【赤木智弘の眼光紙背】政府は国民の幸福に口を出すな - 赤木智弘
※この記事は2010年03月04日にBLOGOSで公開されたものです
鳩山総理が新成長戦略の1つとして国民の「幸福度」を調べ、GDPに限らない成長への指標を設定することを考えているそうだ。(*1)景気回復を達成できない現政権(これまでの政権もそうであったのだが)の現状を踏まえて、良く評価すれば「きめ細やかな行政サービスをもって、国民の満足度を高めようという方向性」なのだと言えるし、悪く評価すれば「景気の悪さから目を逸らすだけの客寄せパンダ的発想」であるとも言える。
「幸福の形は人それぞれであり、数値化などできない」という反論はあろうが、幸福度を調べることは社会学や心理学においてはさほど珍しくない調査であり、検索サイトで検索してみれば、さまざまな機関が「幸福度」という内容の調査を行っていることが分かる。
もちろん、どのような指標をとるかで、その調査の有効性はまったく異なるが、幸福を数値化して政策に生かそうという考え方自体は、決して奇抜なアイデアではない。
しかし、この考え方は問題を抱えている。政府が幸福度を決定してそれを政策に反映させ、公的扶助などの優先順位を付けるということは、政府が個人の「幸福」という思想の中に土足で立ち入る行為なのである。
例えば「結婚」が幸せであると政府が判断したとして、若い人たちが結婚できるような政策がとられるとすれば、結婚したい人にとってはいいことだろう。しかし、別に結婚したいとも思わない人たちにとっては、政府の恣意的な幸福の順位づけによって、結婚する人だけが税制控除などの利益をえることに不満を覚えるだろう。
また、不満だけならばいいが、結婚を幸せだとして政府の態度がその人の親や親類などに及べば、これまで以上にその人を結婚させようとする圧力が高まってしまう。これでは政府が、個人の自己決定権を侵害しているといっても過言ではない。幸せの押し付けは、その人を幸せにはしないのである。
政府が国民の「幸福」という個人の思想心情に踏み込めば、必ずどこかでイビツな形となって国民を傷つける。そのような政策は行われるべきではない。
国民の幸福を達成したいという気持ちは分かるが、政府の役目は国民の幸福を実現することではなく、全ての国民が不幸にならない社会を作ることである。
不幸な状況というのはさまざまな解釈があるだろうが、私は各人の意に沿わない状況を強いられることであると考えている。衣食住の不自由はもちろん、残業や休日出勤など、必要以上の労働を強いられることや、結婚したくなどないのに世間体を守るために親や親族から結婚や出産を迫られるなど、世間と本人の意思が乖離した時に、各人の自立を促す社会設計でないために、それを強いられるような状況を改善するこそ、政府が負っている役割であるはずである。
衣食住は社会保障で、残業や休日出勤は労働基準法の徹底で、自立を促すためには人権の保護や社会保障と、いずれも現行の枠組みで達成できる。そして、そうした役割を実現するために、もっとも必要なのが国が豊かになること。すなわち経済政策である。
政府は、GDPという景気を図る指標から逃げずに、真っ正面から取り組むべきである。幸福というお題目で、金の問題から目を逸らしているようではお話にならない。
*1:国民の「幸福度」を調査へ=新成長戦略の指標に-政府(時事通信)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100228-00000049-jij-pol
プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。著書に「「当たり前」をひっぱたく」など。