※この記事は2020年02月24日にBLOGOSで公開されたものです

講談の神田松之丞、ありゃ稀に見るスターだな。このほど真打昇進で講談界の大名跡である神田伯山(かんだはくざん)を襲名して話題になってるよ。テレビでもニュースで扱われてたし、新聞にもあちこち書かれてたってね。「情熱大陸」なんかも放送してたよ。落語ではさ、真打昇進が大きな話題になった芸人をこれまで何人か見てきたけど、講談でこんなに注目される人を見るのは初めてだよ。見事なもんだよ。

彼はさ、TBSラジオでレギュラー番組をやってることもあって、なんだかんだでそのつながりからラジオ界の先輩であるおれの名前を出したり引っ込めたりしてさ、それもあって彼の会にゲストに呼ばれて対談したり、おれが席亭のマムちゃん寄席に出てもらったりしてね。これまでに2、3回は会ってるな。要するに表面的な付き合いだ(笑)。

今月、浅草ビューホテルで彼の披露パーティーがあってさ、おれも呼ばれたから顔出してきたんだ。盛大なパーティーだったな、400人近くいたんじゃないか。どんなパーティーだったかって? そうだな、料理がうまかった。いい魚と肉が出てたよ。客からメシがたいしたことないって文句言われないよう、松之丞もフンパツしたんじゃないの? アハハハハ、気を使う時期だよな。

そうそう、彼の松之丞って名前は「忠臣蔵」の大石内蔵助(くらのすけ)の息子である大石主税(ちから)の幼名なんだってね。だから、パーティーの土産物の中に忠臣蔵の「切腹最中」が入ってたよ。だから松之丞は将来、講談界のチカラになって、我慢ならないヤツに討ち入りして、最後は切腹だな(笑)。

立川談志に憧れるも講談の世界へ

松之丞は元々、立川談志に心酔してこの世界に入ってきたんだってな。松之丞が毒舌で生意気でってところはなんだか談志に似てるとこがあるよ。世の中を斜めに見てる目つきの鋭いところとかな。そうして談志に憧れながらも落語家にはならなかった。講談を見て「これは宝の山だ」って感じて神田松鯉さんの門下になった。たぶん落語家になってたとしても人気者になっていっただろうけど、講談を選んだってのがすごいね。だって落語に比べたら活躍できる場は少ないし、成り手も少ないし、観客も少なくて、ジャンルとしては前途洋々ってことじゃなかったわけだろ。

だけど松之丞は講談の中に無数の面白いネタが埋もれているのを感じ取って、そっちのほうがいいって飛び込んだわけだ。

講談ってのは戦記物とか武芸伝とかで侍の名前がズラズラズラーって並んだりしてさ、熊さん八っつあんの落語に比べると、どこか敷居の高い、それなりに聞く耳というか素養がないとわかりにくい芸ってイメージだよ。それもあって「講釈師、冬は義士、夏はお化けで飯を食い」なんて言うんだよな。要するに観客にわかりやすいネタが忠臣蔵と怪談だから、おのずとそればかりやってるという話だ。

だけど本来の講談は演目がもっとバラエティに富んでて、じっくり聞いたら面白いんだってことを、松之丞は観客に伝えようと、勉強して、稽古して、工夫して、試行錯誤を重ねて、そうして自分の芸に客を振りむかせて、「松之丞はいいね、講談は面白いね」って言わせるようになったんだろ、そりゃあ見事なもんだよ。

打ち上げを断って稽古 許した師匠も懐深い

おれも彼の講談を何回か見たけど、初めに聞いた時にただもんじゃねえなって思ったもの。観客をグッと惹きつけて講談の世界に引っ張りこんで、ハラハラドキドキさせてね。それがまた、緊張あり笑いありで緩急自在なんだ。クライマックスで一気呵成にたたみ掛ける迫力もすごいもんだよ。講談ってこんなに面白いんだって感じたファンがどんどん増えていったのもわかるよ。まだ聞いたことなかったら一度聞いてみるといいよ。

彼はずいぶんと勉強家らしいね。師匠から打ち上げに誘われたのを断って、うちに帰って講談の稽古してたって。それはね、松之丞もえらいけど、それを許した師匠もえらいね。懐の深さを感じるよ。

芸が良くて、声が良くて、ルックスが良くて、口が悪い。それでもってほうぼうに敵を作ってるって? アハハハハ、いいじゃねえか。口だけ悪かったらただの嫌われもんだ。芸のある嫌われもんなら客がついてくるよ。

芸で客を振りむかせて、マスコミに出て毒を吐く。確かに談志に似てるね。談志の場合、あれでずいぶんと人たらしなとこがあってさ、師匠は五代目・柳家小さん師匠だったけど、その上にいる志ん生、文楽、円生というような大師匠たちの懐に飛び込んで、可愛がられるところがあったんだ。まあ、おれも談志に呼ばれて寄席の楽屋にちょくちょく出入りしてたけど、気づいたら談志よりもおれのほうが可愛がられてたかな?(笑)。

談志の場合さ、何より芸が好きだったから、芸で尊敬できる師匠や先輩に口はばからずに「いい」って言うんだよ。見え透いたヨイショじゃないんだ。若僧が大師匠を相手に芸の評価を口にすること自体生意気なんだけど、「自分もやってみましたが、とても師匠のようには出来ません」なんて、言い方がうまいから相手も気持ちよくなっちゃうんだ。でもその一方で芸がダメだと相手が先輩であろうと「芸がセコい」って口にしちゃうからモメるんだけどね(笑)。

そうそう、講談・講釈は談志も好きだったな。談志とおれで講釈の余興をずいぶんとやったよ。談志が修羅場の台詞を言い立てながら手で合図を出すの。すると横でおれが「パンパンパパンパン!」って口で言うの。講談で釈台を叩く張り扇の役だね。これだと即席でどこでも講釈ができるんだ。

講談の修行で最初に覚えるネタに「三方ヶ原軍記」ってのがある。あれをよくやったよ。談志は流暢で見事なもんだったな。「頃は元亀三年壬申(みずのえさる)年、十月十四日、甲陽の武田大僧正信玄は、七重のならしを整え、その勢三万五千余人~」「パンパンパパンパン!」って感じでね。

でね、松之丞改め六代目・神田伯山の真打昇進襲名披露興行が2月11日から新宿末広亭で始まったんだけど、その初日におれも呼ばれたんだ。あいつも知りあい少ないのかね(笑)。こっちにお鉢が回ってきたんだよ。披露口上に並んでくれって言われてさ、むげに断ったらあちこちで悪口言われそうだったから、並んじゃったよ。

そこで口上の挨拶でも言った話だけど…、神田松之丞改め神田伯山、彼はスターだよ。もはやスターを通り越した太陽だ。スターという星は自ら光ることができても周りを照らすことはできない。だけど、太陽は周りを照らすことができる。彼は講談というジャンルを明るく照らす太陽だ。つまりスターよりも上。太陽のようなスター、サンスターだ。だから、歯も磨くし芸も磨く~~~~~なんてな。

売れた「神田松之丞」を捨てる覚悟

松之丞は真打になる前の二ツ目時代から、あちこちの大ホールを満員にするぐらい人気が出たわけだろ。そうして「神田松之丞」という名前を広めたのに、いざこれからって時に「神田伯山」を襲名して名前を変えるんだから肝が据わってるよな。

え、おれの名前が毒蝮に変わったのも肝が据わってるって? まあ、おれは石井伊吉から毒蝮三太夫になったけど、あれはさ、おれが談志に呼ばれて「笑点」の座布団運びをやることになって、そのときちょうどウルトラマンが放送中で、おれは科学特捜隊のアラシ隊員をやってたんだよ。だけどアラシ隊員が座布団運びをするとは何事だ! 子ども達の夢を壊すな! TBSに抗議が行ったんだ。

談志に何とかしてくれって言ったら、「名前変えりゃいいじゃねえか」ってことになって、談志が最初に「蝮三太夫」ってつけたんだ。そしたら円楽(先代)さんが横から「アタマに毒をつけたほうが据わりがいい」ってことで「毒蝮三太夫」になったんだ。

そうして、本名の石井伊吉と毒蝮三太夫と両方名乗ってたんだけど、気づけば毒蝮だよ。なりたくてなった名前じゃないけど、この名前のおかげで83歳になっても仕事が出来てるんだと思う。ありがたいことだよ。じゃ、今日はこんなところで終わりでいいか。なに? 松之丞の話? ああ、そうだったな。話がそれた。

だからさ、松之丞が伯山という名前を襲名したってのは、芸人としての自分を長い目で見てるんだろうね。松之丞という名前で売れたけど、長い目で見たら自分の為にも講談界の為にも、講談界の大名跡である名前を世に知らしめたほうがいいと。彼にとってはあくまで講談が本道なんだってことだろ。

あのさ、おれも詳しいわけじゃないけど、神田伯山っていうのは講談の神田派で最も大きい名前なんだってね。でも、神田という名で一番大きな名前って言ったら…、神田明神? 次が神田川。あと神田正輝さんもいるしね。神田伯山にはこれからますますその名を広めて、一日も早く神田明神と肩を並べるようになることを願ってるよ。そしたらおれ、お賽銭あげて拝んじゃう。神田伯山大明神~~~ってね(笑)。

(取材構成:松田健次)