※この記事は2009年06月11日にBLOGOSで公開されたものです

難病のために生活保護を受けていた北九州市の夫婦が、通院や買い物など、日常生活のために軽自動車を使っていたことから、生活保護を打ち切られていた問題で、5月29日に福岡地裁は「処分は違法」として生活保護停止処分の取り消しを求めた。(*1)

また、北九州市か!
一昨年の7月に52歳の男性が生活保護を取り消され、日記に「おにぎりを食べたい」と書き残して餓死した事件がおきたのも、北九州市である。
事件はマスコミで広く取り上げられ、大きな批判を受けて、少しは反省したかと思ったら、まだこんな弱いものイジメ、いや、むしろ殺人ごっことでも言われるべき馬鹿げた行為を続けているようだ。

私は、生活保護制度の大幅な拡充を求めている。
生活保護が憲法25条に記された「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保証するものである以上、多くの人が所有している物の所有を否定する、「車を所有しちゃダメ」「エアコンもダメ」のような規制は、憲法違反である。
「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」というのは、自分の考えで言えば、1人頭6畳程度の専有面積を持つ家に住み、電気ガス水道は当然として、エアコンや自動車等の、これまで生活保護行政で問題にされてきた物ももちろん認められるべきである。また、携帯電話やインターネットの利用も、それがこれだけ多くの国民に利用されている以上、認める必要がある。そうそう、国の勝手な都合でアナログ停波が決定したので、地デジ対応TVも「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の範疇でいいだろう。
まぁ、予算の都合はともかく、原則的にはそのくらいの内容となって始めて、先進国にふさわしいセーフティーネットとして誇れる制度になるのではないかと、私は考えている。

そういうことをいうと「生活保護に頼って生活して、働かない人間が出てくる」という意見がでてくる。しかし、私は「働かない人間がいる」ことが、日本にとって問題だとは思わない。むしろ「働かないほうがマシな人間を、働かせないことができる」という効用に期待する。
多分、あなたの周りにも「仕事もろくすっぽ出来ないくせに、威張っている」ような人間がいるだろう。それが上司だとして、そんな人間のせいで、あなたの仕事が進まないとしたらどうだろうか?
世の中には残念ながら、経済的な生産能力がマイナスの人間というのがいる。しかし、仕事をしなければ生活できない日本社会においては、そうした人間に対しても必ず仕事を与えなければならないし、賃金が支払われなければならない。社会は踏んだり蹴ったりである。
ならば、そうした人間を仕事の場に出してマイナスを発生させ続けるよりは、家で酒でも飲んで寝ててもらった方がマシだとは考えられないだろうか?
働くべきではない人間が働かないことによって、社会全体の生産性が上がる。私はそういう形での社会貢献もあると考えている。

そして、そうした考え方を実践できるだけの、充実した生活保護制度ができたとすれば、最初に働かないでもらうのは、この馬鹿馬鹿しくも残酷な行為を行った、北九州市の福祉課の人間達である。
彼らは生活保護のなんたるかをまともに理解できる能力がないのにもかかわらず仕事をしていたために、さまざまな悲劇を産み出した。
彼らが働かなければ、52歳の男性は餓死せずにすんだかもしれないし、今回の老夫婦イジメもなかったかもしれない。
彼らの現在の給料よりも、月25万ぐらいの生活保護費の方が安いだろう。経費を減らして、なおかつ北九州市民の安全を守る、とってもいいアイデアだと思うのだが、どうだろうか?

*1:<処分取り消し>車所有の難病夫婦、北九州市が生活保護停止 訴訟で市が敗訴(毎日新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090529-00000027-maiall-soci

プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「「当たり前」をひっぱたく」。

眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。