タクシードライバーが見たコロナショック 失われた「稼げる仕事」というアイデンティティ - 中村慎太郎
※この記事は2020年04月28日にBLOGOSで公開されたものです
夜が更けて日付が変わろうとする頃、渋谷のスクランブル交差点へとタクシーを走らせた。普段ならば、深夜や早朝でも賑わいが見られる場所なのだが、人影がほとんど見えない。目をこらすと2,3人はいるのだが、タクシーを探してはいないようだ。万一タクシーに乗ろうと思ってくれたとしても、私が運転するタクシーが選ばれる可能性はほとんどないだろう。というのも、周囲には「空車」のタクシーが何十台もいたからだ。渋谷全体でいうと、軽く100台は超えていただろう。
タクシー業界から失われつつある「稼げる仕事」というアイデンティティ
政府が不要不急の外出を控えるよう訴えた2月半ば、外出をする人は減っていたし、深夜まで飲み歩く人も少なくなっていたが、それでも街に人はいた。少ないとはいいつつも業界用語でいう「万収」のお客さんもいた。万収とは1万円以上の料金を支払ってくれるお客様のこと。タクシーはほとんどの場合は歩合制で、会社によっても異なるが50~60%がドライバーの収入になる。
タクシー業界は常に人員不足であるようだ。タクシードライバーは底辺職のように扱われてしまうこともあるのだが、運転技術、地理の知識、接客技術などが高い水準で求められる職業であり、誰にでも出来るものではない。とはいえすべてを完璧にこなすことは難しく、特に新人には不可能である。道を知らなかったり、間違えたりしてしまうとクレームになってしまう。まったく知らない人に後ろからクレームを受けながら運転するというのは簡単なことではなく、ストレスもかかる。そういった事情もあり、離職率が高い仕事でもある。
そんなタクシー業界が人材を募集するためのうたい文句は「稼げる仕事」である。特に東京都心部は稼げる地域として有名で、とある大手タクシー会社では新人のうちから月収45万円も現実的な目標だと掲げていた。前述のようにタクシードライバーの給与は歩合制であるため、月の売上が80~90万円に到達すれば月収も45万円前後となる計算だ。ただ、亀有駅や高島平駅などの山手線の外にある駅に張り付いていては、到底そんな収入にはならない。大切なのは、タクシーの上客がいる場所で戦うことだ。すなわち、港区、中央区、千代田区である。
デイタイムのビジネスパーソンと夜の繁華街での需要が稼げるドライバーの生命線であった。特に深夜割増料金となり終電が終わった後は、「万収」を求めて熾烈なデッドヒートが繰り広げられる。終電をなくしてしまい偶然通りかかったタクシーを拾った経験がある方も多いと思うのだが、実はそれは偶然ではないのだ。
終電をなくしたお客様が現れる場所を熟知し、何度も何度もそこに顔を出しているタクシーなのだ。次にそういったタクシーを捕まえた時は運転手に作戦を問いただしてみると、喜んで教えてくれるだろう。そして、タクシーを捕まえたのではなく、タクシーに捕まえられたことがわかるはずだ。
さておき、タクシードライバーは、都心に繰り出していく勇気と体力があれば稼げる仕事なのである。まるでこちらをロボットか何かと思っているかのように冷淡に扱うお客様もいるが、タクシードライバーには稼げる仕事としてのアイデンティティがあった。
しかし、そのアイデンティティは新型コロナウイルスによって打ち砕かれた。
沈黙する街と彷徨うタクシードライバー
私は、元々ライター業をしていたこともあり、今回タクシー業界についての記事執筆のご依頼を頂いたのだが、タクシードライバーとしてのキャリアは駆け出しである。だから精神的ショックも小さく済んでいるところはあるのだろうと思う。私が乗務を始めたのはちょうど不要不急の外出が訴えられ始めた頃であった。
先輩達に伺うと、新型コロナの影響でお客さんが減ってしまったと教えてくれた。いつも3本は手があがるポイントにいっても1本しかあがらないことがあるという。3月上旬は、まだ先輩達の顔も明るく、気さくに色んなことを教えてくれた。私も地理を覚えながらお客様を乗せ続け、「万収」も何度か体験した。1日の売上が5万円を超えたこともあった。3月は決算月になっている会社も多いため、タクシー会社にとってはかき入れ時なのだそうだ。
ご乗車頂いたビジネスパーソンの中には「忙しくてコロナどころじゃない」という方もいた。例年の3月に比べれば酷い売上になっていたようだが、それでもまだお客様はいた。しかし、3月24日に東京オリンピックの延期が発表され、3月29日にお笑い芸人の志村けんさんがご逝去されると、街は重く沈黙していった。
タクシードライバーの所感は、景況感をはかる指標に使われることもあるらしい。乗務をしていると、その意味がよくわかった。街が少しずつ活力を失っていくのだ。新宿歌舞伎町から真っ先に消えたのは「ナンパ師」と呼ばれる人達だと、ホストのお客様が教えてくれた。思えばナンパという行為は不要不急の代表的な行為である。次に仕事帰りに飲み歩くサラリーマンが消えていった。そして、水商売のお店も少しずつ休業し始めた。
眠らない街・歌舞伎町が眠るようになった。そして就寝時間が日に日に早まっていった。飲食店へと出入りする人が消え、お客様は飲食店の従業員ばかりになった。彼ら、彼女らはタクシーに乗ると、あまりにもお客さんがいないことを口々に嘆いていた。売上は下がり続け、2万円を切るようになった。仮にこの売上で歩合計算をしたとしたら、月収は15万円から社会保険料などを引かれたものとなるため、手取りは10万円を切るかもしれない。歩合とはいえ会社員なので最低時給分くらいは流石に保証されると思うのだが、となるとアルバイトと変わらない収入ということになる。
4月に入るとさらに人がいなくなった。テレワークが浸透したことと、やはり志村けんさんの影響はとても大きかったようだ。そして、4月7日に安倍晋三首相による緊急事態宣言が出されると文字通り誰もいなくなった。小池百合子都知事が飲食店の休業を求め、20時以降の営業も停止するように要請したこともあって、20時以降の東京でタクシーに乗るお客様はいなくなった。もちろん探せば多少はいたのだろうが、1人のお客様に対して空っぽのタクシーが100台いたといわれても驚かない。人影を探すことにすら苦労するほどであったからだ。あまりにも人がいないので色々な街を彷徨った。
渋谷には誰もおらず、ようやく見つけたと思ったらゴーストタウンを走り抜けるスケボー乗りであった。万に一つではあるがお客様になるかもしれない。そう思って徐行してみると、スケボー乗りはこちらを見て中指を立てた。渋谷は駄目だ。
六本木も駄目だ。普段は深夜でも人が歩いているのだが、誰もいない。代わりに空車のタクシーがびっしりと止まっている。銀座に関してはもっと酷い。タクシーすらいないのだ。誰もいない中央通りであったが、街灯はキラキラと輝いていた。歌舞伎町の区役所通りも空車のタクシーがぎっしりと埋めていた。著者が通い詰めている新宿ゴールデン街も全店閉店で誰もいない。もうどうにもでもなれと浅草に行ってみたら、お酒の缶を片手に1人で徘徊している方を4,5人見かけた。ただ、タクシーには乗ってくれそうにない。
朝になると通勤の需要が若干あるため少しはお客様を見つけられるのだが、20時以降は完全なる沈黙であった。もっとも、そんな中でもしっかり売上をあげてくるベテランドライバーも、極めて少数ではあるが存在しているらしい。彼らが何をしているのかについては、誰に聞いてもよくわからない。その人にしか知らない方法があるのだろう。
リスクとともにあるタクシードライバーの存在意義
ところが、4月の半ばから状況が急に良くなった。お客様が見つけられるようになってきたのだ。夜は相変わらず沈黙しているのだが、昼のお客様が増えた。いや、正確にいうと、タクシーが減ったのだ。タクシーの台数を半分にする会社もあれば、全休させるところもあった。ロイヤルリムジン社が乗務員600人を全員解雇したこともニュースになった。
夜の需要は相変わらずなので、大きく売上はあげらないのだが、会社に張り出される数字を見ると若干回復していることがわかる。休業補償などが出ることになってほっとしたのか、先輩ドライバーの顔も少し明るくなったようだ。
ただし、ハッピーエンドはまだ期待できない。5月に入れば休業していたタクシーも戻って来る。すると、再び供給過剰状態が訪れるだろう。新型コロナウイルスの感染は指数関数的な増加こそ抑えられているが、気が緩んだ時にクラスターが発生するかもしれないし、ウイルスが強毒化し第2波が来るかもしれない。
タクシードライバーは医療従事者ほどではないが、新型コロナウイルスの感染者と接するリスクのある仕事である。どれだけ気をつけても感染が防げない時が来るかもしれない。タクシードライバーから、稼げるというアイデンティティが失われ、命の危険という新要素が加わった。そのため、転職する人も出てきているようだ。
コロナショックは、リーマンショックと東日本大震災が同時に来たようだといっている先輩乗務員がいた。これらの時も酷かったそうだが、それでも今よりははるかに良かったという。データを見ると、この2つのショックからタクシーの売上が回復するまで、半年から1年近くかかったのだそうだ。
それではコロナショックから立ち直るのはいつになるのだろうか。それは誰にもわからない。まだコロナショックは終わってすらいないのだから。
そんな中で、我々タクシー乗務員はどうやって仕事と向き合っていくべきなのだろうか。
先日、目の不自由なお客様と介助の方にご乗車頂いた。そしてお客様から感謝の言葉を頂いた。売上で考えると小さな仕事である。ただ、社会のインフラとしてとても大きな仕事をしたと思う。不要不急の外出は自粛を求められるが、のっぴきならない用事がある人もいるのである。
タクシーで稼げる世界に戻るには、過去の例からすると最低でも1年はかかるのだろう。あるいは5年かかるかもしれないし、元の世界には戻らないかもしれない。しかし、この街には、タクシーを必要としていて、感謝してくれるお客様がいる。「稼げる仕事」としてのアイデンティティが当面の間取り戻せない以上、社会奉仕の精神を強く持ち、困っている誰かのために車を走らせるという意識が強く求められる。