※この記事は2009年03月30日にBLOGOSで公開されたものです

3月24日、東京地方検察庁は、小沢一郎民主党代表の公設第一秘書・大久保隆規氏を起訴した。起訴理由は、準大手ゼネコン西松建設からの企業献金をダミーの政治団体から受け取っていたという政治資金規正法違反容疑(企業献金の受領、政治資金報告書への虚偽記載など)だ。弁護団によれば、大久保氏は容疑を否認している。

3月3日、「鬼の特捜」(東京地方検察庁特別捜査部)は、この容疑で大久保氏を逮捕した。逮捕理由の政治資金規正法違反は入口で、別ヤマ(別の事件)があるというのが大方の想定だった。業界用語でいうところの「サンズイ」(贈収賄事件)、あるいは本人に職務権限がなくても、職務権限をもった公務員に対して働きかけることで成立する斡旋利得罪を初適用し、小沢氏の摘発につながる事案になるのではないかという観測も強かったが、大久保氏は政治資金規正法違反のみで起訴された。業界の相場観では、身柄を20泊21日も拘束したにもかかわらず、政治資金規正法のような形式犯に限りなく違い事案しかでてこないというのは、現時点では検察の「負け」である。

ただし「鬼の特捜」の底力を侮ってはならない。特捜は、大久保氏を勾留し続け、徹底的な「任意」取り調べを行う。それから、小沢代表の元秘書であった石川知裕衆議院議員(民主党)を任意で複数回呼び出し、取り調べている。小沢氏につながる事案を探し出そうとしているのだと筆者は見ている。

民主党関係者は、本件を国策捜査であると批判している。しかし、筆者はそう考えない。これは、国策捜査の定義をしておかないと議論が空中戦になる。国策捜査とは、「時代のけじめ」をつけ、国家政策を転換するために、象徴的事件を摘発することだ。もっとも、捕まる側からすれば、特に違法なことはしている認識はないのだから、「なんで俺が」という気持ちになる。2002年の鈴木宗男事件は、公共工事によって富の再分配を行うという田中角栄型政治との訣別という意味があった。事実、鈴木宗男事件後、新自由主義的な規制緩和、「小さな政府」路線が主流になる。これに対して、2006年のライブドア事件は、「稼ぐが勝ち」「カネで買えない物はない」との言説で有名になった堀江貴文ライブドア社長(当時)らを摘発することで、行きすぎた新自由主義に歯止めをかけるという意味があった。

これに対して、今回の大久保氏逮捕は、政治資金規正法違反という旧来型事案で、国家政策を転換するという象徴性はない。

本件は、国策捜査ではなく、劇画「巨人の星」の主人公・星飛雄馬のように瞳の中で炎を燃やした絶対的正義を確信する現場の特捜検事が、思い込みに基づき、試練の道を歩んでいる一種の「世直し運動」と筆者は見ている。たとえで言うと、1936年の二・二六事件に似ていると思う。政界、経済界の腐敗が著しいので、暴力装置をもつ官僚(軍人も国家から給与を得ているので官僚だ)が、「俺たちが直す」という義憤にかられているのだ。しかし、官僚による「世直し」は間違いだ。官僚は民意によって統制されるテクノクラートで、民意は選挙によって選ばれる政治家によって反映されるというのが議会制民主主義の「ゲームのルール」だからだ。

3月24日、大久保氏の起訴にあたって、小沢一郎氏が民主党代表にとどまるという決断をしたことは正しい。小沢氏は、自分が違法行為に関与したと思えば、やめればよい。そうでなければ、現職から退く理由は何もない。政治家の運命を左右するのは、検察という国家機関はなく、有権者による選挙だ。この原理原則を揺らぐと民主主義が崩壊し、官僚による恐怖政治が始まる。(2009年3月30日脱稿)

プロフィール:
佐藤優(さとう・まさる)…1960年、東京都生まれ。作家・起訴休職外務事務官。日本の政治・外交問題について、講演・著作活動を通じ、幅広く提言を行っている。
近著に「テロリズムの罠 右巻 忍び寄るファシズムの魅力」、「テロリズムの罠 左巻 新自由主義社会の行方」、「テロルとクーデターの予感 ラスプーチンかく語りき2」、「「諜報的生活」の技術 野蛮人のテーブルマナー」など。


眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。