※この記事は2008年12月11日にBLOGOSで公開されたものです

2008年も、残り一カ月を切り、この連載も年内掲載は残り3回ということで、よほど書きたいニュースが入ってこない限り、今年一年の総括と、来年の展望を考えてみたい。
今回は、2008年上半期のニュースを取り上げる。

1月は、中国製冷凍餃子にメタミドホスが混入されていた事件。
中国製品だからと批判はするが、その後日本においても事故米事件なども起こっており、中国製品は危険、日本製品は安全という安直な反発はするべきではないだろう。
しかし、そうした日本製品に対する信頼感は、企業の安直な中国労働力の導入を抑え、企業がコストをかけても日本に工場を設置し、日本人労働者を雇うインセンティブになっていることを考えると、中国製品への反発を、一方的に批難することも、私にはできない。

外国製品に問題が発生すると、「じゃあ、自国で作ればいい」とばかりに、食糧自給率の問題が姿をあらわすけど、じゃあ「農業を稼げる魅力的な業種にしよう」というオーダーが日本社会にあるかといえば、全くない。
逆に「ヒキコモリやニートに農業をやらせるべき」なんていう「徴農」などというバカバカしいことを真面目に言い出す人間がいる始末。農業で道徳を学ばせて、ついでに食料自給率をあげようなんて、文化大革命かポルポトかという愚行にすぎない。
農業が罰ゲームのように扱われる限り、農業が魅力的な職種になるはずがない。
資本主義社会なら、資本主義社会らしく、金で問題を解決するべきだ。

2月は、あえて、せんとくんの話を選びたいと思う。
平城遷都1300年祭のマスコットとして公表され、愛称を募集していたキャラクターが、あまりに気持ち悪いということで、ネットを中心に大きく取り上げられた。
その結果、現在でも「せんとくん=キモい」というイメージはしっかりと定着し、他のマスコットキャラクターよりも知名度は高い。ここまで予測して、せんとくんというキャラクターを選んだのであれば、平城遷都1300年記念事業協会の試みは、見事に成功したといえよう。
親しみやすいはずのキャラクターと、親しみにくい仏というアンバランスさが、奇妙さをかもしだしており、それはまさにこのキャラクターの生みの親、籔内佐斗司の作風であるように、私は思う。
最近は、いろんなマスコットキャラクターが「ゆるキャラ」とか言われて、かわいいとか癒しなんて側面でばかりで見られがちだが、マスコットの目的はPRであり、かわいさはPRのための手段の1つにすぎない。
携帯のキャンペーンガールが、かわいいだけでその携帯の機能をなにも知らないのでは意味がない。せんとくんは、その奇妙さで1300年の歴史を体現している、素晴らしいキャラクターであると、私は考えている。キモいけど。

3月は、ガソリン税の暫定税率問題。
3月末で暫定税率の期限が切れたものの、4月30日に再可決。5月からはまたガソリン税の暫定税率が復活した。
で、その後は原油高が止まらず、長い間リッター170~180円ほどで移行していた。
ガソリンは、自家用車はもちろん、トラックなどの運輸にも絶対に必要で、水や電気と同様、安定供給が求められる基本的インフラである。
にもかかわらず、国はガソリン価格にほとんどと言っていいほど対処しなかった。特に、即座に暫定税率を復帰させたことは、政府や自治体が目先の税収にこだわり、基本的インフラの維持をまったく重視していないということを明らかにした。
だが、原油高騰が一段落ついた現在、そんなことが語られることはほとんどない。まるで原油高騰だけがガソリン価格高騰の原因のように理解し、過ぎ去った嵐に胸をなで下ろしているかのようだ。
しかし、いまだ暫定税率は暫定のままだし、また他の基本インフラの価格が高騰したとしても、政府や自治体は十分な政策を取るつもりはないままであろう。解決するべき問題は、まだたくさん残っている。

4月は北京五輪の聖火リレーかな。
たしかにチベット問題という引き金はあったにせよ、チベット国旗を持った人間の多くが、チベットなんかどうでも良くて、単に中国批判をしたかっただけだったということは、現状でハッキリしている。
だって、チベット問題はなにも解決してないのだから、本当に国旗を振るほどにチベット問題を重視しているのであれば、今もなお多くの人たちが、チベット問題に言及しているはずだ。
結局、五輪という大イベントを触媒に、大規模なウヨクのお祭りが発生したというだけのこと。「卑劣な中国を批難する俺たちカッコイー」みたいな。
あそこでチベットの旗を振っていた連中が40年前に産まれていたら、全共闘運動にのめり込んでたんだろうなぁ。

5月は、環境保護団体「グリーンピース・ジャパン」の人間が、運送会社の倉庫から鯨肉を窃盗。しかも自分たちから公表して、調査捕鯨船の違法を訴えるためだから違法性は免れるとか言い出した事件。
怖いよね。こういう自分たちの信じる正義のためなら、なんでもできるような人たちって。特にグリーンピースは昔からこの手のパフォーマンスを良しとしてきた歴史がある。
ハッキリ言って、こういう団体が環境保護問題に関われば関わるほど、環境保護に対する偏見は強くなり、賛同がなくなるのだから、ちゃんとした環境保護団体は、こういう団体に対して批判する文章を出すべきなのだ。
そういう意味では、地球温暖化に懐疑論がでてくることなどは、極めて健全なことであり、温暖化議論にしっかりと科学的な論考が加えられているという証拠なのである。
動物系の環境保護団体は、果たしてそうした良識を発揮することができるのだろうか?

6月はやはり、秋葉原での通り魔事件。
この事件で一番重要なのことは、トラックやナイフで人を殺すことは違法でも、経済的に人を殺すのは合法であることの酷さだろう。
加藤容疑者が殺したのは7人だが、この社会には、もっと大量の人間をむざむざと殺しながら、のうのうと富を得て生き長らえ、あまつさえ成功者のように語られる人たちが存在する。そうした人間たちが、直接的に他人を殺した人を罵る。
そうした構図がハッキリと見えたことこそが、この事件が明確にした社会の本質であったと、私は考えている。
殺人者を罵るのであれば、罵ればいい。だが、それは直接殺人においても、経済的に困窮させる間接的な殺人においても同じであるべきだ。
貧困の放置は、国による間接的な殺人である。貧困を自己責任と唾する者も、間接的な殺人者である。
私は、そうした人たちを徹底的に罵っていこうと思う。


プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「若者を見殺しにする国画像を見る」

眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。