【赤木智弘の眼光紙背】青少年育成条例の改定に反対する - 赤木智弘
※この記事は2010年03月17日にBLOGOSで公開されたものです
東京都による青少年育成条例の改定が問題になっている。(*1)ツッコミどころは多岐に渡るが、この対提案を貫く一番大きな問題点は、「健全」「不健全」といった、個人の思想の範疇に属する問題に対して、東京都という行政が「これは健全だと思え」「これは不健全だと思え」と手を入れようとしていることである。これは個人の自由を是とする民主主義国家においては、きわめて「不健全」な改定案であると言えよう。
そもそも「青少年の性に関する健全な判断能力」や「青少年の健全な成長」とは何を差すのか。
私などは、青少年が健全に成長すれば、おのずと性的なものごとに興味を持ち、エロ本やエロマンガを読み、インターネットなどでエロ動画を見るぐらいのことは当たり前であると考えている。さらには機会があればセックスをすることも当然あるだろう。
別に私は他人に対して「青少年はセックスをしてあたり前だと思え」と言いたいわけではない。青少年の健全さに関しては多種多様な考え方が存在しているということである。
「男女七歳にして席を同じゅうせず」と考えている人もいれば、「早いうちから異性経験を多く積んだ方がいい」と考えている人もいる。それはいずれも「個人の思想」の範疇であり、その領域に行政がみだりに立ち入り「とにかく性交渉は不健全だ」として、青少年の自主的な判断を奪い、成長の機会を断つような法案は許されるべきではないだろう。
それ以外の各論としては、この改定案では、実在の青少年を扱う児童ポルノを問題にするのはもちろんとして、「年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの」という文脈で「非実在青少年」という定義を行っている。こうしたマンガやアニメの中の登場人物に過ぎない非実在青少年が性的行為をしている作品を見ると、「青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがある」のだという。
そして、事業者は都民は、こうした非実在青少年のセックスが描かれるような「青少年性的視覚描写物」がまん延しないように務めなければならないという。
こうしたことから、この条例がアニメやマンガなどの表現の自由を侵害し、文化が滅びるとして、ちばてつやに永井豪、そして里中満智子などといった多くの漫画家が反対の立場を表明している。(*2)
こうした規制は「エロマンガやエロアニメだけが規制をされるのだろう」と思われがちだが、非実在青少年の性的表現は、多くの作品で用いられている。
かつて、1999年に児童ポルノ法が施行された時に、紀伊国屋書店が一時的にいくつかのマンガを店頭から撤去した。
その時に撤去された中には、1997年に文化庁メディア芸術祭のマンガ部門で優秀賞を受け、2003年と2005年に上戸彩主演で映画化された、小山ゆうの『あずみ』。2000年に文化庁メディア芸術祭のマンガ部門で大賞を受けた、井上雅彦の『バガボンド』。そして、2002年に第6回手塚治虫文化賞でマンガ優秀賞を受けた、三浦健太郎の『ベルセルク』などといった、多くの人に認められ愛されているマンガも含まれていた。
今回の都条例の改定は、こうした撤去が再び多くの書店で行われたり、出版社が配慮をして非実在青少年の性的描写が少しでも含まれる作品を取り扱わなくなったり、作者に描かせないなどと、表現の自由が萎縮させられかねない問題である。
こうしたことは多くの論者が論じていることなので、もう一つ、独自の論点を提示しておきたい。
多くの人が勘違いしているように思うが、今回の改定案で表現の自由を規制するのは、決して東京都ではない。東京都はあくまでも「青少年性的視覚描写物のまん延の抑止に向けた活動に対し、支援及び協力を行うように努める」のであり、規制を行うのはあくまでも業界側である。
現状でも東京都には東京都青少年健全育成条例に基づいて「東京都青少年健全育成審議会」が設置されており、毎月数冊の不健全図書指定を行っている。そして出版社の業界団体である出版倫理協議会は「連続3回、または年に通算5回」不健全指定を受けた出版物に対して「帯紙」を付けるように通知する(帯紙措置)。
帯紙措置が適用になると、取次が書店に本を送る時に、必要部数を確認した上で送るということをする。つまり、自動的に書店に配本されることが無くなる。そのために雑誌の流通部数が極端に減ることになる。そうなればまともな収益は見込めなくなる。そこで「休刊」という判断を下すのは、あくまでも「出版社」である。
また、そうした流れとは別に、先にも示したように、書店が条例や法令の影響を受けて自主的に撤去をするのは、もちろん「書店」独自の判断である。
重要なのは、このいずれの段階においても、都は決して「撤去しろ」「流通を差し止めろ」という命令はしていないのである。今回の改正案でも「青少年性的視覚描写物のまん延抑止」という表現を用いているに過ぎない。
都としてはあくまでも「出版業界に協力していただく」という意識であり、決して排除をするのは都ではない。排除を実施するのは出版業界である。
このように、「不健全だ」という判断と、「撤去しよう」という規制実施が離れている状況では、誰も規制に対する責任をとることができない。私たちは都に対して「不健全指定をやめろ」とはいえるが、撤去をやめさせることはできないし、マンガ文化に対して責任を取れといっても、責任意識がない都には届かないのである。
都条例改定に対して寄せられた反対のパブリックコメントに対し、都の青少年・治安対策本部が「反対意見は我々が表現規制を行おうとしていると誤解している」と発言したと言われているが、この言葉はそういう意味であると、私は考えている。都にしてみれば、規制の責任はあくまでも業界団体にあると考えているのだろう。
逆に業界団体としても「自主規制を実施しなければもっと大きな圧力がかかりかねない」という意識があり、彼らもまた責任は都にあると考えている。
都も業界団体も責任をとることはできず、規制のためのシステムだけが既成事実として、永久機関のように独り歩きを始める。そして永久機関がいつしかモンスターと化し、人の目に見えないところで、表現の芽を摘み取り、日本を痩せ衰えさせていく。
私が今回の条例改定でもっとも危惧するのは、これまで以上にそうした動きが強まることなのである。
最後に記しておくが、私は「実在青少年」の性的描写、つまり児童ポルノそのものは許されるべきではないと考えているし、実在の青少年をモデルにした文章や絵などの表現が流通することにも問題があると考えているので、念のため。
*1:漫画・アニメの「非実在青少年」も対象に 東京都の青少年育成条例改正案 (ITmedia)http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1003/09/news103.html
*2:「文化が滅びる」――都条例「非実在青少年」にちばてつやさん、永井豪さんら危機感 (ITmedia)http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1003/15/news074.html
プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。著書に「「当たり前」をひっぱたく」など。