※この記事は2020年04月15日にBLOGOSで公開されたものです

多くの熱狂を生むスポーツ・サッカーの舞台裏を取材する森雅史さんの連載『インサイド・フットボール』。今回は世界のサッカー界をリードする立場にある国際サッカー連盟(FIFA)元理事の小倉純二氏にインタビュー。内部を知る小倉氏が「国際政治そのもの」という加盟国間の駆け引きや汚職が起きた背景など、存分に語っています。

ワールドカップなど、サッカーの国際大会を主催することで知られる国際サッカー連盟(FIFA)。国連を上回る加盟団体数を持つ同団体で、かつて日本はなかなか中枢に入っていくことができなかった。2002年日韓ワールドカップ後、日本サッカー協会(JFA)から理事に当選することが出来た小倉純二氏は、その内実を知る数少ない日本人の1人だ。2015年、汚職でスキャンダルにまみれた原因や、日本とゆかりのあるスーパースターがなぜ告発されたのかなど、スポーツ界の国際政治の裏側を語ってもらった。

世界最大の国際競技団体 国際サッカー連盟(FIFA)とは

-- 世界のサッカー協会を束ねる国際サッカー連盟(FIFA)は、どのような組織なのですか

現在、FIFAには211の国と地域のサッカー協会が加盟しています。私が理事を務めていた時代(2002年から2011年)は、24名で構成されていた理事会(現在のFIFAカウンシル)にすごく権限がありました。

-- 理事会はどのような議題を処理していたのですか

理事会ではワールドカップの開催国の決定や新しい大会などを開催するかどうかなどを決めていました。少なくとも2日間は朝から夕方までフルで議論するんです。事務局が出してきた案を承認するだけとか、そういうのではなかったですね。

いろいろな委員会もあって、委員長と副委員長は必ず、FIFA主催の大会に行って、運営の指揮を執らなければなりませんでした。ワールドカップのような大きな大会では、理事がそれぞれ会場の担当になって実際に働いていました。それで私もいろいろな国に行きましたね。

-- 実際には、どんな国に行きましたか

ナイジェリアに2回、1999年ワールドユース(現FIFA U-20ワールドカップ)の時と2007年U-17ワールドカップで行ったのですが、2007年は内閣の政権争いに民族間対立もあって政情不安でした。だからどこに行くにも銃を持った人が付いてきて守ってくれました。

そんな経験をしていたので、治安が不安だと言われていた2010年南アフリカワールドカップのときは、そんなに怖いと思いませんでしたよ。ヨハネスブルクでは外出できないし食事もすべてホテル内で済ませなければなりませんでしたが、私が担当したポート・エリザベスという街では外出して食事もできましたからね。もっともホテルからスタジアムまでは拳銃を持ったガード2人に必ず付いてもらっていました。

-- 大会の主催以外にFIFAが果たした役割は何ですか

FIFAは世界のサッカーに貢献しようとしていました。たとえば2002年日韓ワールドカップが終わった後に、FIFAは収益金の中から各国のサッカー協会に40万ドルずつ配ったんです。

東南アジアの国々はサッカーのための土地があってもクラブハウスやピッチがなかった。それを40万ドルで整備して立派な施設を次々に造ったんです。インフラが整ったから、彼らは強くなってきました。

今、日本が東南アジアの国と戦っても簡単には勝てなくなった。アジアのレベルが上がってきているのは事実です。そうやってFIFAはサッカーのためになることをやろうとしてきました。ですが、悪い人たちがいて、それが目立つようになったときがありました。

大金が動くサッカービジネス FIFAにもあったスキャンダルの過去

-- FIFAは2015年に理事などが収賄やマネーロンダリングの疑いで告発されたり逮捕されました。そもそもスキャンダルはなぜ起きたのでしょうか

昔は理事会のメンバーが世界のサッカーを動かしているという感じがありました。だから逆に買収というスキャンダルも生まれたんです。2015年ぐらいから次々に理事の汚職が明らかになりました。ワールドカップやコパ・アメリカ(南米選手権)がお金になると思っている人たちがいるわけですよ。

-- 買収が起きてもおかしくない状況だったのですね

買収はエージェントが行います。エージェントはワールドカップやコパ・アメリカなどがどこで開催されると儲かるか考えて、声をかけていくんです。ワールドカップの出場国枠が欲しいと思っているような国なんかは、エージェントにとって騙しやすかったと思います。

また、出場しない国でもスキャンダルが起きました。2018年ロシアワールドカップでは総入場者数が約300万人と言われています。それに対してテレビなどで見る人は約36億7200万人だったとFIFAは発表しています。そこにすごい金額が動くんですよ。

-- どういう理由で理事が捕まったのでしょうか

北中米や南米の理事が捕まったのはテレビの放映権絡みでした。日本はチャンネルがたくさんありますが、国によっては2つしか放送局がないところがあるんです。もしどちらかの局が放送権を取ったら、完全にその国を独占できます。そこに便宜を図って金銭をもらって捕まっていました。

捕まった人たちはアメリカに口座を持っていましたね。自分の国は通貨危機や暴落の恐れがあって、ドルのほうが安全と思っているんです。だから賄賂をアメリカの口座に振り込んでもらうんですけど、アメリカの口座はマネーロンダリングを厳しく見張っているから見つかったんです。

-- アジアも買収劇の舞台になった?

アジアでは、アジアサッカー連盟のモハメド・ビン・ハマム・アル・アブドゥラ会長を除いて捕まっていません。エージェントは私になんて接触しないんですよ。日本サッカー協会(JFA)はいろんなテレビ局に配慮してやっているって知っているから。それにアジアってあんまりお金にならないと思っていますし。

ハマム会長が捕まったのは、北中米に100万ドルを持ち込み、20カ国に5万ドルずつ配り、票を集めようとしていたからなんです。後で「どうしてそんなバカなことをやったんだ」と聞いたんですけど、「お金を欲しがっている人たちに渡して何が悪いんだ」という感じでした。相手のホテル代や飛行機代を払ってやったんだと言うんです。でもとても5万ドルなんて経費がかからないわけですからね。それでハマム氏はサッカー界から永久追放になってしまいました。

日本にゆかりのあったフランスの「将軍」も拘束

-- 有名サッカー選手だったミシェル・プラティニ理事も捕まっていました

プラティニが捕まったのは、私もショックでした。プラティニは1998年フランスワールドカップの組織委員長で、大会後にはアドバイザーみたいな立場でFIFAに関わっていたんです。

2002年日韓ワールドカップを控えていた私たちも、プラティニからワールドカップの運営方法を教えてもらっていました。それにプラティニは2005年からの世界クラブ選手権(現クラブワールドカップ)がスタートするとき、理事会で「やはり日本で開催するべきだ」と発言してくれて、それで最初の5年間は日本で開催できたんですよ。

-- 彼にはどんな問題があったのでしょうか

私たちは、プラティニは当然FIFAから報酬をもらっていると思っていたんです。ところがどうやら無給だったようです。それでプラティニは、10年後にそのときの報酬をもらったんだと言ってました。200万ドルだったかな。

でもその金銭の受領時期がFIFA会長選挙と重なっていたんです。それでプラティニは賄賂を受け取って立候補を止めたと思われてしまいました。そこで資格停止になったのですが、ただ永久追放ではなくて、来年にはサッカー界に復帰してくると思います。

「理事会は国際政治そのもの」FIFA内部では各国の思惑がうずまく

-- 211ヶ国も加盟団体があると意見の調整が難しいのではないかと思いますが

FIFAの理事会は国際政治そのものでした。各大陸連盟の中もいろいろ複雑だというのもわかりました。

たとえば、現在はアジアサッカー連盟(AFC)に加入したオーストラリアですが、当時はまだオセアニアサッカー連盟(OFC)のメンバーでした。OFC加盟国の中でオーストラリアは一番の大国ですが、OFCの選挙でFIFAの理事には選ばれないんです。というのは、OFCの他の小さな国の人たちは大国が選ばれると自分たちのことを考えてもらえないと思うんですよ。それでニュージーランドに投票するんです。

-- OFCはFIFAの中でどんな立場だったのですか

当時、OFCの会長は何かの大会があるごとに文句を言っていましたね。ワールドカップ以外の大会はOFCの出場枠が「1」枠あるのですが、ワールドカップになると「0.5」枠になって、OFCで勝っても他の大陸のチームとプレーオフをしなければならない。オーストラリアはそれを嫌ってAFCに加盟し、ワールドカップに出場しているんです。

だからOFCの理事はワールドカップが終わるたびに必ず提案するんです。「成績が悪かったアジアの枠を減らせ」とか「アフリカの枠を減らしてOFCの枠を増やすべきだ」って。それを毎回みんなが否決するんですけど、そうするとOFCの代表は会議の途中で怒って帰っちゃっていました。

-- 様々な国の思惑が見える気がします。オセアニア以外で見えた構図はありますか

イギリスは、イングランド、スコットランド、北アイルランド、ウェールズと4つのサッカー協会に分かれていて、それぞれ別団体としてFIFAに加盟しているのですが、それを1つにしろという意見も出ていました。

そういう意見を出すのは、昔、大英帝国の植民地だった国で、そこにアフリカの国を巻き込んでいたりするんです。そうするとヨーロッパの国々が団結して、そういう提案を出されないように守っていました。

-- その理事会のメンバーに、アジアの中では先にプロ化していた韓国が選ばれ、日本はなかなか選出してもらえませんでした

日本はこの理事に選ばれるのにとても苦労した歴史があります。まず1994年、村田忠男さんが東南アジアから推薦されて立候補して、韓国の鄭夢準(チョンモンジュ)さんと争ったんですけど、2票しか入らなかったんです。そのうちの1票はもちろん自分たちなので、あと1カ国しか日本に投票しなかった。推薦されていたのだから、少なくとも東南アジアからは何票か入らなければいけないはずなのに。それにみんなショックを受けました。選挙は怖いなって。そのあと1997年に川淵三郎さん、1998年に私が立候補したのですが、当選できませんでした。

-- その後小倉さんは理事になったわけですが、日本がFIFAの理事に選ばれたのには何か理由があったのでしょうか

2002年、日本として4度目の挑戦で私がやっと選ばれたんです。2002年日韓ワールドカップが終わると、私はそのままアジアを回って選挙活動をしました。そのとき、「ワールドカップをよくやってくれた」という評価をもらっていたのがわかったんです。

マレーシア、シンガポール、香港など英語圏の人たちはヨーロッパの新聞で「アジアでワールドカップなんか開催できるものか」と盛んに書かれていたのを知っていました。そんな低い評価だったのに「日本はよくやってくれた」と思ってもらえたんです。当選できたのはそれが理由だと思いますよ。そうじゃなかったら、私の対立候補だったUAEの人に負けていたでしょうね。

日韓ワールドカップ 招致決定のカギを握っていたのはヨーロッパだった?

-- 国際情勢が日本に関係した例はあるのでしょうか?

国際関係で日本に大きな影響があった出来事と言えば、やはり2002年ワールドカップが共催になったことでしょうね。日本、韓国もともに単独開催を目指して招致活動をやっていましたから。

-- 日本はどんな点に苦労したのでしょうか?

私たちが一番困ったのは、ヨーロッパの国の動きがどうなるかわからなかったことでした。あのとき、日本はジョアン・アヴェランジェ会長(当時・故人)を頼りにしていました。ですがヨーロッパサッカー連盟(UEFA)の人たちは、長期政権を続けるブラジル出身の会長を嫌っていて、次のFIFA会長選挙で勝たせたくないと考えているようでした。

ただ、そのころはたくさんの日本の企業がヨーロッパのクラブや大会でスポンサーについていたんですよ。それでもし日本がワールドカップを開催できなかったらスポンサーもみんな降りちゃうんじゃないかと思っていたようなんです。

日本が開催できないと困る。でも、日本が勝つとアベランジェ会長の再選を後押しすることになる。だからヨーロッパにとってみると共同開催が一番よかったんですよ。そして招致合戦には日本も韓国も勝てなかった。結論はそういうことなんです。

-- 日本も贈賄などで疑われることはありましたか

2002年日韓ワールドカップのときは日韓で賄賂合戦やっているんじゃないかと噂されたりしましたね。でも日本は、政府保証をしっかり取らないといけませんから贈賄なんかできません。法律を変えてまでやる国もありますが、JFAという1団体が招致に立候補しているという扱いでした。その中ではよく戦ったと思います。

今後、日本のワールドカップ単独開催はある?

-- スキャンダル後、FIFAは変わったのでしょうか

2015年のスキャンダル発覚の後、ジャンニ・インファンティーノ会長が就任して、FIFAはいい方向に変わったと思います。今はワールドカップの開催国を決めるのが総会の議題になり、カウンシルメンバーの囲い込みはできなくなりました。いろいろ禁止事項ができたので、エージェントも動けなくなりました。

24人の理事会は37人で構成されるFIFAカウンシルに代わり、不正は起きにくくなっています。ただ、構図としてFIFA対UEFAというのは残っていると思いますね。UEFAはチャンピオンズリーグだったりユーロ(欧州選手権)だったり、収入源がたくさんあります。それに対してFIFAはワールドカップぐらいしかありません。そのなかでどちらが財力を持つかという戦いですね。

-- ワールドカップにも大きな変化が訪れました

変化としては、2026年のワールドカップから出場国が現在の32カ国から48カ国になります。これでOFCの出場枠も「1」になるでしょう。アジアでは中国も出場枠の中に入ってこられるようになるんじゃないでしょうか。2018年ロシアワールドカップを見たときにわかったと思うのですが、大会のスポンサーに日本企業は1社も入っていなくて、全部中国の企業が取って代わっていました。

48カ国が出場し、これでの64試合から大幅に試合数が増えて全80試合を行うということで、今後はワールドカップを開催できる国が少なくなると思います。アメリカならできるかと思っていたのですが、2026年はアメリカ、カナダ、メキシコの共催になりましたから、やはり難しかったのでしょう。

-- 日本は2050年に単独開催を目指していますが、問題点もありそうです

日本もFIFAが求める8万人収容のスタジアムはありませんし、韓国にもない。となると、今後単独開催が出来るのは中国ぐらいで、あとは共催以外に道はないのではないかと感じます。

-- 今、日本サッカー界が国際情勢の中でやるべきことは何でしょうか

国際情勢が変わっていく中で、日本がやるべきことはいくつもあります。アジアは今も中東諸国の力が強くなる傾向がありますから、日本はたくさんの人をAFCに送り込んで、物事が公平に進められるようにしなければなりません。FIFAやAFCに日本人の部長クラスがいるということにならないとダメだと思います。

また最近は、徐々に日本企業の力が落ちていますし、国内の人口も減ってきています。こういった背景を踏まえて、今後世界とどう戦っていくかを考えなければいけないと思いますね。まず企業に力を持ってもらうというのが1つ。それからあとは国際化に対応するということです。

--「国際化に対応する」とはどういうことでしょうか

先日、福井県越前市に行ったとき見たのですが、地方の大きな企業では今、外国人の従業員が占める割合がとても多くなっているんですよ。それで学校ではその外国人の子供がいないとクラスが運営できないんです。

今後はそうやって国際化が進み、いろいろなスポーツで2世の方が日本国籍を持ってプレーするという時代になると思います。フランスと同じですね。そういう人たちに対して敵対したり排除したり、まして差別したりするのではなく、受け入れていくことが必要だと思います。

そしてアジアの中でのブラジルの位置を築けるように、日本の中の人材をきちんと育て上げるのがいいでしょう。そうできない限り、今後勝つのは大変になっていくと思いますね。このままだと人口は減っていくし高齢化も進みます。私は国内の国際化こそ日本の生きる道だと思います。