドショーで冒される「キモチ」
しかし、コロナと戦うのにその最前線にある病院で必要な物資が無くて、代替品になるっていうのはほとほと情けないな。それも含めて今の状況はまさに戦時下なんだと思う。俺は現在84歳、75年も前の戦時下の空気を覚えてるけど、社会全体が重たげで、これからどうなるんだろうって不安な感じ、とても似てるよ。
だけど違うのは、あの頃は敵の姿が目に見えてた。B29による空襲は実際に見える恐怖だった。だから空襲が去って機影が見えなくなると、そこで気を休めることもできたんだ。ところがコロナは見えない。見えないから疑心暗鬼で不安になる。ちょっと人と話したから感染したんじゃないか? さわったドアノブにウイルスがついてたんじゃないか? 実はもう感染してるんじゃないか? なんてさ。
そうした不安が気を滅入らせる。コロナを意識しすぎて自分の「キモチ」が攻撃されちゃう。ウイルスから身を守るのに、マスク、手洗い、外出自粛、大切だと思う。その上でだけど、自分の「キモチ」を守ることも大切だよな。
人と人との距離を保って2メートル離れましょうって言ってるだろ。ソーシャルディスタンスか? それと同じで、「自分」と「コロナ情報」との間に、ちょっと距離を置くようにする。コロナが気になってテレビつけっ放しで、朝、昼、夕方、夜とワイドショーやニュースばかり見てたり、ネットばかり見てたら、ウイルスとは別の病気に毒されちゃうよ。
コロナの情報に触れるのは1日に1回でいいんじゃないの? そうしてマスクは口だけじゃなく、目と耳にもかけてやるんだ。余計な情報をセーブするため「キモチ」にマスクをかけるんだ。
それから手洗いと同じように、「キモチ」もさっぱりと洗ってやろう。「キモチ」が洗われるって言葉があるだろ。それは余計な不安を取り払い、スッキリとした気分になることだ。そうなるには、美しいもの、楽しいもの、癒やされるものに接して、趣味や好きなことに時間を使うことだな。
俺の場合は映画だな。最近は毎晩、名画のDVDを観てるんだ。邦画なら小津安二郎に黒澤明に木下恵介。東宝の「三等重役」とか「社長」シリーズのサラリーマン喜劇。洋画なら「真昼の決闘」に「誰が為に鐘は鳴る」のゲーリー・クーパーとか、「怪傑ゾロ」のタイロン・パワーとか。
これが有難いことに映画通の知りあいが、みつくろって持ってきてくれるんだ。名画はイイよ。音楽だって名曲は何回でも聴けるだろ。それと同じさ。すばらしい名画は何回でも観られる。何回でも笑えて泣けて感動できるんだ。
観る時は3本ぐらい続けて観ちゃう。3本立てなんて昔はそんな映画館がたくさんあったよな。名画座とか二番館・三番館って言ってね。浅草東宝とかさ。それで言うと恵比寿に「エビス本庄」って映画館が昔あったんだけど、そこで若き日の黒柳徹子さんが8本立てを観たってさ、そりゃ観すぎだよ(笑)。
古くさい?気持ち静まる写経の偉大さ
あとね、バンツマさん(阪東妻三郎)主演の「王将」(1948年 松竹 伊藤大輔監督)を観てて、大阪通天閣で名を馳せる棋士・坂田三吉の役なんだけど、勝負どころや大事なところで女房の小春が「妙見はん」って日蓮宗のお寺にお題目を唱えて願をかけるの。それを観てて思い立ったんだけど、俺、「写経」を始めたんだよ。
「ハンニャーハーラーミーター」って般若心経(はんにゃしんぎょう)だな。「色即是空」とか摩訶不思議なんて言葉で使われる「摩訶」だとか、全部で276字をじっくりと書き上げるんだ。そういう写経用のセットが色々あって売ってるんだよ。俺は手紙書く時にいつも筆ペン使ってたから、写経も筆ペンでやれるし丁度いいから始めたんだ。
1枚書きあげるのに40分ぐらいかな。でさ、書きあげたらしげしげと眺めるわけだ。そうすると、ここは良く出来た、ここはしくじった、ってのが自分でわかるよ。納得のいく出来には中々ならない。よく書けたかなってのが6割ぐらい。8割だったら御の字だ。自分で自分をホメちゃう。
1日に2~3枚ずつ書いてるんだけど、コツコツ書いてると気が静まって落ち着いてくる。余計なことを考えなくなるね。精神が集中するんだ。「キモチ」を整えるのにとてもいいよ。般若心経は仏教の教えのひとつだけど、長い歴史を持って伝わってるものって偉大だなってこの歳になって今さら感心してるよ。
写経でも座禅でも瞑想でも、古くから伝統を持って伝わっているものには、その理由があるんだね。だからコロナの影響で気分が落ち着かなくなってる人に勧めたいね。「写経なんて古くさい」ってバカに出来ないよ。やったらわかるよ。
と、偉そうに言ってるけど最初は俺もいい加減だった。筆を使うと書いてる手が墨で汚れやすいだろ。だから汚れるのイヤだなって、紙の左側から字を書いてたの。ズルだね(笑)。書き方を教えてくれる本を読んだら「必ず右から書くこと」ってあった。経典だから文字の並びに大事な意味があるわけで、それを後ろから書いたら何の意味も無いって(笑)。
そうそう、ラジオの仲間でもある大沢悠里ちゃんから電話がかかってきた時に、「最近は写経やってるんだ」って言ったらえらく驚いてたよ。「悠里ちゃんはどうしてる?」って聞いたら、家の中で毎日歩いてるって。腰に万歩計つけて廊下をウロウロ行ったり来たりで3千歩。悠里ちゃんいわく「ロウカ現象だよ」だって。くだらないね(笑)。くだらなくて色即是空だよ、アハハハハ。
(取材構成:松田健次)