【赤木智弘の眼光紙背】子供を殺すほど強い、親の愛 - 赤木智弘
※この記事は2009年03月19日にBLOGOSで公開されたものです
最初にお知らせがあります。このライブドアの連載を中心に、私がこれまでさまざまな雑誌などで書いた原稿をまとめた単行本『「当たり前」をひっぱたく』(河出書房新社)が、今週末ぐらいから書店に並びます。
とくに当欄連載分については、多くの追記を入れて、また新たな視点を提示していますので、よろしければ一度お手に取っていただければ幸いです。
2008年の夏ごろ、消化管内の大量出血で重体となっていた1歳児への輸血を拒否した両親に対し、児童相談所が親権を一時的に停止する保全処分請求を家庭裁判所に求め、家裁が半日で認めたことから、男児の命が助かったということが、14日に分かったそうだ。(*1)
宗教上の理由による子供ヘの輸血拒否というのは、1985年にもあって、小学5年生の男児が死亡している。たしかビートたけし主演でドラマにもなっていた。この時にも今回の話と同じ宗派の両親が子供への輸血を拒否した。
この事件は大きな社会問題になり、医療関係の学会などでもさまざまな議論が行われている。最近では2007年に日本輸血・細胞治療学会など関連5学会の合同委員会が「15歳未満の患者に対しては、信者である親が拒否しても救命を優先して輸血を行う」とする指針をまとめている。(*2)
さて、この一報を聞いて、最初の私の個人的な感情は「信者である親自身が自分の事故で輸血を拒否して死ぬことは構わないが、1歳の子供に宗教の考え方を自ら受け入れる判断能力があるとは思えない。親権を一時的に剥奪しても子供を救うことはまったく批判のしようもない、正しい判断である」と訴えた。そして「子供を信仰告白の道具にするとは、とんでもない親だ」とも思った。
けれども、少し考えてみると、この問題はそれほど単純な話ではないだろうと、思い直した。
確かに、今回の件は、「大量出血」という極めて物理的な問題に対して、親がエゴを丸出しにして、子供にも信仰告白を強制しようとした事例であり、子供の人権を最優先に考えれば親を擁護する余地はない。
しかし、「親が子供を自らの願望のために利用する事例」というのは、宗教に限らず、よくある話である。
例えば「子供の頃から、野球選手である父親に、野球をすることを強制されていた子供」はどうだろう? 小さい頃からゴルフをしてきた、天才ゴルフプレイヤーや、レスリング一家はどうだろう?
私たちがテレビや新聞で見聞きする、天才少年少女スポーツ選手は、とても輝いている。
親の「愛情」によって、英才教育を受けてきた子供たちは、世界に大きく羽ばたいている。
しかし、それは一握りの「成功した子供たち」だけの話だ。
親が子供に、小さいうちから英才教育をして、成功した子供が多いように見えるのは、スポーツ番組や新聞は成功した子供にしか、カメラを向けないからである。
同じように小さいうちから英才教育を受けていても、失敗したり挫折した子供にスポットが当たることはない。日本にどれだけの失敗したイチローや横峯さくらがいるのだろうか。私たちがそれを知る術はない。
スポーツで成功した子供の親も、失敗した子供の親も、子供の幸せを願って英才教育をしていることに違いはないだろう。
しかし、親の考える子供の幸せは、たいていは親の個人的な経験から得られた世界観に裏付けられたものでしかない。子供が親の身体能力や考え方のすべてを受け継ぐはずもなく、親の世界観が、子供が自ら経験して得た世界観や、社会の世界観と離反したときに、「強い親の愛」は「強い親のエゴ」に成り果てる。
今回の輸血拒否においては、子供は親のエゴに殺されかけた。そのことに対して、一時的に親の親権を取り上げた裁判所の判断は正しかったと評価するし、そうした法整備は正しく機能した。
しかし今回の話は、たまたま生命までもが奪われかねないという、悪い方へ極度に振り切ったという程度問題であり、もっと低いレベルではあっても、子供の人生を狂わせる程度に親のエゴが子供を切り裂くことは、意外とありふれているように思う。
親と子供が、まったく関わらないということはないにしても、過干渉でもうまくはない。
メディアなどで「良好な親子関係」が伝えられると、それを「当然好ましいこと」として単純に認識しがちな現在ではあるが、今一度、「親と子供の関係性はいかにあるべきか」という、根源的な問題を考える必要があるだろう。
この問題は決して特殊な一部の宗教のみに当てはまる問題ではない。
*1:即日審判で父母の親権停止 家裁、息子への治療拒否で(共同通信)http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009031401000512.html
*2:15歳未満、親拒んでも輸血…5学会指針案(読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20070624ik02.htm
プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「「当たり前」をひっぱたく」。
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。