【赤木智弘の眼光紙背】シェルターに避難させるだけでは、貧困問題は解決しない - 赤木智弘
※この記事は2009年07月02日にBLOGOSで公開されたものです
昨年末に大きな話題となった「年越し派遣村」が、6月28日に解散式を行った。(*1)先立って行われた「「派遣村」全国シンポジウム」を、会場で傍聴させていただいた。
そして、年越し派遣村が果たした役割の大きさを、改めて実感した。
昨年の年末から年始にかけてお茶の間に流れた、年越し派遣村の映像は、「不況だけど、日本は経済大国。国内に貧困などない」という幻想をあっさりとはぎ取り、日本の現実を見せつけた。
多くの自治体の人たちに「生活保護を支給しなければならない」という、当たり前の職業意識を起こさせ、福祉行政の重要さを認知させた。
また、多くの生活に困窮する人たちに、直接的に生活できる環境を与えたとともに、年越し派遣村に関わらなかった困窮者たちに対しても、いざとなればこうして助けてくれる人たちがいるという事実を提示できたことは、彼らを力付けたに違いない。
そして、「年越し派遣村」から派生した、困窮者保護のネットワークが、全国に広げられ、日比谷公園に留まらない広まりを見せた。今回のシンポジウムでも全国各地の団体が集まり、活動報告を行った。
私は「運動体としての派遣村」は、大成功であったと考えている。
しかし私は、各地の活動報告などを聞きながら、派遣村の成功から生じた運動体が、今後、実際にどうした社会を構築していこうとしているのかという、目指すべきビジョンを読み取ることができなかった。
特に、「労働者派遣法改正」のような、単純に「派遣労働を禁止すれば」「仲間を直接雇用にすれば」、かつてのような安定した社会生活を送ることができるかのような野党案を歓迎する感覚は、いささか問題への思考が短絡すぎるように思えた。
報告の中に「直接雇用を求めて労使交渉を行っていく」ようなものもあったが、では、仮にその仲間が直接雇用され、生活が安定したとして、その人の賃金を、いったいどこから搾取しようというのだろうか?
かつて就職氷河期を陥れたように、これからの世代の待遇を切り下げることによって、搾取するのか?
もしくは、経団連が主張するように、移民の大量受け入れを行って、搾取するのか?
そして、日本の戦後が一貫してそうであったように、女性に「家計の足し」として、パートのような低賃金労働、「家族の義務」として、家族の世話や介護のような無賃金労働など押し付けて、搾取するのか?
今回のシンポジウムで、女性団体の方が「かつては雇用調整リスクは女性が負ってきた」という話をしていた。
戦後日本において、収入の問題は常に「家族単位」でしか認識されてこなかった。「女性は男性に扶養されるのだから、低収入で当然」という認識が当然視され、企業は女性をパート労働者としてのみ働かせた。
戦後労働運動もまた、世帯主である男性の賃金や待遇の向上ばかりを取り扱い、男女間の賃金格差には目を瞑ってきた。労組が「母ちゃんを働かせないですむだけの賃金をよこせ」などというスローガンを使ったこともあるそうだ。
その成果として、女性は男性と結婚することでしか生活が成り立たず、その家庭内で暴力や差別にあったとしても、自立ができないために、ひたすら耐えるしかない状況があった。
そして、現在のような非正規労働の状況というのは、その範囲が、女性から一部の男性までに拡大した状況に過ぎないという。
また、東京遣村村長である湯浅誠が使う「溜め」(*2)という言葉に対しても、「そうした溜めを担ってきたのは女性である」と、辛辣な批判を加えた。
このわずか5分程度の話に、聴衆は「同じ貧困と闘う仲間」であるかのように拍手を送っていたが、この話の真意を理解している人は、あの会場に、どれだけいたのだろうか?
確かに、今の現状において、仲間の直接雇用を企業に対して要求することは必要であろう。しかしそれは、あくまでも一時的なシェルターであって、ただ正規雇用を増やせばいいという姿勢は、労働問題を解決することには繋がらない。
本当の労働問題とは、一部の人間のみが数人の家族を養えるような多額の賃金や福祉を手にし、その他の人間は低賃金労働と貧弱な福祉しか受けることができない。そして、身を守ろうとすれば一部の人間に保護を求めなければならないという、正規労働者を頂点にしたヒエラルキーにあるのではないか? そう私は考えている。
それは決して、労働者派遣法が派遣労働原則許可になったからでも、小泉竹中ラインによる構造改革の結果でもない。戦後の社会全体において、労働者と経営者、そして政府によって、意識的に都合よく生み出されたヒエラルキーなのである。
私は「運動体としての派遣村」は、大成功であったと考えている。
しかし、こうした運動によって集まった人たちが、無自覚なまま、ただ旧来の労働系運動に取り込まれてしまうとすれば、彼らはやがて格差社会を産む加害者側に立つことになるだろう。
それを避けるためには、「労働者の雇用を守る」「賃下げは許さない」「増税反対」といった、左派の当たり前の主張に対して嫌疑のまなざしを向け、しっかりと対立し、逆に左派を取り込んでいくような姿勢が必要不可欠だろう。
私は、あの会場に集まった人たちに対して、そのくらいのことを期待してもいいと考えている。
*1:派遣村が解散式=支援拡大、「役割果たした」-東京(時事通信)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090628-00000062-jij-soci
*2:湯浅の言う「溜め」とは、お金や、人間関係や、地域コミュニティーや、家庭や家族といった、生活の上でのバッファのことである。