※この記事は2008年09月12日にBLOGOSで公開されたものです

9月1日夜の緊急記者会見で、福田康夫総理は辞任の意向を表明した。その模様をテレビで見ていて、何とも形容できない嫌な感じがした。辞任の理由を、端的にまとめれば「自分が総理のままでいるよりも、別の人が総理になった方が、自民党が選挙で勝つ公算が高くなる」ということだ。これは、一党一派の問題である。この種の会見を行うならば、総理官邸ではなく、自民党本部で行うべきだ。その後、総理官邸に移動して「さきほど自民党本部で私は自民党総裁を辞任する意向を表明しました。議院内閣制の下で、このことは総理の職を去ることを意味します」という会見を行えばよい。

総理として、辞任を表明する場合には、「公約した拉致問題を自らの手で解決する自身がなくなった」であるとか「財政再建と格差是正策の双方を満たす政策を自分の力では作ることができない」といった類の日本の国家の運命、国民全体の利害と直接結びつく理由をあげて説明する必要がある。一党一派の事情は、日本国家、日本国民全体とは基本的に関係のない話である。

筆者が国家と党の区別があいまいになっていることに、とりわけ強い嫌悪感を覚えるのは、ソ連崩壊の過程を見たからだ。ソ連国家とソ連共産党は完全に一体化していた。ゴルバチョフ大統領は、ソ連国家の長であり、ソ連共産党の党首でもあった。ある時点からソ連国家が生き残るために守旧化し、柔軟性を失ったソ連共産党を解体することが不可欠であるという認識を政治エリートの誰もがもつようになった。しかし、ゴルバチョフはソ連共産党を維持しようとした。

巧みな人事でゴルバチョフは、数回の危機をうまく乗り越えた。政治記者や評論家は、ゴルバチョフの人事政策を芸術的であると讃えた。しかし、そのたびにゴルバチョフを支持する層は薄くなっていった。そして、1991年8月にソ連共産党の中枢がクーデターを起こし、それがソ連崩壊を決定づけた。もちろんソ連と日本は政治構造を基本的に異にする。しかし、自民党を生き残らせようとする術策で、日本国家が滅びるようなことになるのではないかという妄想が筆者の脳裏から離れないのである。

ところで、今回の福田辞任について、政治部のベテラン記者になればなるほど評価が高い。「自民党総裁選で麻生太郎氏が次期総裁になり、国会召集の冒頭で解散し、11月初めに総選挙を行う。恐らく麻生氏ならば当初、ご祝儀相場もあって、60パーセントくらいの支持率を得るであろうから、その流れに乗って、自民党と公明党が議席の過半数を獲得すれば、福田氏は英雄として高く評価されるようになる」とベテラン記者たちはいう。筆者には、政治記者たちが、コップの中の政治ゲームに熱中しすぎて、政治が国家、国民のためにあるという原点が見えなくなっているように思えてならない。「自民党をぶっ壊す」という小泉純一郎元自民党総裁のスローガンをもう一度よび起こす必要があるのかもしれない。(2008年9月12日脱稿)


プロフィール:
佐藤優(さとう・まさる)…1960年、東京都生まれ。作家・起訴休職外務事務官。日本の政治・外交問題について、講演・著作活動を通じ、幅広く提言を行っている。
著書に「国家論―日本社会をどう強化するか (NHKブックス 1100)画像を見る」、「インテリジェンス人間論画像を見る」など。


眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。