命がけのグルメ番組『ハイパーハードボイルドグルメリポート』 テレ東・上出遼平Pが明かす葛藤と裏側 - 清水駿貴
※この記事は2020年04月27日にBLOGOSで公開されたものです
リベリア共和国の人喰い元少年兵、台湾マフィア、ロシアのカルト教団…
“ヤバい世界のヤバい飯”を追い、深夜番組ながらカルト的人気を誇るテレビ東京の異色のグルメ番組『ハイパーハードボイルドグルメリポート』。企画、取材、編集すべてを手がけた同局の上出遼平プロデューサー・ディレクターは3月19日、書籍版『ハイパーハードボイルドグルメリポート』(以下『ハイパー』)を上梓した。
新型コロナウイルスの影響で在宅勤務となっているなか、ロケでの葛藤や書籍に込めた想いなどをテレビ通話でインタビューした。
※今回インタビューした上出さんの著書『ハイパーハードボイルドグルメリポート』を抽選でプレゼント。詳細は記事末尾に記載しています。
ヤバい飯を通して、ヤバい世界のリアルを見る番組『ハイパーハードボイルドグルメリポート』とは
2017年10月に始まったテレビ東京の深夜番組。西アフリカのリベリア共和国で売春を生業に暮らす元少女兵の女性や台湾マフィアの組長、ロシアのカルト教団信者など、現地の人でさえ足を踏み入れない場所に上出さんらディレクターが単身取材に赴き、そこで暮らす人々の「食」をリポートするグルメドキュメンタリーだ。
各放送回のタイトルを見るだけで、その刺激の強さが身に沁みる。
①リベリア共和国 元人食い少年兵の晩御飯/②台湾 マフィアの贅沢中華/③アメリカ 極悪ギャング飯
18年4月9日、16日放送
①ロシア 極北カルト飯/②セルビア “足止め難民の飯”
18年7月16日放送
①ネパール “火葬一家の飯”/②アメリカ 「出所飯」
19年7月15日放送
①ケニア ゴミ山暮らしの若者飯/②ボリビア 人食い山の炭鉱飯/③ブルガリア 密漁キャビア飯
19年10月14日
①ギリシャ 難民監獄島飯/②香港 激動飯
20年4月1日
フィリピン「炭焼き村飯」
スタッフが命がけで撮影してきたVTRをスタジオで観るのは芸人の小籔千豊。
書籍版では、番組には収録できなかったエピソードや収録の裏側、取材に当たっての葛藤などが上出さんの目線で綴られている。
書籍は一時在庫切れに 「少数に深く届いている」
ーー深夜番組として始まった『ハイパー』ですが、著名人のなかでもファンを公言する人が多く、3月に発売された書籍はamazonで発売後、1時間で在庫切れになる状態(※)です。(※取材した4月13日当時)
いわゆるゴールデン番組と比べたら番組の認知度はとても低いはずなんですが、1980円(税込)する書籍を買ってくれる人がこれだけ多くいるということで、少数に深く届いていたんだと安心しています。
在庫切れに関してはどうしたもんかと。もう何度も重版(4刷)しているのですが、(新型コロナウイルスの影響で)流通がうまくいっていない。もっと刷っておけばよかった。欲しいと言ってくれている人がいるのに、手に取ってもらえないという状況になってしまっているので歯がゆいです。でも、書店のオンラインショップに少し在庫があったりするので、探してみて欲しいです。
ーー書籍のまえがきでは「テレビ東京に入社して6年が経っていたこのとき、僕の書く企画書が日の目を見たことはまだなかった」と書かれています。そんな上出さんの異例の海外企画が実現したのは、編成部(番組ラインナップを決める部署)のジャッジなしで、制作部(上出さんらが所属する番組制作部署)の企画を通すことができる極めて特殊な枠が用意されたからだとも解説されています
僕の企画書はいつも内容が過度に不確定で、編成部の人からしたら「こんなの無理だろ」と思われるものばかりでした。しかし、17年に僕が所属する制作部のジャッジで企画が実現できる特別枠がひとつだけ用意されました。つまり、普段から僕がどういうものを撮ってくるかを知っている直属の先輩たちが企画書をジャッジしてくれた。だから「こいつなら本当に面白いものが撮れるんじゃないか」とベットしてくれた。本当に奇跡ですね。その枠は10年に1回ポコンと生まれる枠らしいです。
ーー企画書の段階ではどこまで決まっていたのでしょうか
「世界のヤバい場所でヤバい人たちとヤバい飯を一緒に食う」ということだけです。「世界の飯って面白いですよ」というバラエティの要素と「異世界の人と一緒に飯を食ったらいろんな話ができる」というジャーナリスティックな二つのベクトルがあって面白くないですかと。
頭をひねっても何も撮れない 大事なのはとにかく移動
ーー制作に当たって事前に言われたことはありますか
まさに企画を選んでくれた先輩である、『家、ついて行ってイイですか?』を作った高橋弘樹Pから助言をもらいました。
「“悪人”と呼ばれる人間に焦点を当てようとするなら、それは少なからず彼らを肯定することにもなる」と。そして、「悪人とされている以上は、その裏に被害者がいるかもしれないということを忘れるなよ」と強く言われました。
ものすごく難しいバランスのうえで成り立つ番組なので、非常にありがたい助言でした。
ーー『ハイパー』のロケはほぼカメラを回しっぱなしと書籍でも触れられていますが、どれくらいの量になるのでしょうか
ロケ1回の映像素材は100時間くらいあります(一人で4台のカメラを回しているのでその分素材も多い)。現地に滞在するのは平均5日ほどですね。1週間行けたらかなりいいほうです。書籍の購入特典として番組未公開の完全オリジナル映像「“楽園”モルディブ・ゴミ島飯」が限定配信されていますが、それは1日しかロケしていない。そういうめちゃくちゃなパターンもあって、とにかく臨機応変であることが求められます。(※電子書籍版に特典はつきません)
台本もありません。頭をひねっていても何も撮れないので、とにかく移動するということがすごく大事。日本でリサーチしている時間と金があったら1日でも早く現地に行ったほうがいいという感覚です。
「絶対に人を信頼してはいけない」が唯一のルール
ーー現地での判断も非常に難しいのではないでしょうか。ロケを担当されたのは別のディレクターの方でしたが、セルビアの不法難民を取り上げた回では夜、自身のテントを探しに消えた取材対象者を待つ間、暗闇のなかでスタッフ同士が「危険だから引き上げるか否か」を議論する場面がありました
引く引かないの瀬戸際はたくさんあります。セルビアのケースのように、犯罪が横行する法律が通用していない世界で、頼っていた人間が突然消えた暗闇で待たされるというのはものすごい恐怖を伴います。けれどもう1分待ったら撮りたかった瞬間が撮れるかもしれない。一方でその1分後に襲われて命取りになるかもしれない。難しいけれど、例えば「暗闇で5分以上待つことはダメ」みたいなフォーマット化はできません。「同じ状況」というのは存在しませんので。
『ハイパー』のディレクターは4人。僕と先輩、そして昔ADとして僕を手伝ってくれていた後輩2人がそれぞれ一人で各国に飛び立ち取材します。全員で共有しているのは、絶対に人を全面的に信頼してはいけないということだけです。それは、どんなに相手が善人であっても、その人が窮地に立たされていたら倫理的な判断ができるとも限らないからです。その人を信じ切ってこちらが無防備な振る舞いをするというのはお互いにとって不幸な結果しか招きません。
ーー求められる能力も他の番組ロケとは違うのでしょうか
この番組の良し悪しは、飛び込んだ先でどういう風に人とコミュニケーションをとって、心を通わせられるかという点にかかっています。どれだけ映像が汚くても、撮り方が間違っていても関係ない。
だから、例えば業界に30年いて、敏腕と言われるけれどもちょっと居丈高なところがあるディレクターがこのロケをやったとしても、よいものは絶対に撮れない。ディレクターの人間性に依存しているという点でも、この番組は特異性があるかもしれません。
200円で売春し150円の飯を食べる女性に「いま、幸せ?」 質問に葛藤はあるか
ーーMCに小籔千豊さんをキャスティングされたのは上出さんの判断ですかそうです。まず、「優しい」ということが必要でした。そして責任を持って発言してくれること。この番組はともすれば「かわいそうだな」という感想で終わりかねません。SNSでは「自分は日本に生まれてよかったと思った」という投稿をよく見ます。もちろんその感想はほとんどの人がまず感じることです。でも僕はむしろ「僕たち自身は大丈夫ですか?」というところのほうが伝えたいところだったりもする。小籔さんはそこまで意識を回して発言してくれます。
放送では小籔さんのコメントは毎回5分くらいしか使っていないんですが、実はスタジオでVTRを見終わったあと、めちゃくちゃ話しています。別に僕と対話するわけでもなく、ほとんど独白に近い状態で1時間ほど。
ーー「かわいそうだな」で終わらせないというのは『ハイパー』を観る/読むうえで非常に大事なことではないかと思います。一方で作る側としても「何を撮るか/聞くか」というのは非常に難しいのではないかと思いながら観ていました。例えば第1回のリベリアで、元少女兵の娼婦が食事をとるシーン。上出さんは「いま、幸せですか?」と核心をつく質問をしていますが、ああいう場面で葛藤を抱えることはありますか
すごくありますね。どれだけ仲がよくても普通、「いま、幸せ?」なんて聞かない。
リベリアでは30分200円で男性に体を売った彼女がその金のうち150円を払って食事をとっているところで聞きました。それを観た一部の人から言われるのが「あんな状況の子に幸せかどうか聞くなよ」という意見です。その言葉は「こんな人が幸せなわけがない」という前提から発せられています。
他には「一口もらってんじゃねえよ」と。本当に貧しい状況で、ギリギリの飯を僕が一口もらうなんてことは許されざる行為だというのはすごくわかるんですよ。(※リベリアの回では、女性から「一緒に食べない?」「食べてみない?」と聞かれた上出さんが食事を分けてもらうシーンが放送された)
でも、本にも書きましたが、他人に何かを与えるというのは人間に許されたひとつの権利です。人に何かを与えたい、という欲求が人間には備わっていますし、それが人間を人間たらしめているとも言えます。その差し出された一口を断るということこそが暴力的、差別的な行為ではないでしょうか。それと同様に「あなたは幸せですか?」と聞かない、聞いてはいけないと考えることが差別の始まりのような気がしています。
経済的に豊かで、綺麗な服を着ることができてということだけに「幸せ」の基準を置いているからこそ、「彼女は不幸」で「幸せかなんて聞いてはダメ」と思ってしまう。だからこそ、あえて聞いています。「いま、あなたの心のなかに変なモヤモヤがありませんでしたか?」という視聴者に対する問いかけにもなっているんです。
もちろんVTRの最後の最後で僕が聞いているところからわかるように、出会っていきなり聞くわけではなくて、時間を共に過ごして、いろんな想いを知ったうえで聞いている。唐突といえば唐突なんですが、失礼には当たらないように、いろいろ考えを巡らせています。
写真いっぱいのビジュアル本にもノウハウ本にもしたくなかった
ーー書籍は528ページと分厚く、中身もかなり濃いものとなっています。いつから書籍化を考え始めていたのでしょうか
もともと僕のなかでぼんやりとありました。いろんな国を回っている間、テレビで表現できないことがたくさんあると思っていたので。
1回目の放送の直後に朝日新聞出版の編集の方が声をかけてくださりました。当初、出版社としては写真をふんだんに使った、いわゆる番組本やビジュアル本に仕事術を伝えるノウハウ本の要素を加えたものを想定していたようです。でも僕は番組のことを全く知らない人でも楽しんでもらえるような、純粋な紀行文を書きたかった。というか、番組の補完だったらわざわざ本にするまでもないし、番組より面白くないものだったら出す意味がないとさえ思っていました。最初のゲラをお渡ししたときに編集の方はかなり驚いていました(笑)。
ーー本のなかでは現地で見聞きしたことや、上出さんが感じたことなどが細かく描かれています。本を書くためにロケ中、記録などを取っていたのでしょうか
ロケ中は、映像のことしか考えていないので、基本は映像だけです。夜に日記みたいなものをつけるんですが、「こういうものを撮れた」など映像に関することだけ。だから執筆に当たって、人物のビジュアルを描写するために映像を掘り返す作業などは必要でした。そういう意味では大変な作業ではありました。
読者の五感を刺激するために僕という主人公の存在が書籍では必要でした
ーー番組制作と書籍執筆で、切り取り方を変えた点などはありますか番組では主人公が僕ではないことを大きく意識して、自分の存在は大部分消し去っています。しかし、書籍では僕がどういうところで葛藤したのか、現場で何を感じたのかというところを伝えたかった。
そして、書籍で読者と一緒に旅をしたいというのが今回の最大の目的でした。『ハイパー』のロケは僕にとって最高の旅で、時間を遡ってどうしてもそこに誰かを連れて行きたかった。
テレビは視覚聴覚の情報量がものすごく多く、どうしても受動的に共有するコンテンツになります。今回は自分の脳みそを回転させて、もっと能動的に旅に参加してもらいたかった。視覚や聴覚だけではなく、においや湿度といった自分の肉体を取り巻く空気みたいなことを含めて、読んでいる人の五感を刺激しようと。それを含めて僕という主人公の存在が書籍では必要でした。
ーー書籍に対する読者の反応はいかがでしょうか
どんな感想でも嬉しいのですが、小学校の同級生の女性が「本を買ったよ」と久しぶりにLINEをくれたんです。その人は「漫画とファッション誌以外で本を買ったのは初めてで、この分厚さだから読めないだろうと思ったけど、子育てもそっちのけで丸3日読み続けた」と言ってくれて。旅好きでもない、僕とは趣味嗜好も全然違う人が読みきってくれたというのはものすごく嬉しかったですね。子育てはして欲しいんですけど。
それこそ僕が『ハイパー』の番組でやろうとしたことに近いのかもしれない。いわゆる「ドキュメンタリー番組」は意識の高い人やもともと関心があった人にしか届かないという性質が強いけれど、『ハイパー』はグルメ番組という側面を持たせることであまねく広がって、いろんな人が興味を持ってくれるんじゃないかと思っていたので。
それと同じようなことが、この本でもできたんじゃないかと思っています。
上出ディレクターが「いま」思うこと
インタビューを終えたあと、上出ディレクターから「いま思うこと」についてメールが入った。いただいた文章を読者へのメッセージとして、編集なしの全文を公開する。「いま」思うこと
僕は世界中で「罪人」と言われる人たちと飯を食ってきました。それは、彼らの生きる世界と僕らの生きる世界とが地続きであること、彼らの存在と僕らの存在との間には何ひとつ明確な境界線などないということを確認したかったからです。
想像力をフルに稼働して、時間的・空間的に自分を拡張して、善と悪との間、白と黒との間、光と闇との間に目を向けたかったからです。
そして僕のその振る舞いは「寛容になろう」というメッセージを多分に含みました。誰かを断罪し、排斥するのはもうやめにしよう。否定ばかりじゃ僕たちはもたないから、肯定することもしてみよう。そういうメッセージを含みました。
だけど、この世界には「寛容のパラドックス」が存在します。
倫理的でない存在にさえ寛容でなければならないとなれば、その倫理的でない存在が世界を駆逐してしまうかもしれない。不幸なことに、倫理に悖る者たちの声はひときわ大きい。つまり、寛容であろうと宣言する者はいずれ寛容ならざる者たちによって滅ぼされてしまう。それがこの世界のパラドックスです。たぶん。
寛容でありたいと願う者は、その寛容な世界を守るために、不寛容にならなければならないときがある。
「こんなときだからこそ、穏やかに暮らせるように努めよう」。僕も全くもって同意したい。
けれど、そうして目を瞑って手にした穏やかな日々のうちに、僕らの穏やかな未来は葬られてしまうかもしれない。
声を上げることが必要なのは、もしかしたらいまなのかもしれない。
「寛容」であることと「諦観」とは切っても切れない関係にあると僕は思っています。「諦観」とは「諦め」て「観る」ことです。
辞書を引けば「本質を見る」「悟って見る」などとありますが、それこそ「諦めの眼差しで見る」ことに他なりません。(そもそも仏教の世界では「諦める」を「明らめる」と書きますね)
実現可能性を超えた期待をせず、現実との折り合いをつけること。それが寛容の礎だと思っています。
そして、事態を真摯に見つめてなお折り合いがつかないとなれば、いよいよ寛容であることを要請するのはナンセンスです。
そのときには、断腸の思いで性善説を放り捨てなければならない。
いまは、そんなことを考えています。
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