【赤木智弘の眼光紙背】社会を変えるのは政党ではない - 赤木智弘
※この記事は2009年09月02日にBLOGOSで公開されたものです
衆院選が終わった。結果は民主党が300議席を超える大勝利に終わった。一方でかつての与党である自民党は、何とか3桁をキープという大敗北となった。
一部新聞やネット上には「勝ちすぎではないか」「バランスが悪いのではないか」という意見もあるが、そもそも小選挙区制度というのは、このような一方的な勝ち負けを産み出すための制度である。そういう話は小選挙区制度に変わろうとした時にもっと十分にされるべきことだった。
とにもかくにも、民主党が政権を奪取したことにより、長年の自民党の政治支配に、1つピリオドが打たれたということになる。まぁ、細川政権みたいにならなければいいけど。
さて、今後のことを語る前に、そもそも自分がこの選挙をどう見ていたかということを明確にしておこう。
選挙の印象としては、自民党がひたすら惨めだったという印象が強い。政権与党にも関わらず、自らの政策の正当性や成果を正面から正々堂々と誇ればいいものを、民衆党に対するネガティブキャンペーンに終始した感がある。(*1)
特に自民党が、民主党打倒の突破口であるかのように勘違いしていたのが、8月8日、鹿児島で行われた民主党候補者の集会で、民主党のマークとして、斬り合わせた日本国旗が使われた問題である。(*2)
自民党は「国の成り立ち、国家の基本を否定して恥じない民主党の実態」であるとして、これを非難する一方で、自民党は党大会で国旗を掲げることを誇り、新聞広告では自分たちの主張の背景として日の丸を掲げ、選挙最終日の池袋の演説では国旗の小旗を配布し、愛国心に訴えて自らの権力を少しでも守ろうとしていた。
しかし、大多数の一般市民にとっては、国旗なんかよりも目先の生活の方が大切であり、日の丸はほとんど意味を持たなかっただろう。また、私からすれば、国旗という形で「国」を傘に利用し、権力を守ろうという自民党の悪あがきに、愛国心を利用しようとする意図はあれど、国を愛する心はまったく感じなかった。「愛国心は悪党の最後の逃げ場所」そんな言葉が指し示す現実が、まさに繰り広げられていた。
どうにせよ、ネガティブキャンペーンに終始する自民党からは、政権与党としての誇りなど感じず、選挙戦の時点で既に「なんでも反対自民党」といった、80年代の野党臭しかしなかった。選挙の時点で自民党は既に野党であった。
では、私が民主党政権にどんな期待を寄せているかといえば、ハッキリ言って何の期待も寄せていない。
そもそも、これまでの自民党政権も、今回の民主党政権にしても、「正社員を中心にした雇用体制」や、「年金を中心にした社会福祉」といった私が考えている貧困問題におけるもっとも重要な点について、何も変える気はないだろう。
雇用体制は、自民党に任せれば、経営者の利益のために非正規労働者は使い捨てられる。民主党に任せれば、自治労やさまざまな正社員の労働組合員のために非正規労働者は使い捨てられる。
いろんなところで何度も口にしていることだが、派遣村などを始めとした貧困問題は、決して悪の経営者がいるから発生している問題ではない。経営側と正社員、その双方の利益を守るために共謀して、不況によって産まれた不利益を、非正規労働者に一方的に押し付けているという問題である。
さらには、年金を中心にした社会福祉のありようは、現役世代がしっかりと稼げる状況を前提にしているのであり、今のようなデフレ基調で、お年寄りが経済成長期に蓄えた資産が目減りしにくい状況では、不平等を産み出すことにしかならない。
そして、私が見た限り、自民党にせよ民主党にせよ、そしてその他の政党にしても、こうした貧困を産み出す社会構造を解体しようという政党はない。特に年金問題についてはどこの政党も「守れ守れ」の一点張りだ。
だから、私は今回の選挙でなにが変わるとは思わないし、どっちが勝とうが大した問題ではなかった。
ただ唯一、今回の選挙で残念だったのは、社民党の保坂展人が議席を失ったことである。児童ポルノ法改定による、表現規制や道徳強化の問題に対して、真っ向から批判を行う頼もしい存在だっただけに、落選は残念でならない。この国の危機は、決して労働や生活の問題だけではないのだ。
最後に。
選挙が終わってしばらく、マスメディアは「新政権に何を望むか」と言うことばかりを報じるだろう。私たちも、自らの望みを新政権が叶えてくれることを望むだろう。
しかし、選挙のみで変わるのは、どこが与党か野党かという、表層的な部分に過ぎない。私たちがこれまでのような社会を望み続ける限り、民主党は自民党と変わらない存在になるし、その結果、自民党に政権交代したとしても、自民党は見限られた民主党と変わらない存在となるだろう。
先に、麻生政権が選挙対策として日の丸を背負ったことに対して、「彼らが愛国心を傘として利用した」と論じた。しかしここでもう一つ、政権与党という存在に日の丸を背負わせようとする国民の側の怠惰も問うておきたい。
日本という国を形作るのは、自民党ではないし、民主党でもない。私たちひとりひとりがこの国を形作るのである。そのことに無自覚である限り、私たちはいつまでも「政党に裏切られた!」と憤り続けるだけであろう。
選挙の直後で「新政権に何を望むか」という話しばかりしか出てこない今だからこそ私は、新政権ではなくて、国民ひとりひとりが何を望むのか、それを問いたいし、自ら自覚して欲しいと思う。
私が今回の選挙で、この国が何かを得たとすれば、それは自民党の支配が当たり前であった政治の世界も、こうして人が動くことによって、あっけなく変わってしまったという、経験だと考えている。
現状で当たり前だと思われている全てのことは、なにかきっかけがあればいつでも変わる。今回の選挙は、「変化という経験」をこの国にもたらした。
55年体制から54年。これまで自民党が中心であたり前だったという体制が変わったということ。
そうした経験は、「正社員優遇で当たり前」「老人に優先的に福祉を割り振って当たり前」という、既成概念に縛られた日本の現状が変わることを、肯定的に捉えてくれる可能性に繋がってくる。私としては、そうした変化を期待したいし、そのためにも仕事に望むつもりだ。
*1:日本の未来が、危ない。それでも「民主党政策」に期待しますか?(自由民主党)http://www.jimin.jp/sen_syu45/hikaku/index.html
*2:民主党の集会、国旗を切り張りして民主党マークを作成(自由民主党)http://www.jimin.jp/sen_syu45/hikaku/contents/010.html
プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「「当たり前」をひっぱたく」。
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。