【赤木智弘の眼光紙背】報道の自由を守るのは、ジャーナリスト自身である - 赤木智弘
※この記事は2009年06月18日にBLOGOSで公開されたものです
事務所からの解雇や、芸能界の暗部の告発、覚せい剤取締法違反で逮捕などで、さまざまに報じられたタレントの小向美奈子が、浅草ロック座でストリップに挑戦した。浅草ロック座は撮影禁止を徹底していたが、写真週刊誌の『フライデー』にステージ上の写真が掲載されてしまった。これに対して、浅草ロック座は法的手段の行使を考えているという。(*1)
この報道で私が気になるのは、他人のヌードを許可なく掲載することが「報道の自由」として許されるか否かという点である。
基本的に個人のプライバシーは尊重されるべきである。たとえ裸体を公衆に晒すストリッパーであっても、それが晒されるのは、あくまでも「劇場」という本人が自覚する範囲内のみであり、無断で雑誌に掲載し、多くの衆目に晒していいということはありえない。私としては小向美奈子に対しても、それは同じことだと考えている。
では、フライデーは果たしてどういう理由で、その一線を踏み越えたのだろうか?
かつて『噂の眞相』という雑誌があったが、その編集長であった岡留安則は、芸能人ネタなどのセンセーショナルな報道を行う理由を「芸能人は権力に連なる可能性の高い、準公人である」とう論理をもって、その正当性を主張していた。
分かりやすくいえば、タレントであり知名度があるということは、それだけで権力に連なるための武器となる。一例としては、東国原や橋下のようなタレント知事が誕生し、政党が人気取りの道具としてタレント議員を立候補させることが珍しくないことを考えれば、その論理は比較的納得しやすいのではないか。他にも、タレントの所属事務所自体が権力を持つような場合もある。
しかし、今回の小向は、所属事務所を解雇され、覚せい剤取締法違反で逮捕された人間である。現状で小向が権力の側に立つ可能性は、限りなく低い。果たしてフライデーは、小向のヌードを掲載したことに対する「報道の自由を行使する理由付け」を、しっかりと行うことができるのだろうか?
私がこうした問題にどうしてもセンシティブにならざるをえないのは、こうした扇情的な自由が守られることに対して批判的な人たちが、自由そのものを害悪視してしまう可能性が高いからである。
特に今の社会のように、煽りたてられた社会不安によって、無駄なものや俗悪なものに対する寛容が失われている社会においては、社会の多数派にとって必要がないとレッテルを貼られた物事は、いとも簡単に打ち捨てられる。
もはや今の日本においては「報道の自由」や「表現の自由」は、決して自明ではない。そうした状況に対抗するためには、自らが行う行為に対し、しっかりと理由付けした上で、他者に対して根気強くそれを説明していくしかない。
かつてのジャーナリスト達だって、そうして報道の自由を守ってきたのである。先人の苦労の上に積み上げられた、自由の上にあぐらをかくようなことをしてはならない。
*1:小向ストリップ写真掲載、講談社に法的手段(サンケイスポーツ)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090615-00000036-sanspo-ent
プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「「当たり前」をひっぱたく」。
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。