【赤木智弘の眼光紙背】流産させる会という、他愛のない子供のイタズラについて - 赤木智弘
※この記事は2009年04月02日にBLOGOSで公開されたものです
愛知県の中学校で、1年の男子生徒11人が、気にくわな女性教諭に対する嫌がらせとして「流産させる会」と称し、椅子の背もたれのネジを緩めたり、給食のミートソースにミョウバンなどを混ぜていたことが明らかとなった。(*1)「流産させる会」という名称はショッキングではあるが、その内容は他愛もない子供のイタズラに過ぎないと私は感じている。
他愛のない子供のイタズラと断じるには、話が陰湿過ぎるように思えるかもしれない。しかし、他愛なくとんでもないことをするのが子供であり、ある意味それは「子供の成長」を盾にできる特権でもある。
だいたい、子供なんて命の大切さなんてそんなに知らないし、こうしたイタズラを人にするかどうかはともかくとして、虫の足をむしったり、カエルを爆竹で爆発させたりして、それによっていろいろと学んでいくのが、子供というものである。それは良いとか悪いという価値判断を挟めることではなく、「そういうものだ」と受け入れるしかない。
私たちだって、そのようにして、他人に多大な迷惑や、大事故ギリギリの事をして、それでも運良く踏みとどまりながら、大人になったはずなのだ。
しかし、こうした問題が出た時に必ずと言っていいほど「昔はこんな陰湿なことをする子供はいなかった。今の社会はおかしくなっている」というような意見が出る。
そのような言葉を違和感なく発せられる人間は、よほど幸せな学校生活を送ったか、自分たちが陰湿なことをしていたことに気付いていないだけだろう。
子供がそれを悪意であると気付かず、ただの遊びの一環としてしか認識していないなど、昔からよくあることである。
イジメ問題などを考えれば、イジメられた方はそのことを一生抱え込むことになるが、イジメた方は学校生活での懐かしい思い出ぐらいにしか感じていなかったりする。
今回の問題はイジメと違って、直接的な殺意があったという意見もあるかもしれないが、イジメがたとえ直接的な暴力を伴わないとしても、イジメられた方はその後にわたって精神的なダメージを負う。
そして新卒採用が前提の硬直した雇用形態の日本においては、そうした精神的ダメージが勉学に影響することによって、一生を棒に振ることにすらなりうる。
それは今回の事件と比べて、決して「軽い」ことではない。
もう1つの考え方として、今回の件で、健全な性教育の必要性を改めて認識したということがある。
愛し合う者同士がセックスをし、子供をつくるというのは、私たちからすれば別になにも変なことはないのだが、第二次性徴期の子供にとっては、それが極めて特別な意味を持つ。
子供にとってのセックスや妊娠というのは、過剰な興味と裏腹の、なにか超自然的な恐ろしさを感じさせることがある。そうした中で、性にまつわるものごとが嫌悪の対象になることがある。分かりやすいところでは、オナニーをすることに嫌悪感を感じてしまったりする。
そうした嫌悪感は、そうした行為を「平然と」行う、他人に対する嫌悪感に容易に繋がる。
今回の件について、担任教師の「妊娠」、つまり生徒に対する「私はセックスをしました」という表明は、生徒達にとって、担任教師に対する更なる嫌悪感を煽るのに十分な出来事であったとは言えないだろうか?
実際、彼らが嫌がらせを行うに至った理由として、「怒られた」ことや「一部の生徒に対する便宜を図った」という、彼らの視線からは不正義に映ったであろう事柄を上げており、そうした中に、妊娠という性行為そのものに対する「悪視」があったとしても、決しておかしくはない。
そうした性に対する嫌悪感を払拭し、性的な事柄は自然なものであるということを、義務教育の中で教え、命の大切さを啓蒙する性教育の考え方も発達しつつあるが、その一方で「子供に性を教えるなどまかりならん」などと杓子定規に断罪する一方的な道徳教育を支持する人たちもおり、そうした安直な道徳観が、こうした子供の暴走を後押ししてしまう可能性も考える必要がある。
この事件は「一部の現代的な子供が、暴走した結果」と、他人事のように考えられるべきではなく、子供というのはそもそもこういう存在であり、だからこそ注意深く見守る必要性があるのだと、私は思う。
*1:悪質中1男子 先生を「流産させる会」(日刊スポーツ)http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20090329-476695.html
プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「「当たり前」をひっぱたく」。
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。